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6.最凶軍師



 和成がいつまで待っても砦にやって来ないので、塔矢は里志の他に二人の隊員を伴って、浜崎との国境を越えた。
 里志の案内で崖沿いの道を、和成と紗也が転落した地点を目指して進む。しばらくして道端の雪の上に力なく座っている浜崎兵の若者を見つけた。
 近付く塔矢を見て、若者は怯えたような表情をする。
「さ、坂内塔矢!」
「いかにも。そちらの詰め所に誰もいなかったので勝手に入らせてもらったぞ」
 平然と答える塔矢に、若者は動揺して刀に手をかけながら、立ち上がろうした。
 塔矢はその手に自分の手を添えて、若者の前にしゃがむ。
「抜くな。やり合うつもりはない。俺に勝てる自信があるなら別だが」
 塔矢がそう言って口の端を上げると、若者は力が抜けたように刀から手を離して、肩を落とした。
「うちの兵が崖から落ちて迷い込んでるはずなんだが、見なかったか?」
 塔矢の問いかけに、若者は恐怖に目を見開いて自分の両肩を抱き、ガタガタと震えだす。
「……あれは、鬼です。最初は腕の立つ普通の人でした。けど、手負いとなって少し後、変わりました。立っているのもやっとな程の手傷を負いながら、間合いに入ってくる者を恐ろしい早業で、息を乱す事もなく無表情で切り捨てるんです」
 里志が後ろから塔矢に耳打ちした。
「塔矢殿。和成の奴、また壊れたんじゃ……」
「かもな」
 若者はさらに続ける。
「先輩が七年前に前線で見た戦鬼と同じだって……」
「ほぉ、七年前にあいつを見た奴がいたのか。そいつはどうした?」
 ピクリと肩を震わせて、若者は俯きながら涙ぐんだ。
「鬼は容赦してくれないから、私に逃げろって間合いから遠ざけようと彼に背中を向けた途端……」
「そうか。おまえは運がよかったな」
「私があの人を杉森の軍師だと言ったからいけないんです。だから、みんなが首を取るって言い出して……」
 ハラハラと涙をこぼす若者の肩を塔矢は軽く叩く。
「おまえは情報を提供しただけだ。首を取れと言ったわけじゃないだろう? 相手の事をよく知りもしないで軽率な行動に出たそいつらの自業自得だ。だからおまえは、よく覚えておけよ。うちの天才美少年軍師はな、キレたら我が軍で最凶なんだ」
 そう言って塔矢は立ち上がり、若者に尋ねた。
「どこにいる?」
 涙に濡れた目で見上げながら、若者は塔矢の進行方向を指差す。
「少し行った所に大きな楠があります。その前に。気をつけて下さい。間合いに入ると問答無用で斬りかかってきます」
 塔矢は笑って若者に手を挙げた。
「ご忠告ありがとう」





 塔矢たちが若者に教わった楠の見える場所にたどり着くと、そこには、さながら地獄絵図のような光景が広がっていた。
 大きな楠のうろの前には、血に染まった真っ赤な雪原が広がり、浜崎兵の亡骸が折り重なるようにして累々と横たわっている。その中心に刀を構えた和成が満身創痍で立っていた。
 全身を自らの血と返り血で赤く染め、貧血で血の気を失った肌はロウのように白い。そしてその顔は冷たく無表情で、光を失った暗い瞳は何も映していなかった。
「おまえらはここを動くな」
 里志たちにそう言うと、塔矢は刀を抜きながら悠々と和成に近付いて行く。近付く塔矢に和成がピクリと反応した。
 立ち止まることなく、そのまま平然と間合いに入ってきた塔矢に、驚く早さで和成の刀が薙ぎ払われる。塔矢はそれを刃の先で軽くいなすと、左手の拳で和成のみぞおちに一撃を食らわせた。
 一瞬、見開かれた和成の目に正気の光が戻ったが、すぐにゆっくりと閉じられていく。
 和成は刀を手から落とし、そのまま塔矢にもたれかかった。
 意識を手放す間際、和成の口がかすかに動いた。身体を抱きかかえながら塔矢は、耳元でかすかに聞こえた声に少し目を細めて答える。
「それは生還して自分の目で確かめろ」
 気を失った和成を里志たちにまかせて、塔矢は楠のうろの中を覗いた。そこには和成に言われた通り、目を閉じて両手で耳を塞ぎ、自分の膝に顔を伏せて震えている紗也の姿があった。
 声をかけた塔矢に、紗也は目に涙を浮かべてしがみつく。
「塔矢! あの人たち、和成が軍師だから首を取るって……! 私が悪いの。私が和成の情報を流したから。私が勝手について来たから。私が道を外れて崖から落ちたから。全部私のせいなのに、和成が死んじゃったらどうしよう。塔矢ぁ」
 しがみついたまま子供のように泣きじゃくる紗也の背中を、塔矢は軽く叩きながら何度も繰り返す。
「大丈夫です。和成は死にません」
 塔矢はしがみついたままの紗也をそのまま抱き上げて、隊員たちと共に砦へと引き上げた。
 本当のところ和成は、かなり危険な状態にあったが、紗也の無事を自分の目で確認するまでは死なないだろうという妙な確信が塔矢にはあった。




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