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11.託された未来



 右近が尋ねてきた後、更に二日が過ぎた。和成は依然として謹慎中である。
 戦の日からずっとはっきりしない天気が続いていた。日中も日が照る事はほとんどなく、夜に月が出た事は全くない。和成はあの日以来、なんだか月に見放されてしまったような気がしていた。
 今日も朝から雨がしとしとと降っている。何もやる事がなく、やる気にもならない和成は、自室前の廊下に座って、中庭にそぼ降る雨をぼんやりと眺めていた。
 戦の前に七分咲きだった桜は、もうすっかり葉桜になっている。満開になったところを見たかどうかも覚えていない。
 気力もなく紗也の事を忘れたわけでも悲しみがなくなったわけでもないのに、案外普通に生活している。いっそ心を手放してしまえたならどれだけ楽だろうとすら思うのに、意識はこの世界にとどまっている。
 悲しみのあまりに気が狂れてしまった人の話はよく聞くが、自分の想いはその域にまで達していないということなのか。なんだかまた自分の気持ちがわからなくなってきて、ひざに顔を埋めた。
「いいかげんヒマをもてあまし始めただろう」
 突然声を掛けられて見上げると、塔矢が横に立っていた。和成は立ち上がろうとして腰を浮かせる。するとその前に塔矢が隣に腰を下ろした。
「少しは気持ちが落ち着いたか?」
 塔矢の問いかけに、和成は自嘲気味に笑う。
「元々落ち着いています。私は薄情なんです。あんなに愛していたのに、今もその想いは変わらないのに、紗也様のために一度も涙を流していないんです」
「俺も涙は流していないぞ。だからといって紗也様の死を悼んでいないわけじゃない」
 和成が黙り込むと、塔矢は話題を変えた。
「戦が終わったら俺に話があるんじゃなかったか?」
 和成は言い淀む。
「今となっては、もうどうでもいい事です」
「いいから話してみろ」
 塔矢に促されて、和成はポツポツと話し始めた。
「戦の前日、紗也様に結婚を申し込みました。塔矢殿には事後報告になってしまいましたが、紗也様が塔矢殿には自分が話すとおっしゃってたので私が先に話すわけにはいかなかったんです。けれど、塔矢殿に話があると言った時にはもう心は決めていました。たとえ塔矢殿や他の重臣たちに反対されても、認めてもらえるように自分を高めていこうと。それをお話ししたかったんです」
「そうか。それであの夜、想いはとげられたのか? 一夜を共にしたんだろう?」
 サラリと問いかける塔矢に和成は思いきり動揺する。
「どういう意味ですか。確かに一夜は共にしましたけど、塔矢殿が考えているような事は何もありませんよ。ってか、どうして知ってるんですか」
「あの日、女官長から問い合わせがあったんだ。紗也様とおまえの関係を知っているかと」
 戦の前日紗也は、翌朝自分が呼ぶまで部屋付きの女官を全員居室から下がらせるように女官長に命を下したのだ。
 部屋付きの女官は多少武術の心得のあるものが務めているので、夜間誰もいなくなるのは物騒だと女官長は難色を示した。すると紗也は護衛の和成が一緒だから大丈夫だと言う。
 女官長が夜に男性を自室に招き入れるという事が何を意味するのかわかっているのかと問いかけたところ、和成を伴侶として迎えるつもりなので、和成が求めるなら応じると答えたらしい。
 女官長としては正式な結婚の前に深い間柄になるのはよしとしないのだが、翌日から戦が始まり、いつ終わるともわからない上に、和成は軍人なので戦に出れば命を落とさないとも限らない。いつ正式な婚儀が執り行えるかわからないので、紗也の意を汲み、事実婚という形で了承した。
 とはいえ、女官長の一存で決めるわけにもいかない。そこで、紗也の補佐官であり、和成の上官でもある塔矢に問い合わせたのだ。
 塔矢はその時、すでに紗也から和成に結婚を申し込むという話を聞いていたので、女官長には紗也の意思を尊重すると告げた。
「おまえはあの夜、紗也様と結婚した事になってるんだ」
 話を聞いて和成はピンと来た事があった。
「あ、もしかしてあの朝の気合いの一発って、私と紗也様が一夜を共にしたからですか?」
 塔矢はニヤリと笑って腕を組む。
「父親としては、娘を奪った男は一発殴っとかないとな」
 和成はガックリと肩を落とした。
「殴られ損じゃないですか。何もしてないのに」
「本当に何もしてないのか?」
 塔矢が疑わしげに和成を見つめる。ウソがつけずに和成はポロリと白状する。
「う……、すみません。口づけしました」
「それから?」
「それだけです。あとは朝まで手をつないで眠りました」
 塔矢は少しの間探るように和成を見つめた後、問いかけた。
「やり方がわからないとか言うんじゃないだろうな」
「やり方がわからないのは切腹です。今度こそ教えて下さいよ」
 顔をしかめる和成に、塔矢は軽くため息をつく。
「そう死にたがるな。せっかく紗也様が助けて下さった命じゃないか」
 和成にはそれが一番つらかった。自分のために紗也は命を落としたのだ。俯いて、それでも力なく反論する。
「塔矢殿が二度目はないと言ったんじゃないですか」
「おまえに死なれたら国が困るんだ」
 相変わらず塔矢の言う事は意味がわからない。思わず顔を上げて訝しげに見つめた。
「どういう事ですか?」
「単純な事だ。おまえは君主と結婚したんだ。その君主亡き後、おまえが君主だからだ」
 和成は思いきり目を見開く。しばらくの間固まって言われた事を反芻した後、大声を上げた。
「はぁ?! なんで?! だって結婚と言っても女官長と塔矢殿が認めただけの事実婚で……えぇ?!」
「驚きすぎだろう。おまえはその覚悟を決めてたんじゃなかったのか?」
 呆れたように言う塔矢に、和成は拳を握って力説する。
「私は紗也様をお助けしてお支えする覚悟を決めただけで、自ら君主になろうとは微塵も考えておりません」
 塔矢は目を細くして和成の頭を小突いた。
「大威張りで言うな。紗也様に結婚を申し込むなら、そのくらい考えろ」
 和成は小突かれた頭を押さえて反論する。
「でも、大臣たちは認めてないんでしょう?」
 塔矢は和成を横目で見ながら口の端を上げると、懐から書類を出して和成の目の前に突きつけた。
「おまえを伴侶とし自分と同等の権限を与える、という紗也様直筆の署名入り公式文書だ。大臣どもは全会一致で承認している。こっちが大臣たち承認の署名だ」
 そう言って塔矢は、重ねられたもう一枚の書類を広げて見せる。
 和成は目の前の書類を凝視した後、再び大声を上げた。
「聞いてません! いつのまにこんなもの……」
「そんなはずはない。何か聞き逃しているんじゃないのか?」
 塔矢は書類を畳みながら和成の顔を覗き込む。
 和成は必死で記憶をたぐり寄せた。何かを聞いたとしたらあの花見の夜だ。
 そして……。
「……あ! もしかして、あれ……」


「私の全部を和成にあげる」


 塔矢が和成を指差した。
「それだ。おまえ、(しも)の意味でしか捉えてなかったんだろう」
「だってあの状況で言われたら、そんな重要な意味があるとは思えませんよ」
 それを聞いて、塔矢が興味深そうに問いかける。
「どんな状況だ?」
「……口づけの後です」
 塔矢は額に手を当て目を閉じた。
「下の事考えておきながら、どうして据え膳を据え置いたままにするんだか。だから未練が残るんだろう」
「そんな事言われても……」
 ふてくされたようにそっぽを向く和成を横目に、塔矢はひとつため息をつく。
「まぁいい。それでおまえ何と答えたんだ?」
「喜んで、拝受いたします、と」
 塔矢はニヤリと笑って和成を見つめた。
「決まりだな。明日就任式だ。明日からは”殿”と呼ばせてもらおう」
「塔矢殿は私を”殿”と呼びたくないのでは?」
 驚いて尋ねる和成を見つめて、塔矢は静かに笑う。
「なんだ、気にしてたのか。あの頃のおまえだったらな。他人の心を汲み取れない、自分の事すらわからない。いくら智謀に長けていても、そんな奴に国を任せられるか。だからあの時紗也様にもふられただろう」
「そう言えば、そうでした」
 それを思い出して、和成は力なく肩を落とした。
「でも、大臣たちはどうして私を認めてくれたんでしょう」
「結論から言えば、紗也様が選んだ男だからだ。紗也様の人を見る目をあのおやじ共は評価している。おまえは知らないだろうが、先代はその才に長けた方だった。その先代が選んだのがあの大臣たちだ。考えても見ろ。あの老練なおやじ共にかかれば紗也様のような小娘ひとたまりもないはずだ。謀反(むほん)を起こしてどこかに幽閉されるか、処刑されるか。或いは自分に都合のいい奴と結婚させて傀儡(かいらい)にしてしまうか。そうなってないのは先代に人を見る目があったからだ。大臣たちは先代を心底尊敬し、絶対的な信頼を寄せている。その娘である紗也様に対しても同様だ」
「塔矢殿も先代に選ばれたんですか?」
「俺は紗也様に選ばれた。当時七歳のな」
 和成は納得して微笑んだ。
「あぁ、それで紗也様の人を見る目が評価されているんですね」
「他にもいるぞ。総務部長とか」
「私はてっきり、私を死なせないために塔矢殿が裏工作でもしたのかと思ってました」
 塔矢はうんざりしたように顔をしかめる。
「俺はあの中じゃ一番下っ端の若造なんだ。俺の裏工作ごときがあの狸おやじ共に通用するわけないだろう。何より大臣たちは俺以上に紗也様を溺愛している。紗也様には紗也様の望む相手と結婚してもらいたいと常々思ってたらしい」
 話を聞いて和成は悟った。紗也はちっとも不憫ではなかった。こんなにも皆に愛され守られていたのだ。
「紗也様が選んだから、私が認められたわけですか」
 呆然と見つめる和成を見据えて塔矢は告げた。
「だが、完全に認められたわけじゃないぞ。今のところはおまえ自身ではなく、紗也様の目が承認されたにすぎない。大臣たちはおまえを見極めようとしている。君主の命に背く事はないが、紗也様と同じように何もかも無条件で手助けしてもらえると思ったら大間違いだ。紗也様がおまえを選んだ事を間違いではなかったと証明して見せろ」
 そして塔矢はいたずらっぽく笑って付け加える。
「それに、好きだろ? こういうこと」
 しばらくの間、黙って塔矢を見つめていた和成の目から(せき)を切ったように涙があふれた。
「……なんて、ひどい女。ずっと一緒にいてって言っておきながら、こんな面倒で重い事、俺一人に押しつけてさっさと一人で逝くなんて。やるなって言う事やるし、わかったって言いながらちっともわかってないし、最後まで俺の言う事聞いてくれなかった。護衛の俺をかばって死ぬなんて、いやがらせも甚だしい……」
 塔矢は思わず嘆息した。
「それ以上言ったら化けて出るぞ」
 和成は俯いて涙をこぼしながら続ける。
「化けて出たってかまわない。もう一度会えるなら。怒鳴ってばかりいないで、もっと優しくしていればよかった……。もっとわがまま聞いて差し上げれば……」
 俯いて涙をこぼし続ける和成の頭を、塔矢は黙ってクシャクシャとなでる。
 いつのまにか雨が止んで、西に傾いた太陽が空を茜色に染めていた。
 塔矢は立ち上がって空を眺めながら目を細める。
 夕焼け空にうっすらと虹がかかっていた。




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