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7.一時の休息



 むせかえるような花の香りの中で和成は目覚めた。正面に見える天井が自分の部屋のものでない事はわかる。
 首を巡らせると殺風景な白い部屋の寝台に、ひとりで寝ているようだった。部屋中所狭しと花が飾られ芳香を放っている。
 どうしてこんな見知らぬ部屋で寝ているのか不思議に思い、記憶をたどり始める。そして、自分が死にかけた事を思い出した。
 だが、途中から記憶がない。紗也はどうなったのだろう。
 それが気になり、飛び起きようとして脇腹に激痛が走った。身体を支えようとして咄嗟に付いた右腕にも痛みが走り、そのまま寝台から転げ落ちる。腕に刺さった管に引っ張られ、側にあった点滴を引き倒し、大きな音を立てた。
 騒ぎを聞きつけて、白衣の男性看護師が駆け込んできた。そして床に這いつくばって動けないでいる和成に手を貸し寝台へと戻す。
 いつの間にか戸口に現れていた塔矢が冷めた口調で言った。
「おとなしく寝てろ」
 看護師は和成を寝かせ、点滴を元に戻して部屋を出て行く。それを見届けて塔矢は寝台の側まで歩み寄り、静かに微笑んで和成を見下ろした。
 和成が不安げな表情で口を開きかけた時、塔矢はそれを遮るように答えた。
「紗也様はご無事だ。おまえが寝てる間に足の捻挫も完治なさった」
「どうして……」
 安堵と困惑のないまぜになった表情で、和成は塔矢を見上げる。
「覚えてないのか? おまえ、今までに何度か目を開けたんだが、その度に紗也様の安否を聞いたんだ」
 それを聞いた和成は、納得して安心したように、ひとつため息を漏らした。
「私はどれくらい眠っていたんでしょうか」
「丸五日だな。今日から雪祭りだ」
「今日初日ですか? 紗也様をご案内する約束が……」
 再び身体を起こそうとする和成を、塔矢は寝台に押しつける。
「いいから動くな。そんな身体で護衛の役に立つか。俺が代わるから黙って寝てろ」
「すみません。ご迷惑をおかけします」
 和成はふと気になって、周りの異様な光景について聞いてみた。
「ここは城内の医局ですよね。どうして私は個室なんですか? それに、この花は?」
 塔矢は寝台の横に椅子を持って来て座り説明する。
 和成は国境で気を失った後、とりあえず砦に運び込まれた。砦で応急処置を受けた後、城の医局で輸血と手術を受け、なんとか一命を取り留める。その後は病室に移され、傷の回復と経過を見守る事となった。
 はじめは三人部屋にいたのだ。ところが少しして眠れる美少年がいると噂になった。そしてその内、目覚めて最初に目にした女性と恋に落ちるのだとか、お伽噺のような尾ヒレも付いて、女性看護師たちがヒマさえあれば和成の顔を見に来るようになってしまった。
 いい加減、通常業務に支障を来すようになったので、和成の担当は男性看護師となり、個室に隔離される事になったのだ。
 和成は目を伏せて思わずため息をつく。
「寝てる間に見せ物になっていたんですか」
「医局のお嬢さん方はおまえとは面識がないからな。この花の大半はそのお嬢さん方も含めた城内の女性陣からの見舞いだ。相変わらずモテモテだな」
 からかう塔矢に和成は苦笑する。
「お見舞い返しが大変そうですね」
「第一部隊からの見舞いはコレだ」
 塔矢は懐から封筒を取り出し和成に渡した。和成は受け取った封筒を開け、中身を確認する。それは城下にある焼肉店の無料招待券と割引券だった。
「ありがとうございます。けど、この団体三十名様まで二割引ってもしかして……」
「おまえは焼肉をひとりで食いに行く寂しい奴か? そういう事だ。動けるようになったら肉を食って流した血を補充しろ」
 和成は再び苦笑する。
「やっぱりお見舞い返しが高くつきそうです」
 少しして和成は塔矢から目を逸らし表情を曇らせた。
「塔矢殿。途中から記憶がありません。もしかして私はまた……」
「あぁ。以前とはちょっと違ってたがな」
「また、見境なしに皆殺しにしたんでしょうか」
「見境は一応あったみたいだぞ。間合いに入った者だけを斬ったようだ。俺を斬ろうなんざ十年早いがな」
 そう言って塔矢は、和成の額を指先で弾く。
「すみません」
「まぁ、そのおかげだろうが、とろそうな若い奴が一人生き残ってたぞ。おまえを軍師だと指摘したとか言ってたな」
 それを聞いて和成は少し微笑んだ。
「あぁ、彼は生き残ったんだ。彼だけ、戦わずに退こうって言ったんです。人を斬るのが怖かっただけかもしれませんけど。ちょっと慎平に似てるなって思いました」
 塔矢は顔をしかめる。
「敵の後ろにあるものを見るなと言っただろう」
「ええ。初めて見ました。それで、この体たらくです」
 塔矢は意外そうに、少し目を見張ると黙って和成を見つめた。和成はそれを察して少し笑う。
「意外ですか? 私は自分を見失う程の衝撃を受けた初陣の時でさえ、敵兵の後ろにあるものを見た事はありません。命を奪うという行為と血の匂いが嫌いなだけで、命を奪われる相手に対して同情も興味も抱いた事はないんです。だから人形だって言われるんですよね」
 塔矢は腕を組んで椅子の背にもたれた。
「人形でなくなったから、相手に興味を示してしまったわけか」
「人の心を手に入れるというのは、軍人にとって諸刃の剣なんですね。塔矢殿はどうなんですか?」
「俺か? 俺の愛情は絶対量が決まってるんだ。普段はその大半を家族と紗也様に与え、余った分を他のものに使っている。だが戦場では、残りは全部おまえら前線の兵に使ってるからな。敵兵にまで与える分は微塵もない。俺が敵兵に容赦ないのはそう言う理由だ」
「敵兵に鬼のように言われてますよね」
 和成が笑って指摘すると、塔矢もニヤリと笑って和成を指差す。
「おまえの戦鬼伝説も七年ぶりに復活したぞ。あれ以来、浜崎の兵を国境付近で見なくなったらしい」
「その伝説、あまりうれしくありません」
 和成は顔をしかめた。
 浜崎軍が国境付近をうろついて、何を画策していたのかは結局不明のままである。だが、和成が瀕死の重傷を負ったあの事件以来、国境の警備兵が浜崎の兵を見かける事はなかった。
 塔矢は立ち上がって和成を見下ろしながら静かに微笑んだ。
「よく還ってきたな。俺もおまえが死ななくてよかったと思ってる。後で薬を届けさせよう。もうしばらくは、おとなしく寝てろ」
「ありがとうございます」
 部屋を出て行く塔矢を見送った後、和成はまた目を閉じ、うとうとと眠りについた。
 動いて傷口が開いたせいか、少し熱が上がってきたらしい。





 けたたましく部屋の戸が開けられる音に驚いて、和成は目を覚ます。
「和成――っ!」
 その声で入口に目を向ければ、紗也が駆け込んで来るのが見えた。紗也はその勢いのまま和成に飛びつくようにしてすがりつく。
 衝撃に傷口が疼いて和成が思わず声を漏らすと、紗也は身体を離して更に大声を上げた。
「ごめん。痛かった?」
 あまりの騒々しさに、再び男性看護師が駆けつける。紗也の姿を認めて、彼は戸口から声をかけた。
「紗也様。和成殿はまだ安静が必要です。お手柔らかにお願い申し上げます」
「ごめんなさい。気をつけます」
 素直に謝る紗也に、看護師は恐縮して頭を下げる。そして部屋の戸を閉め、立ち去った。
 相変わらず目の前の事しか見えていない紗也に、和成はクスリと笑う。
「お元気そうでなによりです。足はすっかり完治なさったようですね」
 寝台の横に塔矢が置いた椅子に座ると、紗也は和成の顔を黙って見つめた。その目にみるみる涙が浮かび、あふれて頬を伝う。
「和成が生き返ってよかった……」
「いえ、死んでたわけじゃありませんから」
 和成が嘆息すると、紗也は寝台の縁を握りしめて俯いた。握りしめた手の上に涙がポタポタとこぼれ落ちる。
「だって、あんなにいっぱい血が流れてたから」
「ご覧になったんですか?」
 紗也は小さく頷いた。
「最初は言われた通りにしてたの。でも和成の声が聞こえて目を開けたら、和成が血を流してた。叫びそうになったけど、私が騒いだり動いたりしたら、また和成に迷惑がかかると思って、もう一度言われた通りにしたの」
「怖い思いをさせてしまって、申し訳ありません」
 和成がそう言うと、紗也はフルフルと首を振る。
「和成が目を覚まさなかったらどうしようって、その方がずっと怖かった。前の戦の時に懲りてるはずなのに、また勝手な事して和成の命を奪いそうになるなんて。でも信じて。和成に迷惑をかけたかったわけじゃないの。だって私……」
 紗也はそのまま目を伏せて黙り込んだ。泣くのを我慢しているのか、口を引き結んで顔を赤くしている。
 和成は微笑んで、優しく告げた。
「あなたに悪気がない事は存じております。どうかもう泣かないで下さい。私はあなたがご無事でしたことを何より嬉しく思っております」
 紗也は涙を拭って、少し笑顔を見せながら立ち上がる。
「疲れちゃいけないから、もう帰る。また来るね」
 そう言って紗也は病室を出て行った。





 夜になって五日ぶりにほんの少しの食事を終えた和成は、塔矢が後で寄越すと言っていた薬がまだ来ていない事に気付く。
 ひょっとして紗也の事だったのだろうかと横になったまま考えているところへ、部屋の戸が少し開いて紗也が顔を覗かせた。
「和成、起きてる?」
「紗也様。雪祭りにお出かけにならなかったのですか?」
 背中に何かを隠し持って、紗也は部屋の戸を後ろ手に閉める。そして寝台のそばまでやってきた。
「塔矢が連れて行ってくれるって言ったんだけど、塔矢は家族がいるから邪魔しちゃ悪いし。私のせいで和成が寝てるのに私だけ遊びに行っても楽しくないもん」
「そんな事、お気になさらなくても……」
 苦笑する和成の前に、紗也は後ろに隠していたものを差し出す。
「だから、はい! 和成にも小さい雪祭り」
 差し出されたのは盆に乗った小さな雪だるまだった。見ると盆を持った紗也の指先が赤くなっている。
「ありがとうございます。紗也様がご自分でお作りになったんですか? 手が冷たかったでしょう」
「うん。あ、そうだ。和成、熱があるんだよね」
 そう言って紗也は雪だるまを乗せた盆を寝台の横にある台の上に置き、冷えきった両手で和成の頬を挟んだ。
「どう?」
 紗也のしっとりと冷たい手の平が微熱で火照った顔に心地よく、和成は思わず目を細める。
「冷たくて気持ちいいです」
 和成がそう答えると、紗也も微笑んで見つめ返した。
「私もあったかくて気持ちいい」
 和成は紗也の手に自分の手を添えて手の甲も温める。少しして手がぬくもりを取り戻した頃、紗也は和成の頬から手を離した。
「薬あげるから、目を閉じて」
 あまりに唐突な紗也の言葉に、和成は眉をひそめて紗也を見つめる。
「顔に落書きとかなさるんじゃないでしょうね」
「そんなことしないから、黙って目を閉じて」
 塔矢の言っていた薬だろうか。てっきり紗也自身の事を言っているのだと思っていた。実際に和成は、紗也の元気そうな様子を見て、すっかり心が軽くなったのだ。
 しかし、なぜ目を閉じなければならないのか。腑に落ちないものの和成は黙って目を閉じた。
 少しして、紗也の長い髪が肩の辺りにパサリと落ちて、顔の上に影が差す。顔を覗き込んでいるのだろうか?
 次の瞬間、頬に柔らかいものが軽く触れてすぐに離れた。それが紗也の唇である事に気付き和成は目を開ける。すでに紗也は背中を向けて病室を駆けだして行く所だった。
 部屋の戸が閉じられ、紗也が姿を消すまで、和成はそれを呆然と眺める。
 部屋の中に静寂が戻ると、枕に付けた耳から、自分の鼓動がやけに大きく聞こえてきた。せっかく冷やしてもらった顔が再び熱くなってくる。
 和成は天井を仰いで目を閉じ、額に左手の甲を当ててつぶやいた。
「……バカ……。よけいに熱が上がったじゃないか」
 そして少し笑みを浮かべながら、心地よい微熱のまどろみの中へうとうとと落ちていった。




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