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第4話 月下の宴

1.不穏な春



 雲ひとつない夜空に、丸い月がぽっかりと浮かんで辺りを明るく照らしていた。
 月光に照らされどこまでも続く銀色の砂浜を和成は裸足で歩いている。傍らには同じく裸足の紗也がいた。
 耳に聞こえるのは、静かに打ち寄せる波の音と、砂を踏む二人の足音だけ。
 和成は立ち止まり、月光に揺らめく暗い水面を眺めた。紗也が腕に掴まり満面の笑顔で和成を見上げる。
「ずっと一緒にいてね」
 和成は静かに微笑んで、紗也を抱き寄せた。
「もちろんです。誓ったではないですか。あなたとあなたの国を一生お守りすると」
 あの夜と同じ、紗也のぬくもりと匂いを感じながら目を閉じる。
 目を開くと、自室の天井が見えた。夢を見ていたらしい。
 紗也と共にある未来など考えるだけ愚かだった頃には、決して見る事のなかったような夢。
 あの暗い水面は海だったのだろうか。いつだったか、平和になったら見に行きたいと紗也が言っていた。戦のない平和な世になったら海を見に行こう。
 我知らず、涙があふれて枕を濡らしている事にふと気付く。涙などとうに涸れたと思っていたのに。
 久しぶりに姿を見せた月の光が窓から差し込み、部屋の中を青白く照らしていた。
 夜明けにはまだ程遠い。
 和成は目を閉じると流れる涙もそのままに、あまりにも平和で幸せな夢の余韻にしばし浸っていた。



 雪解け水が山野を潤し、残雪の隙間から野草が芽吹く頃になると、杉森国は平和な冬から一気に緊張の春を迎える。
 冬の間に力を温存していた近隣の国々が、一斉に不穏な動きを見せ始めるからだ。
 雪の降らない国同士の小競り合いは冬の間にもあるが、どこの国も当面の標的は目の上のたんこぶ杉森国である。おまけに今年はさらに注目を浴びていた。
 浜崎国境での惨劇がすでに尾ヒレを伴って秋津全土に広まっていたからだ。
 杉森国が負け戦知らずなのは、鬼神の申し子である和成を軍師に頂いたため、鬼神の加護を得ているからだという。そのため、杉森を制すものが秋津を制すとまで言われるようになってしまった。
 おかげで和成はますます丸腰で外を出歩けなくなり、以前にも増して城に引きこもるようになった。



 その日和成は佳境を迎えていた技術局の仕事が一段落して、久々の休暇を城の自室でのんびり過ごしていた。
 机に向かい本を読んでいるところへ、机の上に置いた電話が鳴る。
『やっと捕まった。雪祭りからこっち何やってたんだよ』
 苛々したような右近の声が聞こえた。
「悪い。技術局に缶詰になってたんだ。怪我で休んだりしたから進捗遅れてて」
 和成が笑って答えると、右近はひとつため息をつく。
『ま、いいや。今日休みだろ? 夕方会えるか?』
「うーん」
 和成はうなって、少し考えながら天井を見上げた。
『なんだよ。用事でもあるのか?』
「いや、そうじゃないけど……。まあ、おまえなら大丈夫か。丸腰で来るなよ」
 それを聞いて右近は、驚いたように頭のてっぺんから声を出す。
『はぁ?! なんで?!』
 和成は読みかけの本に栞を挟んで閉じると、椅子の背にもたれた。
「浜崎国境での事件以来、ヤバイんだ。何度か城の用事で城下に出た事あるんだけど、時々視線や殺気を感じる。妙な噂が秋津全土に流れてるし。俺と一緒にいるとマジで死ぬ目に遭うかもしれないからな。自分の身は自分で守ってくれ」
『やれやれ。おまえと会うのは命がけかよ。じゃ、六時にな』
 おおげさなため息と共に、右近の電話は切れた。
 時計に目をやると、時刻はちょうど午後二時。
 和成は電話を机の上に置き、刀を持って道場へと向かった。




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