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第3話 過保護な執事




 週に二回、ザクロを後ろに従えたまま、会社帰りに近所のスーパーで買い出しをする。
 食事を作るのはザクロなので、欲しい食材を一緒に選んでもらうのだ。
 私はカートの中に自分の食べたいものを放り込み、電話をかけている振りをしながらザクロに尋ねた。
「他に何か必要なものある?」
「米ぬかって売ってますか?」
「どうかな。捜してみるけど、何するの?」
「余った野菜を漬け物にしようと思います。頼子ひとり分の食事だと、どうしても余ってしまうので」
「ぬか漬け作ってくれるの? やったー。私、キュウリのぬか漬け大好き」
「胡瓜、ですか……」
 一気にテンションの上がった私とは対照的に、ザクロはなんだか微妙な表情をしている。
「キュウリ、嫌いなの?」
「いえ、私ではなく、苦くて嫌いだと言う人が多かったので」
「苦い?」
 確かに緑の皮の部分は少し苦みがあるけど、嫌われる理由としては「青臭い」の方が多いような気がする。
「今の人は未熟な青い実を食べるようですが、昔は熟した黄色い実を食べてたんですよ」
 キュウリは食べ頃を過ぎて放置すると、まるでヘチマのように太く大きくなる。
 実家の母が採り忘れて、庭の畑でよくヘチマキュウリを作っていた。
 肉厚になってお得なようだが、種も大きくなり皮は厚くなるので、皮ごと食べるのは困難になる。
 当然実も固くなってくるが、この段階だとまだ皮を削って種をくり抜き、漬け物にすれば食べられる。
 母は夏場にヘチマキュウリの漬け物を毎日のように食べていた。
 ヘチマキュウリをさらに放置すると黄色く熟してくるのだが、さすがに黄色くなったのは母も食べない。
「固くてまずそう」
「だから好きだという人はあまりいませんでした」
 くだものや野菜は熟した方がおいしくなるものだと思っていたが、そうじゃないものもあるようだ。
 スーパーの中を捜すと、米ぬかは乾物コーナーであっさり見つかった。
 そばにはぬか漬け用の容器と重りがセットになったぬか漬けグッズも置いてある。家にそんなものはないので、ついでに買ってスーパーを出た。
 買い物荷物はどんなに重くても私が全部持って帰る事にしている。特に今日は漬け物石があるので重さが尋常ではない。
 けれどザクロに渡すわけにはいかないのだ。
 ザクロの持っているものは、ザクロと一緒に周りの人からは見えなくなる。
 けれど受け渡す時、周りから見れば、私の持った荷物が忽然と消えたり現れたりしているように見えるだろう。
 誰が見ているかわからないので、そんな怪奇現象を起こすわけにはいかない。
 家に帰って玄関を開けると、ザクロはいつものように頭を下げた後、私が肩に担いだエコバッグを急いで受け取った。
「重かったでしょう。申し訳ありません」
「いいよ。せめてこのくらいは筋肉使わないと。毎日ザクロのおいしいごはんを食べて、何もかもザクロにやってもらってると太っちゃう」
 笑いながら肩をぐりぐり回している私を、ザクロは真顔で見つめる。そして突拍子もないことを口走った。
「頼子、脱いでください」
「は?」
 何をいきなり脈絡のないことを! 夜のお相手はお断りしたはずだけど!
 焦って後ずさりする私を玄関の扉まで追いつめ、ザクロは真剣な表情で素早く上着のボタンをはずした。
 続いてブラウスのボタンに手をかける。その手を押さえながら私はわめいた。
「ちょっと! なにするの、やめてったら!」
 私の言葉を無視して、ザクロは無言のままボタンをはずし続ける。
 狭い玄関に追いつめられては逃げ場がない。いつもは穏和で紳士的なザクロの、有無を言わさぬ強引さに私の頭は混乱した。
 感情の見えない紅い瞳が怖い。
 右手でザクロの手を押さえつつ、私は左手でドアノブをガチャガチャ回した。
 どうして開かないの!
 私が混乱している隙に、ボタンをすべてはずし終えたザクロは、ブラウスの左側を勢いよく開いた。
「いやっ!」
 肩にスッと空気が触れて、私は思わず首をすくめて目を閉じる。
 ところが、ザクロの動きはそこで止まった。恐る恐る目を開くと、相変わらず真剣な表情で露わになった私の左肩を凝視している。
「やはり、痣になっています」
「え……?」
 ザクロの視線をたどり、自分の左肩に目をやる。ブラのストラップの横に赤い帯状の痣ができていた。
 荷物の重さで内出血を起こしたのだろう。
「痛かったでしょう?」
「え、別に気にしてなかった」
「少しお返ししますね」
 そう言ってザクロは私の肩に手を乗せた。ザクロの手が触れた部分が、じんわりと暖かくなってくる。
 お返しするって生気のことだろうか。
 なるほど、これが命の源、生気なんだ。
 少ししてザクロは手を離し、にっこりといつもの穏やかな笑顔を見せた。
「きれいになりましたよ」
 言われて肩に目をやると、赤い痣が跡形もなく消えている。
「あ、ありがとう」
 私はドアノブを握りしめていた左手を離し、ブラウスの前を合わせた。
 その時になってようやく気づく。そういえば、鍵をかけてあったんだ。ノブを回しても開くわけはない。
 ため息と共に奥の部屋へ向かう私に、ザクロは何事もなかったかのように声をかける。
「すぐに夕食をお持ちします」
「うん。ありがとう」
 玄関に立ちこめる醤油の香ばしい匂いに、条件反射でお腹は鳴ったが、精神的にはどっと疲れた。
 どうやら先ほどの唐突な行いは、私の肩に痣ができていたからのようだ。
 そういえばザクロはこういう奴だった。
 私のケガや体調不良に、過剰なほど敏感なのだ。以前、リンゴの皮を剥こうとして指を切りそうになって以来、私が包丁を握ること自体に難色を示す。
 心配してくれるのはありがたいが、先に事情を説明してもらいたいと思う。
 乙女に向かっていきなり「脱げ」はないだろう。やっぱり、どこかズレている。
 もしかして乙女だと思われてないとか?
 別にこちらも意識してはいないが、それもなんだか微妙な気がする。
 ぐったりしながら着替え終わったところに、ザクロが夕食を運んできた。
 今日は和食だ。
 魚の煮付けにタケノコと椎茸の入った炊き込みごはん。豆腐とネギの味噌汁とスーパーで買ったものだけど野沢菜の漬け物が添えられていた。
 おいしそうなごはんを目の前にして、諸々の疲れもどこへやら吹っ飛んでしまう。
 ザクロは緑茶を淹れてテーブルに置くと、食事をしている私をニコニコしながら眺めた。
「ねぇ、どうして私が食べてると嬉しそうに笑うの?」
「食べている時の頼子は幸せそうだから、私も元気になるんですよ」
「え……」
 そりゃあ、おいしいものを食べるのは好きだし、幸せだけど、食べるのが生き甲斐のように言われるのは……。
 まぁ、私が食べてるだけでザクロも幸せなら、遠慮なく食べるけど。
 私が遠慮なく幸せをかみしめていると、珍しくザクロが話しかけてきた。いつも食べているときは黙って見ているだけなのに。
「頼子、昼食には満足していないのではないですか?」
「うーん。まぁ、仕方ないし」
 五年も同じ職場にいると、近所のコンビニもごはん屋さんもほとんど網羅して、飽きてしまうのは仕方ない。
「職場にいる頼子は時々気分がすぐれないことがあります。頼子に言われたので、職場のことは手出ししませんが、せめて食事の時だけでも幸せを感じて欲しいと思います。私が昼食をお届けしてはいけませんか?」
 いや、お届けして欲しいのは山々なんだけど、受け取れないし。
 机の上に突然食事が現れたら、みんながびっくりするし。
 でも、ザクロのごはんは捨てがたい。
 あ、そうだ。
「じゃあ、お弁当作って」
「お弁当?」
「うん。朝、お弁当箱に食事を詰めてくれたら、それを持って行って昼に食べるから」
 昔買って一二回使っただけのお弁当箱が、シンク下のどこかにあったはずだ。
 ザクロは満足したように、にっこりと微笑む。
「かしこまりました」
 三食ザクロのおいしいごはんが食べられるのかと思うと、私も益々幸せな気分になった。




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