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5.戦鬼覚醒



「杉森の兵だな? こんなところで何をしている」
 浜崎兵のひとりが和成に問いかけた。
 帯刀している以上、民間人を装うのは無理だろう。正直に事情を話すしかない。信じてはもらえないだろうが。
「そこの崖から誤って転落しただけです。すぐに出て行きます」
 和成がそう言うと、浜崎兵たちは各々顔を見合わせてクスクスと笑った。
「そんな陳腐な言い訳が通用すると思ってるのか?」
「女連れで民間人でも装ってるつもり?」
「だったら刀は持って来ちゃダメだぞ。坊や」
 口々にからかいながら嘲笑する浜崎兵の一番後ろに、ひとりだけ真顔で和成を見つめている若者がいる。和成と目が合った彼は、思い出したように叫んだ。
「その人! 杉森の軍師です!」
 一斉に浜崎兵が、彼に注目する。
「何?! 本当か?!」
 和成は思わず心中で舌打ちした。さらにまずい方へ事態が転んだようだ。
「本当です。以前、早朝に少しの間だけ広域情報通信網で配信されていた写真がこの人の顔でした」
 声高に言い放つ彼の声を聞いて、紗也が和成の背中に顔を伏せる。
「和成、ごめん!」
「お気になさらないで下さい」
 小声でそう言いながら、和成はゆっくりと紗也を背中から下ろした。
 いよいよ険呑な雰囲気になってきたようだ。戦闘を回避できないからには、身軽になっておく必要がある。なんとしても紗也だけは無事で国に帰さなければ。
 浜崎兵は和成から目を離し、口々に若者をほめて浮かれている。その隙にとりあえずの安全を確保する。
「紗也様。後ろの木のうろに入り、目を閉じて耳を塞いでいて下さい」
「あんな大人数、相手にするの?」
「大丈夫です。最強の護衛を信じて下さい」
 不安げに問いかける紗也に、和成は少し笑って答えた。そしてチラリと紗也に視線を送った後、一歩前へ出る。
 紗也が言われた通り、うろの中に身体を隠すと同時に、浜崎兵たちが和成の方を向いた。
 目の前の兵士が刀を抜き、片手でその切っ先をまっすぐ和成へ向ける。
「モテモテの美少年軍師殿は敵地の偵察も女連れってか? 随分とナメたマネしてくれるよな」
 兵士は薄笑いを浮かべて、刀を両手で握り直した。
「おまえの首を取れば、俺ら大手柄だ。言い訳できないこの状況で、よもや生きて帰れるとは思ってねーだろ? 覚悟しな」
 無駄だと思いつつも刀には手を触れず、和成は戦意のない事を伝えてみる。
「争うつもりはありません。退いて下さい」
 兵士は大声で嘲笑う。
「バカじゃねーの? 軍師のくせに状況を読めよ。はいそうですかって、退くとでも思ったか?!」
 そう言ったと同時に、浜崎兵は刀を振りかざして、和成に斬りかかった。
「ダメです!」
 和成の正体を見破った若者が悲痛な叫び声を上げた時、斬りかかった兵士の方が和成の前で倒れた。
 目にも留まらぬ早さで抜かれた和成の刀は、向かって来た浜崎兵を一刀のもとに切り伏せていたのだ。
 先ほど叫んだ若者が力なく言葉を続ける。
「杉森の軍師は剣の腕も上級者なんです」
 周りの兵士たちが動揺し、ざわめいた。
 和成はもう一度、静かに言う。
「退いて下さい。退かねば斬ります」
 目の前で仲間を切り捨てられ、殺気立った浜崎兵たちは一斉に武器を構えたものの、攻めかかる機会を逸していた。
 和成の妙に落ち着き払った様子と隙のなさ、それに目の当たりにした剣の腕に躊躇したのだ。
 滴る血を振り払うため、和成が右手で刀をひと振りすると、浜崎兵たちは一歩退いて身構える。刃の先から飛び散った血が真っ白な雪の上に点々と赤い弧を描いた。
 相手がひるんでいる隙に和成は周りを見回し、人数を確かめる。全部で十四人。内二人が槍兵。戦場でなら一人で相手にできるギリギリの人数だろうか。
 元々和成は華奢な少年体型なので、塔矢や右近に比べると力はそれほど強くない。持ち前の敏捷性と剣技でそれを補っていた。
 多勢に無勢な上、背後に紗也を守りながらでは可動域も限られる。動きを封じられていては本来の能力の半分も発揮できるかどうか。形勢はかなり不利と言ってよかった。
 それを悟られぬように両手で刀を握り直し、ゆっくり視線を巡らせ浜崎兵を睨め付ける。
 見ると、一番後ろにいる件の若者がひとりだけ刀を抜いていない事に気付いた。
 他の兵より頭一つ分背の高い彼は、一番後ろにいるのにその表情がよく見える。おどおどした様子で周りの兵を見つめている。まだ年若い彼は人を斬った事がないのかもしれない。ふと慎平を思い出した。
 和成と目が合った若者は、斜め前にいる兵の腕を引く。
「退きましょう、先輩。見たでしょう? あの早業」
 腕を引かれた兵は若者を振りほどき、苛々した様子で彼を怒鳴る。
「バカ言え! 領地を侵しているのはあいつの方だ。なぜ我らが退かねばならぬ?!」
「だっておかしいですよ。女連れで、目立つように刀を持って敵地の偵察なんてありえません。あの人の言うように、本当に崖から落ちただけだと思います」
「たとえそうだとしても、天才と言われている杉森の軍師を目の前にして、みすみす見逃したとあっては我らの沽券に関わる。抵抗するなら斬るまでだ。おまえも軍人なら腹を括れ!」
 若者は諦めて刀を抜いた。
 期待してはいなかったものの、やはり誰も退いてはくれないようだ。
 和成が後方のやりとりに少し気を取られているのに感付いて、前方の三人が斬りかかってきた。瞬時に対応してまずは三人。残り十一人。
 続いて右手から槍兵が一人、少し遅れて正面から剣兵が一人襲いかかった。
 突き出された槍の切っ先を躱し、柄の中心あたりをたたき斬る。体勢を崩して足元がフラついた槍兵の背中に刀を突き刺すと、振り向きざまに目の前に迫っていた剣兵を切り捨てた。残り九人。
 次第に和成の息が上がってきた。一人斬るごとに血糊で切れ味が鈍り、刀が重くなってくる。それに伴い体力も徐々に削られていく。
 休む間もなく右手から三人が斬りかかってきた。二人はすぐに斬ったものの、残る一人に対応が遅れ、斬るのが間に合わず刀を受け止める。
 この一瞬の遅れを左手にいた槍兵は見逃していなかった。
 和成が受けた刀を押し返し、よろけた相手を斬った直後、左手から槍が突き出された。
 気付いて身をひねった時には、すでにその切っ先が和成の左脇腹を深く抉っていた。
 思わず呻いて足元がフラつく。
 身体から引き抜かれる槍が更なる激痛を与え、再び声がもれた。
 槍の抜けた傷口から一気に血があふれ出す。それが着物を赤く染め、ボタボタと滴り落ちて雪の上に血溜まりを作った。
 遠ざかる槍の柄を、和成は咄嗟に左手で掴む。槍兵が驚愕の表情で和成を見た。視線が交わり、槍兵は怯えたように槍を取り戻そうと必死で引く。
 和成は足を踏ん張ると、渾身の力を込めて槍を引き寄せた。そして柄を掴んだまま、つんのめった兵の首筋を右手の刀で切り裂く。
 吹き出した返り血が、全身を赤く染めた。いつものように返り血を躱す余力は残っていない。
 槍を離して両手で刀を握り直すと、白く荒い息を吐きながら前方を見据えて身構える。
 生臭い血の匂いと傷口から止めどなく流れ出す血が、和成の意識を朦朧とさせた。
 あと何人? 目の前に兵がいるのはわかるが、数が数えられない。


「こんな子供に護衛なんか任せて大丈夫なの?」


 突然、頭の中で初めて会った時の幼い紗也の声が聞こえた。
「俺だって、こんな子供のお守りは御免ですよ!」
 あの時は売り言葉に買い言葉で、いきなり怒鳴りつけて塔矢にげんこつを喰らった。
 どうして今、こんな昔の事を思い出すのだろう。
 和成はフッと笑みを漏らす。
(走馬灯ってやつか……。いよいよヤバイのかな)
 血まみれで笑う和成に浜崎兵たちはたじろぎ、しばし攻撃が止んだ。
 身体から血が流れ出すのと共に、力も意識も徐々に抜けていく。


「生きる事を諦めるな」


 初陣の時に聞いた塔矢の言葉が聞こえた。
(諦めてませんけど、身体が言う事を聞かないんです)
 狭くなってきた視界の端で、斬りかかってくる兵の姿を捉える。とっさに直撃は避けたものの、右上腕部に激痛が走った。
 最早、ほとんど見えない目で気配だけを頼りに兵を斬る。残りは何人? 数えるどころか姿もろくに見えない。
 一面の銀世界のように白濁した視界の真ん中で、真っ赤な椿がゆっくりと花を落とす様が見えた。
(おわりか……)
 椿の花に重なるように、笑顔の紗也が見える。


「死んでも守り抜け」


 再び先の戦の時に聞いた塔矢の言葉が聞こえた。
(死んだら守れませんけど?)
 思わず揚げ足を取ってみて気がつく。確かに死んだら守れない。自分を信じろと和成が紗也に言ったのだ。自分が死んだら紗也はどうなる?
 深淵に沈みかけていた意識を無理矢理引き上げると、感覚を失いかけていた全身の痛みが共に蘇ってきた。
 紗也を守りきるまで死ぬわけにいかない。痛みにかまっているヒマなどない。
 和成は紗也を守る事だけに意識を集中する。すると、全身から痛みが引いていった。それと同時に思考も停止した。




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