前へ 目次へ 次へ
3.



 首筋で寸止めされた刃に視線を向けると、緊張した面持ちで月海は呟いた。
「……まいりました」
「そこまで!」
 塔矢の合図で和成は刀を退いて鞘に収めた。月海も刀を収め互いに一礼すると、周りで見物していた隊員たちが月海に駆け寄ってきた。
「おまえの方から勝負を挑んだって?」
「知らないってのは命知らずだよなぁ。和成……殿に勝負を挑むなんて」
 口々にからかう古参の隊員たちに月海はムッとして答える。
「君主様の腕を知っていても挑んでいました。それに、ご自身の口からお強いと伺っておりましたし」
 古参の隊員、里志(さとし)は呆れたようにため息をつくと、月海の額を指で弾いた。
「おまえ、全然わかってないな。今の勝負、傍目にはいい勝負に見えたけど、殿は力半分も出していなかったぞ」
「え?」
 月海は少し里志を見つめた後、和成に尋ねた。
「本当ですか?」
「半分ってのは大袈裟だけど、全力でなかったのは認めるよ」
 和成が苦笑すると、月海は拳を握って和成を睨みつけた。握りしめた両の拳が小刻みに震える。
「バカにしないで下さい! 私は全力で挑みました! 女なんかまともに相手にできないってことですか?!」
「月海! 口を慎め!」
 怒鳴りながら和成に詰め寄る月海を、里志が押しとどめる。今にも掴みかかってきそうな月海を見据えて、和成は静かに問いかけた。
「君は私と勝負することが目的だったの?」
 月海はハッとして目を見開くと動きを止めた。
「私は君の実力を見るのが目的だったんだけど。だから君が実力を出し切る前に、全力で打ち負かすわけにはいかなかったんだよ」
 元々、自分の腕を見極めて欲しいと手合わせを申し出たことを月海はすっかり忘れていた。見当違いなことで和成を非難したのが途端に恥ずかしくなり、月海は赤くなって和成に深々と頭を下げた。
「申し訳ありませんでした。ご無礼をお許し下さい」
 少しして身体を起こすと、月海は俯いたまま和成に問いかけた。
「私は護衛失格ですよね」
「いや、合格だよ」
 弾かれたように顔を上げて見つめると、和成はにっこりと微笑んだ。少年のように無邪気な笑顔が月海の神経を逆なでする。
「……同情などいりません。相手の力量を見極めることもできない未熟な私など……」
 目を伏せて不愉快そうに呟く月海を、和成は眉を寄せてうんざりしたように見つめると、軽くため息をついた。
「弱い奴に同情したって意味がない。同情して弱い奴に護衛を任せたんじゃ、私の身を守ってはもらえないだろう?」
 月海は益々項垂れると力なく謝罪した。
「申し訳ありません……」
「そんなに気落ちする必要ないよ。今ここにいる中で私に勝てるのって、塔矢殿と里志殿だけだもの。君が二人に勝てるのなら落ち込んでもいいけどね」
 月海が驚いて顔を上げると和成はおもしろそうに笑っていた。
 最初から自分が勝てる相手ではなかったのだ。それがわかった途端、張り詰めていた気が一気に弛んだ。同時にからかわれたような気がしてちょっと不愉快になった。
「……結構強い程度の水準ではないじゃないですか。なのに、私ごときに真剣勝負だなんてお人が悪うございます」
 ふてくされて口をとがらせる月海に、和成は笑って右手を差し出した。
「君があんまり自信満々だったから、私もヤバイかなと思って。これからは護衛よろしく」
「……よろしくお願いいたします」
 月海は気まずそうに上目遣いで和成を見つめると、差し出された右手を握り返した。
「じゃ」
 そう言って和成は、通りすがりに月海の肩を軽く叩くと道場の出口へ向かった。
 月海は慌てて振り返ると、身体を直角に折り曲げて和成に深く頭を下げた。
「君主様! ご無礼の数々、誠に申し訳ありませんでした!」
 和成は振り向いて微笑むと、軽く手を挙げてそのまま道場を出て行った。その後を追うように、塔矢も道場を後にする。
 月海はしばらくの間、道場の出入り口を見つめて、ぼんやりと立ち尽くした。
 和成に肩を叩かれた時、肩にのしかかっていた何かが全て取り除かれたような気がした。そして、これまで感じたことのない不思議な心の高揚感を覚えた。
 胸を押さえて、その心地よさに目を細めると自然に口元が緩んだ。




前へ 目次へ 次へ


Copyright (c) 2009 - CurrentYear yamaokaya All rights reserved.