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4. 夕食後の仮眠から目覚めた進弥は、壁際にある机の上で二台のノートパソコンを立ち上げ、早速調査を開始した。 昼の間に調べた掲示板の過去ログからは、予想通りあいつの書き込みは一切出て来なかった。進弥もかつては一時間くらい経ったら自分の書き込みを削除していたので、あいつも同じように削除しているのだろう。 ただ、周りの反応から、課長が言っていたように、クリスマスに何かをやらかそうとしている事は分かった。詳しい事は本人が現れるのを待つしかなさそうだ。 時々更新ボタンを押しながら掲示板の記事を眺めていると、部屋の扉がノックされた。 時刻はもうすぐ深夜0時になろうとしている。真純はいつも十一時には布団に入るので、こんな時間に起きているのは珍しい。 返事をすると、扉の隙間から真純が顔を覗かせた。 「どうしたの?」 「気になって眠れないから、夜食持ってきた」 「え? 真純さんが夜食なの?」 笑顔で尋ねると、真純は眉を寄せて、両手に掴んだものを素早く差し出した。 「違うよ。はい」 進弥は椅子から立ち上がり、戸口まで行ってそれを受け取る。差し出された物は、ラップに包まれたおにぎりとステンレス製の水筒だった。おにぎりはまだ温かい。 「わざわざありがとう」 「それなら片手で好きな時に食べられるし。あと、少し寒いから温かいお茶」 「うん。ありがとう」 「何度も言わなくていいよ」 俯いて照れくさそうにつぶやくと、真純は背中を向けた。 「じゃあ、寝るから。おやすみ」 振り向きもせずそう言って、真純は部屋を出た。進弥は後を追って廊下に出る。 小さな背中が寂しげに見える。そしてふと悟った。昼間から真純が何を不安に思っているのか。 「真純」 進弥の声に、真純はピタリと立ち止まった。 「オレ、ここにいるから。絶対、どこにも行かないから」 「うん。わかってる」 小さな声でそれだけ言って、真純は自室に入っていった。 真純の様子は少し気になるが、あいつの様子も気になる。今は集中して仕事を終わらせる事が、真純の不安を取り除く事に繋がるはずだ。 進弥は気持ちを切り替えて部屋に戻り、パソコンの前に座った。 掲示板には常連たちが続々とやって来始めた。下品な雑談や日常の愚痴などで、盛り上がり始める。時々盗撮写真の投稿や、怪しいエロページへのリンクが書き込まれたりもする。 真純のおにぎりをかじりつつ、それらをぼんやり眺めながら、進弥はあいつが現れるのを待った。 おにぎりを食べ終わっても、あいつは現れない。進弥は隣のパソコンで自作ツールを立ち上げ、設定を入力した。 左手で時々更新ボタンを押しつつ、右手は隣のパソコンのリターンキーに乗せる。あいつが現れたと同時に、掲示板の記事が保存されているファイルを取得するためだ。 すでにファイルの在処は突き止めていた。リターンキーひとつで取り出せる状態になっている。 繋ぎっぱなしだと怪しまれるので、進弥のツールは接続からファイルコピーまでを一気に行うようになっていた。 このファイルには画面に表示されている記事の他に、IPアドレスやリファラーなど、接続元が特定できる情報が含まれている事を確認済みだ。 削除された記事は残っていないようだが、書き込まれた直後にファイルを取得すれば問題ない。 しばらくは緊張しながらそのまま待っていたが、あいつは一向に現れない。無意味でくだらない書き込みを見るともなしにずっと眺めていると、次第にまぶたが重くなってくる。 もう今日は現れないのかも知れないと思いながら、機械的に更新ボタンを押した時、唐突にあいつが現れた。 反射的に右手のリターンキーを叩く。進弥はツールの画面を凝視した。わずか数秒の動作時間がやけに長く感じる。 やがてコピー終了のメッセージが表示され、進弥はホッと息をつき掲示板の記事に目を移した。 シンヤ:クリスマスに大仕事が待っているので、それまで商売は休止します。 (てことは、こいつがここに現れるのはこれで最後?) 「冗談じゃない!」 叫んだと同時にキーボードを叩いていた。 シンヤ: 勝手に人の名前をかたるなよ。 無記名: え? 何者? 名無し: 偽者現るwww 通りすがり: てか、前の奴が偽者だろ 顧客: 俺、偽者からウイルス買っちまったよ...orz 名無し: ワロエルwwwwwww >顧客 途端に掲示板が、まるでチャットのように賑やかになった。だが外野ばかりであいつは? もう立ち去ったのだろうか。進弥が少し焦り始めた頃、再びあいつが書き込んできた。 シンヤ: ふーん。捕まったわけじゃないんだ。 シンヤ: 当たり前だろう。 シンヤ: なに? 気質になったわけ? シンヤ: おまえには関係ない。 無記名: おまえら、どっちがどっちかわかんねーだろ。 ダッシュ: じゃあオレ、シンヤダッシュ。 無記名: 偽者、切り替え早っ! 名無し’: じゃあ俺、名無しダッシュ。 通りすがり’: 俺、通りすがりダッシュ。 無記名: うけるwwwww シンヤ: うるさい外野! 痛い目見たくなかったら黙ってろ。 進弥が一喝すると、掲示板は水を打ったように静かになった。本物の”シンヤ”を知っている常連は、どんな痛い目に遭うか想像がつくからだろう。かつてシンヤに執拗に絡んできた奴が一人、実際に痛い目に遭っている。 少ししてダッシュが揶揄するように書き込んできた。 ダッシュ: お見事。さすが本物。 シンヤ: おまえ、クリスマスに何を企んでる? ダッシュ: 世界征服v シンヤ: ふざけるな。 ダッシュ: マジだけど? まあ、とりあえずは日本掌握かな。彼女がいれば不可能じゃない。 シンヤ: 彼女? (ハルコの事か?) ダッシュ: オレの彼女、深窓の令嬢なんだ。気位が高くて身持ちが堅くて、全然いう事聞いてくれないんだけど、この間ようやくプレゼントを受け取ってくれてさ。もうじき彼女はオレのものになる。 シンヤ: おまえの厨二な妄想が実現するほど世の中甘くないんだよ。オレの名前で勝手な事させるか! ダッシュ: おもしれぇ。阻止してみろよ。クリスマスまでは待ってやる。 シンヤ: そんなに待たせるか。 少し待ってみたが、ダッシュはそれ以降書き込んでこなかった。立ち去ってしまったようだ。更新ボタンを押したが記事は残されたままになっている。 二人がいなくなった事を見計らったかのように、外野たちはまた騒ぎ始めた。 進弥は念のためもう一度記事のファイルをコピーし、ブラウザを閉じた。 まさかいきなり本人と接触するとは思わなかったが、予想外の収穫はあった。 あいつがハルコに仕込んだウイルスは、情報を抜き取ったり外部にバラまいたりする類のものではないようだ。 おそらくハルコの自律思考エンジンを停止させ、意のままに操るためのウイルス。 朝になったら掲示板のファイルと共に、課長に報告する事にしよう。 時計を見ると三時を回っていた。今日はもう、あいつも現れないだろう。あいつはハルコの様子を監視しているはずだ。 今日の調査は終わりにして寝る事にする。ふと、真純の小さな後ろ姿を思い出した。 多分今から真純の部屋に行くと、眠りを妨げてしまうだろう。怒られるかもしれない。 それでも、自分が確かに側にいる事を知らせてあげたくて、進弥は真純の部屋へ向かった。 |
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