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第5話 神職のお告げ |
何事も志を高く掲げるのはいいことだと最近つくづく思う。 私は一人暮らしを始めるとき、自炊をしようと決めていた。 何事にもまず形から入る性分なので、調理道具も料理本も色々買い揃え、食材さえあれば何でも作れる状態になっている。 レンジもオーブン機能がついたものを買った。母は「どうせお弁当や牛乳を温めるためにしか使わないのに」と笑ったが後悔はしていない。 いや、ちょっと前までは、たまに後悔したかも。 私は優雅な一人暮らしに憧れていたのだ。休日には手作りのお菓子ととっておきの紅茶でティータイムとか夢見ていた。 ところが実際に一人暮らしを始めると、最初に引っ越しと片付けで疲れ、息つく間もなく会社勤めが始まった。 新入社員の私は慣れない環境と、覚えることの多さで緊張を強いられ、家に帰る頃にはぐったり。 何か作ろうなんて気力は根こそぎ奪われている。 かくして新品同様の調理器具は、台所で埃をかぶり、高機能のオーブンレンジは母の予言通り温め機能しか使われなくなった。 私の掲げた高すぎる志は、早々に挫折の憂き目にあったが、まったくの無駄にはならなかった。 料理本も調理器具も、今では有能な執事がフル活用してくれている。そして五年間使われることのなかったオーブンレンジがその真価を発揮し始めたのだ。 テーブルの上に置かれたケーキを見つめて、私はにんまりと頬を緩める。 「ベリーのタルトを作ってみました」 ザクロが紅茶をカップに注ぎ、ケーキの横に置いた。カップから漂う湯気はベルガモットの香り。私のお気に入りの紅茶、アールグレイだ。 「いただきまーす」 紅茶をひとくち飲んだ後、ケーキにフォークを突き刺す。 サクサクのタルト生地の上はカスタードクリームと生クリームの二層仕立てで、その上にラズベリージャムが薄く塗られている。生クリームのデコレーションで縁取られた内側には、ラズベリー、ブラックベリー、ブルーベリーが飾られ、薄いゼリーの幕でコーティングされていた。 ケーキのとがった角をフォークの先でちぎって口に入れる。クリームのとろける甘さとラズベリージャムの酸味が絶妙で、思わずため息が漏れた。 続いてトッピングのブルーベリーをクリームと一緒に口に放り込んで堪えきれずにうなる。 「うー、おーいしー」 「ありがとうございます」 ザクロは嬉しそうに笑顔で頭を下げた。 最近は会社が休みの日に、ザクロがお菓子を作ってくれる。特に今日は気合いを入れてくれたようだ。 なにしろゆうべ、私が落ち込んで眠れずに彼に甘えてしまったからだろう。 出会った頃のザクロなら、私が落ち込む原因になった彼を排除しに行ったかもしれない。 けれどそういう行為は、私を益々落ち込ませるのだと何度も言い聞かせたので、最近は原因を排除するより、私を浮上させることを優先するようになった。 おいしいものであっさり浮上する私は、ザクロにとってもお手軽だと悟ったのかもしれない。 私にとっても、ザクロの思惑がどうであれ、おいしいものが食べられるなら問題ないのだ。 ケーキを食べる私を見つめながら、ザクロが独り言のようにつぶやく。 「ベリーって木苺のことなんですね」 「うん。山にもあったでしょ?」 「ええ。でも私が知っているのは赤と黄色でした。味も違います。これは外国のものなんですね」 「うん」 「昔に比べて食材がたくさん増えていて驚きました」 確かに江戸時代が終わって、海外との貿易が増えたから、昔に比べて食材は豊富になっただろう。 ケーキに載ったベリーを見つめるザクロの瞳に、なんとなく郷愁を感じて私は問いかけた。 「ザクロ、山に帰りたい?」 「いいえ。私の居場所は頼子のいるところですから」 きっぱりと答えて、ザクロは微笑む。 やだ。なんかきゅんとしちゃった。 少しどぎまぎしながら、私は慌てて視線を逸らす。 早朝からたたき起こされたり、見合い話を持って来られたり、色々うっとうしいので滅多に実家に帰らないが、ザクロのために、もう少し頻繁に帰ってみようかなと決意した。 夕方、夕食の買い出しにザクロと近所のスーパーへ出かけた。支払いを済ませて荷物を詰めるためにサッカー台へ移動する。 並んで袋詰めしている買い物客の隣に、水色の袴に白い着物を着た神職の男性がいるのが見えた。 誰かを待っているのか、サッカー台にもたれて斜め向こうにあるレジの方を見つめている。 白い着物の上には黒いダウンジャケットを羽織り、延び放題になったと思われる長髪をひとつに縛って背中に垂らした姿が、なんだかちぐはぐな印象だ。 神職がスーパーにいることも、なんだかちぐはぐで、私は知らず知らずに凝視していた。 ふと神職の顔がこちらに向く。髪が延びていたし髪色も黒くなっていたので気づかなかったが、懐かしい大学時代の友人に、私は思わず声をかけた。 「 清司はようやく私に気づいて、こちらにやってきた。 「頼子、久しぶりだなー」 「卒業以来だもんね。なんでここにいるの?」 「親戚んとこの神事を手伝いに来たんだ。そんで、今から宴会やるから、酒のつまみ買ってこいって言われて買い出し」 「それでそんな格好してるのね」 清司は私の実家の近所にある神社の息子で、大学を卒業後家業を継いで神職になったと聞いた。 「神事って、お祓いとか?」 「まぁ、そんなとこ」 曖昧な笑みを浮かべた清司が、ふと私の後ろに目をやる。そこにはザクロがいた。 まさかザクロが見えているわけはないので、私は何があるのかと振り向く。 すると、いつもは後ろに控えているザクロが、私の横に一歩踏み出した。 清司を見据えながら、冷ややかな笑みを浮かべて軽く頭を下げる。 「はじめまして。頼子の執事です」 「あぁ、どうも」 はぁ!? なに普通に挨拶してるの!? 私は慌てて清司に顔を近づけ、小声で問い質した。 「もしかして、見えてるの?」 「おまえの横にいる赤毛のイケメン執事のことか?」 信じられないけど、清司にはザクロが見えているらしい。性格は適当な奴だけど、さすがは神職というべきか。 「変わった奴連れてるなぁと思ったけど、知ってて一緒にいるんなら、ま、いいか。別に そう言って清司はのんきに笑う。その時、向こうから清司を呼ぶ声がした。 「じゃあ、オレ、そろそろ行くわ。すっげー睨まれてるし」 言われてザクロに目をやると、確かに険しい表情で清司を睨んでいた。 いつも穏和なザクロにしては珍しい。 「また連絡するよ」 笑いながら軽く手を挙げて、清司は連れの女の子と一緒にスーパーを出ていった。 清司が立ち去った後、私も荷物を袋に詰めてスーパーを出る。 家に向かって歩きながら、人影が途絶えた途端にザクロが問いかけてきた。 「ずいぶん親しそうでしたが、先ほどの男性も以前頼子と恋仲だったんですか?」 ザクロにしてはとげのある言い方に、私は少し苦笑する。理由はわからないが、よほど清司が気に入らないらしい。 「そんなんじゃないわ。学生時代に清司と、もうひとりの友達と三人でよく食べ歩いてたの。それにあいつ、大学を卒業して一年後にできちゃった結婚したから、今四歳の子供がいるのよ」 「そうですか」 一応納得したようだが、ザクロはまだ硬い表情をしている。 「清司が嫌いなの?」 「……好きとか嫌いとかではありません。彼は危険です」 「へ?」 あんないい加減で適当な奴のどこが危険なのか不思議でしょうがない。 面食らっている私に、ザクロは硬い表情のまま告げた。 「彼には私と頼子の絆を断ち切る能力があります。主以外で私の姿が見える人間は、少なからずそういう能力を持っているんです。ましてや彼は神職。神に近しいところにいます。能力を自在に操れると考えるのが妥当です」 それで警戒して敵意を露わにしていたのか。 そういえば昔から清司は、幽霊とかが見える人だった。いつだったか食べ歩き仲間の蒼太が、怪しげな勾玉をお祓いしてもらったとも聞く。 「ちなみに、私とザクロの絆が切れたらどうなるの?」 「私は再び眠りにつくしかありません」 死んだり消滅したりするわけではないようだ。けれどせっかく数百年ぶりに目覚めたのに、またすぐ眠ってしまうのはおもしろくないだろう。 すねたような様子で目を伏せてうつむくザクロがなんだかかわいい。私は思わずクスリと笑う。 「大丈夫よ。清司には手出しさせないから。私が守ってあげる。だってザクロは私をイヤな目に遭わせたりはしないでしょう?」 「はい」 ザクロは顔を上げて、いつものように穏やかに笑った。 「私は頼子が幸せを感じている姿を、ずっと見ていたいと思っています」 うわぁ。それ、なんのプロポーズ? 不覚にもまたきゅんとしちゃった。 いや、プロポーズじゃないことはわかってるんだけど。 私は動揺を隠すように、ザクロに問いかける。 「共に白髪が生えるまで? ……あ、ザクロには白髪生えないか」 「お望みでしたら生やしますよ」 「やだ。ずっと今のままでいて」 見つめ合って少し笑った時、上着のポケットでメール着信を知らせる音が鳴った。 私はポケットから電話を取り出し確認する。清司からのメールだ。 アドレスは教えてあったけど、今までメールなんか送ってきたことないのに。おまけにさっき別れたばかりなのに。 怪訝に思いつつ表示された件名にギクリとする。 【警告】イケメン執事のいないところで見てくれ 私は咄嗟に電話をポケットに戻した。 休み明け出社した私は、さっそく清司のメールを開いた。 おまえの後ろにいる奴、その筋の専門家に聞いたんだけど、 赤い繭の状態で眠り、人が触れると触れた人間の望む姿で目覚める。そして触れた人間に寄生して生気を糧に活動する。 宿り蛾にとって宿主の願望は絶対で、宿主によってそいつは善にも悪にもなり得るってことだ。 それはザクロ本人から聞いた。 そいつの繭は心に傷を持つ女にしか見えない。宿主の弱った心を癒し、自分に依存させることで絆を強化し、力を得る。 別に宿主に害を与えることはないが、依存しすぎると社会生活に支障が出ることもあるぞ。 まわりから見えないとはいえ、そいつを連れて結婚とかできないだろう? 依存しすぎるなって言われても、もうすでにかなり依存してるよねぇ。 結婚なんて望んでいないし、ザクロと一緒には無理だってわかってる。 私が死ぬまでザクロが一緒なら、依存しようがしまいが同じではないだろうか。 そいつは宿主の命が尽きれば絆が切れて、また繭に戻る。 宿主が生きている限り絆が切れることはないが、依存度が低くなれば、姿が見えなくなり、そのうち声も聞こえなくなるらしい。 まぁ、背後霊のような感じかな。それだと社会生活に支障はないだろう? くれぐれも依存しすぎるなよ。 清司のメールを読み終えて、私は軽く身震いした。 ザクロが見えなくなるなんて、考えただけで寂しい。 どうやら私は、もう手遅れなほどザクロに依存しているようだ。 |
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