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2. 昼間塔矢に注意されたばかりで、さすがに今夜は来ていないだろうとすっかり安心しきっていた和成は、部屋の戸を開けて廊下に一歩踏み出した途端、石段に紗也の姿を見て心底驚いた。 驚いて後ずさりした拍子に入口の敷居に足を取られて転びそうになる。それと同時に、思い切り戸を叩いて派手な音を立てた。 「何騒いでんの?」 紗也がうるさそうに和成を振り返る。 和成は気を取り直して問い返した。 「紗也様こそ、昼間塔矢殿に注意されたではないですか。どうしてまた、いらしたんですか?」 紗也は気にもとめず笑顔で和成を手招きする。 「いいから、こっち来て。少し話そう」 和成は一息嘆息し、諦めて紗也の隣に座った。 「……また、女官たちを眠らせていらしたんですか?」 和成が問いかけると、紗也はひざを抱えて俯いた。 「申し訳ありませんが、私にはわざわざ女官たちを眠らせてまでいらっしゃる理由がわかりかねます。失礼ながらあなたがご自分でおっしゃるように大した用事ではないようにお見受けいたします」 その言葉に紗也は少しふてくされたような表情を浮かべ、横目で和成を見つめる。 「私と話すのイヤなの?」 「イヤな訳ではありません。わざわざご足労願わなくてもお呼び下されば私の方がお伺いいたしますと何度も申し上げてるじゃないですか。どうして、そうなさらないのか理由がわからないんです」 紗也は抱えたひざの上にあごを乗せてポツリとつぶやいた。 「二人きりの方がよかったの」 ドキリとして、和成は思わず紗也を見る。 「どうしても確かめたい事があって、女官たちや塔矢がいたんじゃわからない気がしたから」 理由を聞いてもさっぱり意味がわからない。訳がわからないのに先程の一言が効いていて、和成の鼓動は収まらない。 「何を確かめようとなさってたんですか?」 改めて理由を尋ねるも、紗也は笑ってごまかした。 「内緒。でも、だいたいわかったから今日で終わりにする」 和成がやっと平静を取り戻しかけた頃、紗也が和成にひざを向けた。そして身を乗り出しながら真顔で尋ねる。 「もうひとつ確かめたい事があるんだけど、いい?」 「なんでしょう」 和成が不思議そうに紗也を見ると、紗也は真顔のまま言い放った。 「私を抱いてくれる?」 「はい?!」 思わずのけぞって、頭のてっぺんから声が出た。 先程よりも三倍の早さで鼓動が早鐘を打つ。いったい何を言い出すのかと問いかけようにも頭は混乱し、身体は硬直して言葉が出てこない。 和成が黙っているので紗也は眉を寄せると、上目遣いに見つめながら問いかけた。 「ダメ?」 和成は相変わらず黙ったまま動かない。 「この間、和成に抱きしめられた時、自分が想像してたのと実際に感じた感覚が違ってたからびっくりしたの。でも、それって突然で驚いたからなのか、それとも突然じゃなくてもそうなのか、わからないの。だからもう一度ぎゅって抱いて欲しいの」 紗也の言葉はそのままの意味だった。考えてみれば強姦の意味も知らない紗也が、和成の考えているような意味でそんな事を言うわけがない。 勘違いがわかった途端、一気に全身から力が抜けた。両ひざの上に両腕を投げだし、身体を半分に折り曲げるほど項垂れて大きくため息をつく。 その様子を紗也が不思議そうに見つめた。 「どうしたの?」 和成は項垂れたまま、力なく答える。 「思わず違う事を考えてしまった自分の助平おやじっぷりに呆れてるだけです」 途端に紗也が好奇心に目を輝かせて詰め寄ってきた。 「違う事って何?」 「なんでもありません」 それについては追求されたくないので話を切り替える。 「先程おっしゃってた件ですが、ご容赦願います」 紗也が不服そうに口をとがらせた。 「なんで? 塔矢に殴られるから?」 「それもありますけど……」 和成は顔を上げて、チラリと紗也を見る。 「けど?」 紗也が邪気のない目で見つめながら先を促す。その目を正視できず和成は思わず顔を背けた。 「私の想いはご存じのはずでしょう?」 「知ってるけど」 和成の想いを知ってなお、無邪気で無防備な紗也に少し苛立つ。 「だったら察して下さいよ。そんな嬉しい事……。あなたに触れてしまったら離れたくなくなるじゃないですか」 吐き捨てるように言った後、照れくさくて顔が熱くなってきた。チラリと紗也を見ると不思議そうに目を丸くして和成を見ている。 「そういうもんなの?」 「他の人はどうだか知りませんけど、私はそうなんです」 顔を赤くしてふてくされたようにそっぽを向いた和成を、紗也は笑いながら指差した。 「かわいーっ」 いつものように怒鳴り返す気にもなれず、和成は黙って紗也から目を逸らす。 「じゃあ、取り引きしない?」 佐矢子に持ちかけられた取り引きを思い出して、和成は紗也を見つめながら身構えた。 「っていうか、共犯者になって欲しいの」 「どういう事ですか?」 「私はどうしても確かめたいから和成に抱きしめて欲しいの。でもその事は塔矢にも誰にも言わないから、和成も私が今夜ここに来た事を誰にも言わないで欲しいの」 和成は目を細くして紗也を見据える。 「私が離れなくなったら、どうなさいますか?」 紗也は微笑んで、軽く承諾した。 「いいよ。和成の気が済むまで離れなくて」 それから思い出したように苦笑して付け加える。 「あ、でも女官たちが目を覚ます前に帰らないといけないから、適当なとこで離れてくれるとありがたいんだけど」 和成は少し微笑んで紗也ににじり寄った。そして背中から左腕を回し、肩に軽く手を添える。ほんの少し紗也に触れただけなのに、どんどん鼓動が早くなる。 黙って見つめる紗也に、 「くれぐれも内密にお願いします」 と断って、ゆっくりと肩を抱き寄せた。 「うん。和成もね」 そう言って笑うと、紗也は和成の胸にもたれる。 紗也の温もりを感じて、和成の鼓動は益々早くなる。欲を言えば両腕で抱きしめたかったけど、そうすると本当に離れられなくなりそうな気がした。 何を確かめているのか、紗也は和成にもたれたままずっと動かない。 ふと見上げた空には、新月へと向かう弓張り月が、なんだか後ろめたい共犯者たちを静かに見下ろしていた。 ヒュウと冷たい夜風が二人の周りを吹き抜ける。 和成は一旦紗也から離れ、左手で上着を広げて、その中に紗也を包み込んだ。 「わぁ、あったかーい。上着と和成で二重にあったかーい。気持ちいー」 上着の中で紗也がはしゃぐ。 「眠らないで下さいよ」 「うん。大丈夫」 冷え切っていた紗也の身体が徐々に暖かくなってきた。 「確かめたかった事はわかりましたか?」 「うん。突然じゃなくても同じだった」 紗也の感じた感覚というのは結局なんだかわからない。 すっかりぬくもりを取り戻した紗也の身体を抱いていると、やはり離れ難くなってきた。 「あの……もう少し、このままでよろしいですか?」 問いかけると、紗也は微笑んで和成を見上げる。 「いいよ。あったかいし」 そう言って紗也は、再び和成の胸にもたれた。 紗也を抱いた左腕に少し力を込める。 「和成、ドキドキしてる」 和成の胸に耳をつけて紗也が囁いた。 「してますよ。あたりまえじゃないですか」 「ふーん。あたりまえなんだ」 そう言って紗也は小さく笑った。 このまま時が止まってしまえばいいのにと思いながら、最後に一度だけ両腕で紗也をぎゅっと抱きしめる。 しばらくそのままで、二度とないかもしれない至福の時を胸に刻み込むと、和成は紗也から離れた。 紗也は夢から覚めたばかりのような、うっとりとした表情でぼんやり和成を見つめる。 「そろそろ時間です。お部屋にお戻り下さい」 そう言って和成は、紗也の手を取って一緒に立ち上がった。 「今夜の事は二人だけの秘密だからね」 楽しそうに笑いながら、紗也は渡り廊下の向こうに消えて行った。 紗也のいなくなった上着の中が少し肌寒く感じられる。 二人で小さな秘密を共有した夜。今宵の事はきっと一生忘れられないだろう。 和成は廊下に立ち尽くしたまま、しばらくの間紗也の立ち去った渡り廊下の門を眺めていた。 (完) |
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