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8.岐路



 三日後、歩けるまでに回復した和成は、病室を出て自室での療養へと切り替わった。
 雪祭り期間中は業務も縮小されているので、城内は閑散としている。和成は寝ている間に落ちた体力を回復するため、人気のない城内をうろうろと歩き回った。
 散々歩き回った後、自室前の中庭へと降りる石段へ座り込む。
 雪に覆われた薄明るい中庭に、更にしんしんと雪が降り積もる様をぼんやり眺めていると、昼食を終えた紗也が渡り廊下を渡ってこちらへやって来た。
 和成は立ち上がって、紗也に挨拶をする。
「お久しぶりです。紗也様」
 和成の姿を見た紗也は、困惑した表情を浮かべた。
「あ、和成。もう動いていいの?」
「ええ。すっかり傷もふさがって歩けるようになりました。薬が効いたんですかね?」
 和成がからかうような笑顔で自分の頬を指差すと、紗也は顔を赤くして俯く。
 しはらく沈黙が続き、気まずくなった和成が口を開いた。
「あの、黙り込まれると私の方が照れくさいんですけど……」
 紗也はさらに顔を赤くして、俯いたまま懇願する。
「お願い。塔矢には絶対に言わないで」
「言いませんよ。殴られたくありませんし」
 和成がそう言うと、紗也は顔を上げて和成を真顔で見つめた。
「これから言う事も。言う時は私が言うから」
「……はい」
 何の事かわからないが、和成はとりあえず返事をする。
 紗也は和成をまっすぐ見つめながら、少し震える声で告げた。
「私、和成が好きなの」
「はい。存じております」
 和成が笑顔で答えると、紗也はそれを遮るように続ける。
「違うの! 塔矢と和成は!」
「え?」
 和成はドキリとして身を硬くした。
「誰にも邪魔されないで、和成と話してみてなんとなくわかったの。普段私は執務室で塔矢と二人きりで色々話をする事あるけど、別れた後にもっと話したくなったりはしないの。でも和成と話した後は、話す事なくなっても、もっと話したいの。塔矢とは毎日会えるけど、和成とは毎日じゃないからなのかと思ってた。けど、この間和成が大怪我した時、塔矢に抱き上げられてはっきりわかったの。塔矢と和成は違うって。抱きしめられたら、あったかくて安心してふわふわ眠くなっちゃうくらい気持ちいいんだろうなって思ってたけど、それって和成じゃなくて塔矢だったの」
「私だと安心できませんか?」
 問いかける和成に、紗也は激しく首を振る。
「ううん。あったかくて安心してふわふわ気持ちいいのは同じなんだけど、和成だとドキドキして眠くならないの。最初はビックリしたからなのかと思ったけど、そうじゃなかった」
 紗也の次の言葉に期待して、和成の鼓動はどんどん高鳴る。
 紗也は和成を見上げて問いかけた。
「ね? 私、和成に恋してるよね?」
 ひときわ高く鼓動が跳ねて、和成は紗也から顔を背ける。
「私に聞かないで下さい」
 とっさに後ろ手に腕を組むと、紗也が不思議そうに問いかけた。
「後ろに何隠したの?」
 和成は顔を背けたまま、横目で紗也を見下ろしながら白状する。
「何も隠していません。あまりに嬉しくて、腕を捕まえてないと、あなたを抱きしめてしまいそうだから」
 紗也は少し頬を染めて、はにかんだような笑顔を見せる。
「今はダメーっ!」
 そう言って和成の横をすり抜け、執務室の方へ駆けて行った。





 雪祭り最終日の夜、和成は紗也と共に城下の大通りにいた。
 まだ傷の癒えきっていない和成を護衛につける事に塔矢は難色を示したが、紗也がどうしても和成と一緒に雪祭りに行きたいと言い張ったので、夜の数時間限定で許可が下りたのだ。
 今宵は雪が止み、風もなく空は晴れ渡っていた。
 大通りの両脇には様々な雪像が立ち並び、色とりどりの柔らかな明かりに照らし出されている。雪像の裏には露店が並び、暖かい飲食物を買い求める客で賑わっていた。
 雪祭り最終日とあって、最後を締めくくる灯りの行進を見ようと多くの見物客が詰めかけている。
 紗也は珍しそうに度々駆けだしては、あちこちの露店を覗いて目を輝かせていた。
「紗也様。あまり私の側を離れないで下さい」
 和成が声をかけると、紗也は慌てて駆け戻ってきて、眉を寄せながら和成を睨む。
「ちょっと、お兄ちゃん! ”様”はやめてって言ったでしょ?!」
 和成はうんざりしたようにため息をついた。
「その設定、やめましょうよ。ムリですって」
「いいじゃない。誰も聞いてないんだからタメ口きいたって」
「誰も聞いてないなら、タメ口である必要もないじゃないですか」
「も〜ぉ! ああ言えば、こう言う!」
 紗也は苛々したようにひとつ足を踏みならす。けれど、すぐにいたずらっぽく笑って和成を見上げた。
「ねぇ。一回だけ”紗也”って呼んでみて。そしたら設定なしでいい」
「できません。そんなこと」
 和成は思いきりうろたえる。少し頬をふくらませて、紗也は更に食い下がった。
「だって、父さまがいなくなってから誰も呼んでくれないんだもの。お願い。一回だけ」
 和成は困ったように、黙って紗也を見下ろす。それを紗也はすがるような目で見上げた。
「……一回だけですよ」
 結局根負けして和成がそう言うと、紗也は嬉しそうに笑顔で頷く。
「うん」
 和成は少し身をかがめて、紗也だけに聞こえるように、耳元で小さくその名を呼んだ。
 紗也はくすぐったそうに首をすくめて小さな声で笑う。
 初めて呼ぶ敬称なしの紗也の名は、和成自身もなんだかくすぐったい気持ちになった。
 それから二人は、露店を覗いたり、雪像を眺めたり、大通りをあちこち歩き回る。
 そうしているうちに灯りの行進が始まる時刻となった。背の低い紗也のためによく見える場所を確保しようと、一緒に通りの方へ向かう。すると紗也が突然立ち止まって周りの地面を見回した。
「どうかなさいましたか?」
 紗也はしきりに自分の身体を探ったり、周りをキョロキョロ見回しながら答える。
「手袋が片方なくなっちゃった」
「この人混みで探すのは無理ですね。少し大きいですが、私のをどうぞ」
 和成が自分の手袋を外すと、素手になった左手を紗也の冷たい右手が握った。
「こっちの方があったかい。はぐれないようにつかまえてて」
 笑顔で見上げる紗也に、和成も笑顔で答える。
「かしこまりました」
 手をつないで通りの方へ移動した時、通りを挟んで人混みの向こうから和成の名を呼ぶ者がいた。咄嗟に握った手を後ろに隠して、声の主を捜す。
 通りの向こうから右近が手を振っていた。
「よーぉ。すっかり生き返ったみたいだな」
「だから、死んでねーし」
 右近は声を上げて笑った後、和成のとなりに紗也がいるのに気付いて一礼する。
「仕事中みたいだし、また改めて電話でもする」
 そう言って軽く手を上げ、その場を去った。
 遠ざかる右近を見送っていると、右近は斜め後ろを振り向く。そして和成が見た事もないような優しい目をして微笑んだ。彼の視線の先には、長い黒髪の女性がいる。彼女の髪飾りに和成は見覚えがあった。
 チラリと見えた横顔をもっとよく確認するため、和成は一歩踏み出す。その時、通りの灯りが一斉に消えた。
 灯りが消えると、月のない冴え渡る冬の夜空に満天の星が瞬き始める。
 一瞬、見物客が静まりかえった後、幻想的で楽しげな音楽が流れ始めた。大通りの端から明滅する色とりどりの灯りに飾られた山車(だし)が姿を見せる。そして同じように賑やかな灯りを身にまとった踊り子たちが、音楽に合わせてクルクルと楽しそうに踊りながら、ゆっくりとこちらに近付いて来た。
 紗也は和成に寄り添って目を細めながら、その様子を楽しそうに眺めている。
 紗也と同じ場景を見つめながら、和成はどこかうわの空だった。岐路に立たされた事に気付いたからだ。
 紗也の想いを聞いてしまったからには決断しなければならない。今まで通り、主従の関係を貫き通すのか、それとも紗也の想いに答えて主従の一線を越えるのか。
 一線を越えれば、自分の想いは叶う。だが、一線を越えるにはかなりの勇気と覚悟が必要となる。紗也と共に国の未来を背負う覚悟が。
 そして自分にその資格がある事を、塔矢を含む先代からの重臣たちに認めてもらわなければならない。
 いずれそう遠くない将来、真剣に向き合わなければならないだろう。
 和成はつないだ紗也の手をしっかりと握り返す。
 だが、今はまだ、周りにいる普通の恋人たちのように、つないだ互いの手のぬくもりを感じながら、目の前を通り過ぎる光と音の幻想に酔いしれていたかった。



(第三話 完)




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