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3.ためらい 無事城にたどり着く頃にはすっかり酔いも醒めていた。正門をくぐり前庭に出ると、和成は立ち止まって空を見上げる。 日に日に暖かくなってきた夜風がふわりと髪をなでていった。 空には春霞で輪郭のぼやけた月が、満月に向けてふくらみ始めている。中庭の桜もつぼみがふくらみ始めている。 満月の時に桜が満開になったら、花見酒と月見酒が同時に味わえるなと少し楽しみに思いつつ和成はクスリと笑った。そして城に向かって再び歩き始める。 足元を見つめて歩きながら考えた。塔矢に「おまえを”殿”とは呼びたくない」といわれた事。 紗也の想いが自分に向く事などありえないと思っていたあの頃は、こんなに重い事だとは知らなかった。この重みに紗也はひとりで耐えていたのだ。 君主としての自覚が足りないと、紗也に毎日怒鳴っていた自分の方こそ何もわかってはいなかった。 もう一度塔矢に聞いてみたい。今も自分は”殿”と呼ぶに値しない人間なのか。 だが、そのためには紗也が塔矢に自分の気持ちを話したのか確かめる必要がある。 塔矢がいる執務室に出向いて聞くのも本末転倒だし、居室を訪ねるには紗也の許可がいる。そしてそれは女官たちに伝えられるのだ。 和成の方から訪ねて行ったとなると、噂好きの女官たちから妙な勘ぐりを入れられるのは想像に難くない。かといって許可の必要な居室に、いつものごとく怒鳴り込むわけにもいかない。 電信で尋ねるのも無理だ。軍用無線電話の通話や電信の履歴は、制御用電算機に一定期間蓄えられている。 誰に見られても差し支えのないものしか送れない。黙認されてはいるが基本的に私用での利用は禁止なのだ。 どうにか紗也と二人きりで話せる方法はないものか、和成は考えあぐねていた。 城内に入り、自室へと続く廊下を進む途中で、和成はギクリとして足を止めた。 自室前の中庭へと降りる石段に人影が座っている。人影は和成に気付くと廊下へ上がり、小さな身体をめいっぱい伸ばして仁王立ちとなった。 和成はゆっくりと人影のそばまで歩み寄り、ひとつため息をついて問いかける。 「紗也様。ここで何をなさってるんですか? ひとりで私の部屋にいらしてはなりませんと塔矢殿に言われているじゃないですか」 紗也はそれには答えず、和成を睨んで逆に問い返した。 「どうして電話に出ないの?」 「え? 電話なさったんですか? 全く鳴ってませんけど……」 そう言いながら懐に手を突っ込んで和成は一瞬固まる。 「失礼します!」 一言断って部屋の中に駆け込むと、真っ暗な部屋の中で机の上に放置された電話が着信を知らせる合図をピカピカと点滅させていた。 手に取り開いてみると、着信履歴には間に塔矢や女官長の名前を挟んで”紗也様”がズラリと並んでいる。 電話を掴んで項垂れたまま、和成はゆっくりと部屋を出てきた。チラリと紗也の怒った顔に視線を送った後、深々と頭を下げる。 「申し訳ありません! 電話を部屋に置いたまま出かけておりました」 身体を直角に折り曲げた和成の頭を見下ろして、紗也が冷ややかに言い放った。 「命を狙われてるかもしれない人が、緊張感足りないんじゃないの?」 「本当に申し訳ありません」 もう一度謝って、和成は恐る恐る顔を上げる。 「あの……また女官たちを眠らせていらしたんですか?」 和成が尋ねると、紗也は憮然として答えた。 「ちゃんと話してきた。どうしても和成に一言言ってやらないと気が済まないからって。女官たち笑ってたわ」 和成は一息安堵のため息を漏らして問いかける。 「何か、お急ぎのご用だったのでしょうか?」 チラリと和成を見た後、紗也はふてくされたようにそっぽを向いた。 「別に。和成が休みだって塔矢に聞いたから、久しぶりにゆっくり話をしようと思っただけだし」 「本当に申し訳ありませんでした」 和成が再び頭を下げた時、手の中で電話が鳴った。多分、右近だろう。そう思って放っておいたら紗也が言う。 「出たら?」 うるさく鳴り続ける電話に目を向けると、やはり右近のようだ。切ってやろうかとも思ったが、紗也に断りを入れてとりあえず出る。 『おぉ。無事に帰り着いたぞ』 呑気な右近の声が聞こえた。 「悪い。今、取り込み中なんだ。また後で連絡する」 和成がそう言うと、右近がさらに呑気な声で付け加える。 『あぁ。そう言えば言い忘れてたけど、おまえと会う直前に塔矢殿から電話があったぞ。おまえの居場所を知らないかって。今から会うって言ったら、それならいいって切れたけど』 和成は思わず舌打ちした。 「おせーよ。とにかく、また後で」 電話を懐にしまって、和成は再び紗也に視線を向ける。黙って見つめていると、紗也の不機嫌そうな顔が、徐々に泣きそうな顔に変わっていった。 実のところ紗也は、和成が電話を部屋に置いたまま出かけている事も、右近と会っている事も知っていた。 電話をかけても通じないので自分の電話がおかしいのかと塔矢や女官長にかけてもらい、それでも通じないので塔矢に調べてもらったのだ。 和成が城内から姿を消して行方がわからないというので、ちょっとした騒ぎになっていたらしい。 結局、和成の交友関係の狭さが幸いし、すぐに行方が判明したため大騒ぎにはならなかった。 泣きそうな顔の紗也が和成を睨んで言う。 「心配したんだからね。また、さらわれたり怪我したりしてるんじゃないかって」 「申し訳ありません」 和成はもう一度頭を下げた。 「今後はこんな事がないように気をつけてよ」 「はい。肝に銘じておきます。今日はもう遅いので、この埋め合わせは明日にでも改めていたします」 和成が頭を下げたままそう言うと、紗也の明るい声が返ってきた。 「じゃあ、質問! 和成は今何回謝ったでしょう?」 「は?」 予想外の質問に思わず気の抜けた返事をして顔を上げると、紗也は先ほどとは打って変わってニコニコと楽しそうに笑っている。 一応質問の答えを考えてみたが、覚えていない。仕方がないので降参した。 「……申し訳ありません。覚えておりません」 和成が項垂れると、紗也は得意げな笑顔で和成を指差した。 「今の入れて五回。和成にお説教するなんて貴重な体験させてもらったから気が済んじゃった」 その無邪気な笑顔に、和成もつられて思わず笑う。 「言われてみれば、あなたに説教されるのは初めてのような気がします」 紗也は笑顔で和成を見上げると、そのまま胸にすがりついた。 「和成が無事に帰ってきてよかった」 鼓動の高鳴りと共に紗也を抱きしめたい衝動にかられ、自然に腕が持ち上がる。――が、同時に後ろめたさもこみ上げてきて動きが止まる。 紗也の想いに対する結論を見いだせないまま、中途半端な気持ちのままで感情に流される事がためらわれた。 持ち上げた両手をそのまま紗也の肩に添えて、ゆっくりと身体を突き放す。 紗也が不思議そうな顔をして和成を見上げた。 「……ぎゅって、してくれないの?」 和成は紗也を見つめて苦笑する。 「いたしかねます」 「塔矢に殴られるから?」 和成はそれには答えず、問い返した。二人きりのこの機会を逃せば、次にはいつ尋ねる事ができるかわからない。 「塔矢殿にお話しになりましたか?」 「何を?」 「あなたのお気持ちです。ご自分でお話しになるとおっしゃったではないですか」 和成の言葉を聞いて、紗也は俯いた。 「ううん。まだ」 和成はひとつ嘆息して紗也から目を逸らす。 「私は塔矢殿を尊敬しております。塔矢殿は私のあなたに対する想いを知った後も、私がこうしてあなたのお側にお仕えする事を黙認しています。人手不足もあるとは思いますが、私を信頼してくれているのだと思います。たとえ、あなたの同意の上であっても、塔矢殿の知らない所で不用意にあなたに触れる事は信頼を裏切る事になります」 すでに一度裏切っている。あの時は二度と紗也を抱きしめることは叶わないだろうと思っていた。だから心に刻む思い出が欲しかったのだ。 だがその事実は、その後塔矢の顔を見るたび、後ろめたさにチクリと胸を刺す。 紗也が和成の腕を両手で掴んだ。和成は驚いて紗也を見つめる。 「和成は、塔矢が反対したら私の想いを無視するの? 嬉しいって言ったのはウソなの?」 まっすぐに見つめられ、かえって目が逸らせなくなった。 「ウソではありません。ただ、塔矢殿にウソをつきたくないんです」 紗也はひとつため息をつくと、和成の腕を離して目を逸らした。 「なんとなく和成がためらってる理由はわかる。私が”杉森紗也”だからだよね」 和成は何も答えられない。 しばらく二人は黙って立ち尽くす。少しして紗也が俯いたまま問いかけた。 「ねぇ、和成。私って重い?」 「いいえ」 あまりに軽く和成が即答するので、紗也は面食らって和成を見つめる。 「この間背負った感じでは軽すぎるくらいです」 紗也は目を細くすると、眉間にしわを寄せて苛々したように腕を組んだ。 「誰が体重の話してるのよ」 「違うんですか?」 きょとんとして首を傾げる和成に、さらに苛ついた紗也はくるりと背を向ける。 「もういい! おやすみ!」 そう言って渡り廊下に向かう紗也の背中に和成が問いかけた。 「紗也様。明日はいつお話にお伺いしましょうか?」 紗也は一瞬立ち止まる。 「来なくていい!」 背中を向けたまま言い放ち、そのまま渡り廊下の向こうに姿を消した。 和成はそれを見送った後、自室へ戻り手ぬぐいを持って風呂へ出かける。 風呂から戻ると机の上の電話が光っていた。紗也からの電信だ。 ”やっぱり夕食後、部屋に来て” 和成は思わずクスリと笑った。こういうところはやっぱりかわいい。 ”かしこまりました”と返信して電話を置いた。 寝台に寝転んで窓の向こうの月を見つめる。 冗談でごまかしたが、いつまでもごまかしているわけにもいかない。紗也が塔矢に話したらイヤでも決断を迫られるだろう。それまでには覚悟を決めなければならない。 和成は大きくため息をつくと、ふと思い出して右近に電話をした。 |
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