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8.忍び寄る悪夢



 昼前に和成たち後方支援部隊は東方砦に到着した。砦の警備部隊に出迎えられ、すぐさま情報処理部隊と共に中央司令所へ向かう。
 司令所で紗也と共に挨拶をし、斥候と前線部隊の報告を待って昼過ぎに紗也の合図で開戦した。
 三時間くらい経過した頃、刻一刻と移り変わる巨大な戦況図を眺めながら誰にともなく和成がつぶやく。
「なんか、おかしい……」
 杉森軍の五倍はある兵力を有する同盟軍が、退きはしないものの攻め込んでも来ないのだ。何か重要な作戦のために機会を窺って時間稼ぎをしているように思えてならない。
 和成は情報処理部隊長に問いかけた。
「隊長。何か不穏な動きがあるとか、報告は入っていませんか?」
「いいえ、通常の戦況報告しか見受けられませんが……。どうだ?」
 隊長は自分の前にある端末機の画面を確認した後、隣の兵士に尋ねる。尋ねられた者は端末を操作し、敵陣に散っている斥候の現状況や情報の送信履歴を確認した。
「はい……。特に変わった情報は何も……。あれ?」
「どうした?」
 彼が画面に顔を近づけて送信履歴をぐるぐると何度も確認し始める。それを見て隊長が横から覗き込んだ。
 彼はひとしきり画面を眺めた後、隊長に告げる。
「ひとりだけ、一度も情報を送信していない者がおります」
「何?」
 隊長が驚いて再び画面に視線を戻した。
「敵の手に落ちたんでしょうか?」
 二人のやりとりを聞いて和成が問いかけると、兵士は悩ましげに首を傾げ、言葉を濁す。
「……いや……。彼の現状況から見てそれはないと思うんですが……」
 和成も首を傾げているところへ、別の兵士が隊長に向かって叫んだ。
「隊長! 城の電算室から緊急入電です!」
「合戦中だ! 軍事に関わりのない事なら切れ!」
 苛々した口調で叫び返す隊長へ、兵士は困惑した表情で続ける。
「それが……。関係あるんじゃないかって言ってるんですけど……」
「なんだ、その曖昧さは……」
 隊長は気が削がれて、訝しげに眉を寄せた。
「音声を切り替えて、つないで下さい」
 和成の指示に従い、司令所内に城からの電話の声が流れる。
 それによると、昨日まで技術局で使用していた新型無線電話制御用主機の試験機に、五時間前から戦略主機本番機宛の情報が送信され続けているという。
 電算室にある各主機は電源が自動起動になっているので、戦のために使用が停止しているはずの制御用主機に、情報が送信されているのに気がついたのはつい先ほどだった。
 技術局に問い合わせたところ、現在情報の送信試験は行っていないという。そこで連絡してきたらしい。
 もしかして、先ほど話題に上った斥候からの情報が城に送信されていたのではないかと、和成と隊長が話していると、別の兵士が叫んだ。
「斥候から入電です!」
「斥候から?!」
 司令所内のほぼ全員が驚いて問い返す。
 斥候は合戦中、敵陣深く侵入している事が多い。常に敵に見つかる危険に晒されているので、音声通信を行う事はまずない。
 写真や録音した音声等の情報通信の他、大半は文字による電信である。その文字も入力を迅速に行えるように記号や数字の組み合わせによる短い暗号になっていて、戦略主機内の解読命令を通じて人の読める文章に変換される仕組みになっている。
 隊長が電話を受けて話を聞くと、彼に戦況図が送られてこないと言う。何度も電信で要求したが返答がないので電話が故障しているのかと思い、連絡してみたらしい。
 和成が彼に問いかけた。
「その電話の機種番号は何ですか?」
『九二三です』
 和成は額に手を当て、目を閉じる。
「……新型です。その電話はもう使わないで下さい。予備の電話を持っていないなら、前線から撤退して下さい」
 斥候が了承して電話を切ると、和成は城の電算室に指示を出した。
 通常、無線電話から送信された情報は制御用主機を介して即時、宛先へ送信されるようになっている。しかし、新型無線電話は試験中のため、一旦主機に情報が蓄積され、手動で送信処理を行わない限り宛先に送信されない設定になっていた。
「佐矢子殿が操作方法を知っているはずです。すぐに全情報をこちらに送信して下さい」
 ごたついていた間、幸いにも戦況にはほとんど動きがない。
 程なく城から五時間分の情報が続々と送られてきた。
 和成は今回も隣に座った慎平に指示を出す。
「慎平。他の事はいいから、この情報の確認に集中してくれ。戦況報告以外で気になる情報があったら知らせて」
「わかりました」
 慎平が情報の確認作業に入り、和成は再び戦況画面に視線を戻した。



 夕方から降り始めた雨は、日が沈む頃には雷を伴って激しさを増してきた。
 戦況は未だに一進一退を繰り返している。激しい雨のせいで兵の士気も下がっているだろう。
 兵力で圧倒的優位に立つ同盟軍が、そこを狙って一気に攻め込むためにこの雨を待っていたのかと思いきや、そういうわけでもないらしい。
 和成は何か釈然としない、もやもやとした妙な胸騒ぎをかかえていた。
 この雨を利用する気がないのなら余裕のある同盟軍は無駄な消耗戦を続けるより、一時的に退却するだろう。こちらも退却の準備に入るべきか。
 和成が戦況図を見つめて考えていると、横から紗也がおずおずと尋ねてきた。
「あの……、和成。今、どっちが勝ってるの?」
「五分五分ですかね」
「……そう。じゃあ、いいかな」
 紗也がなんだかモジモジしている。
「どうかなさいましたか?」
 和成が不思議に思って尋ねると、紗也は気まずそうに上目遣いで見つめた。
「お手洗い、行ってもいい?」
「もしかして、我慢なさってたんですか?」
「だって、司令所から出ないようにって隊長たちがお願いしてたし」
 和成は思わず目を閉じてため息をつく。
「そういう生理的欲求は別です。すぐお行きになって下さい」
「うん」
 勢いよく立ち上がり、紗也は出口に向かって駆けだした。その背中に和成が釘を刺す。
「迷子の馬を見かけても追いかけないで下さいよ」
 紗也は立ち止まって振り返ると頬をふくらませて
「わかってるわよ」
と言うと、司令所を出て行った。
 出て行く紗也を見送りながら、兵士たちが少しの間クスクス笑う。
 和成が戦況図に視線を戻したと同時に、隣から慎平が声をかけた。
「和成殿。ひとつ気になる情報を見つけました」
「どれ?」
 身を乗り出して和成は、慎平の前の画面を覗き込む。
 その情報は、浦部の陣営から弓を携えた兵士がたった一人で激戦地を迂回して、杉森の本陣の方へ向かっているというものだった。
「たった一人で隠れるように移動してるって、刺客じゃないですか?」
 慎平が不安げな顔で和成を見つめる。
「紗也様? なわけないよな。敵にはうちに総大将はいない事になってるし。てことは俺?」
 自分を指差す和成に、慎平がため息混じりに答えた。
「でしょうね。他人事のように言わないで下さい」
「いつ出たって?」
「浦部の陣営を出たのは三時間ほど前です」
「まずいな。そろそろ来る頃じゃないか? 警備に知らせとかないと」
 和成は立ち上がって隊長に報告すると、懐から電話を取りだし警備隊長に連絡をした。



 お手洗いから司令所に紗也が帰ってきた。
 入口を一歩入った時、視界の端で何かが光る。
 気になってそちらへ目を向けると、窓がほんの少し開いているのが見えた。開いた窓の隙間から弓につがえられた矢尻が覗いている。
 咄嗟に周りを見回したが誰も気がついていないようだ。
 弓がゆっくりと引き絞られ、矢尻の先がまた光った。
 いやな予感に鼓動が激しくなる胸を押さえて、矢の狙う先を視線でたどる。
 そこには、電話をしている和成の背中があった。
 全身の血が凍り付くような錯覚に陥る。反射的に紗也はその名を呼びながら、和成に向かって全力で駆けだした。




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