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第7話 宴会よりも二人酒




 本郷さんは、あれから何度か食事に誘ってくれた。この間の埋め合わせというが、元々約束していたわけでもないので別にそこまで気を使わなくてもいいのにと思う。
 最初は適当に断っていたが、さすがに断り続けるのも気が引けてきた。
 だから総務の藤崎美佳ちゃんを誘って、一緒に行くことにした。だって前もって予定を合わせた上で、ふたりきりはやっぱりまずいじゃない。この間みたいに会社帰りに成り行きで誘われたならともかく。
 誰かに見られて変な噂がたったら、本郷さんにも迷惑だろうしね。
 冬のボーナスが出た金曜日の夕方、私たち三人は早めに仕事を切り上げて一緒に会社を出る。そこへ、いつも早めに帰る坂井くんが一緒のエレベータに乗ってきた。
 女の中に男ひとりなのが寂しかったのか、本郷さんが彼も一緒にどうかと誘う。結局四人で近所の居酒屋に行くことになった。
 ザクロには前日に話をしてある。今夜は夕飯の支度をしなくていいので、彼もしばしの骨休めになるのだろう。
 でも私がいないとき、ザクロは何をしているのか少し気になる。昼間は掃除や洗濯をしているらしい。そして空いた時間は手当たり次第に文字を読んだり、テレビを見ていると聞いた。まるで専業主婦のようだ。
 ザクロはテレビが気に入っている。江戸時代からタイムスリップしたようなものだから、珍しいのだろう。
 今夜もテレビを見ているのだろうか。私がいなくて少しは寂しいと思ってくれるかな。
 飲み会は始まったばかりなのに、私はザクロのことが気になって、すでに帰りたくなっていた。
 私が軟骨の唐揚げをつつきながら、酎ハイを片手に上の空になっていると、すでにいい感じでできあがっている坂井くんが突然大声でわめいた。
「えーっ!? 係長って独身だったんですかーっ!?」
「そんなに驚くことか?」
「だって妙な貫禄があって落ち着いてるから、すでに子供の二人や三人いそうな気がして」
「こら待て。それは暗にオレが老けていると言ってるのか?」
「いや、そんな」
 苦笑しながらごまかす坂井くんの頭を、本郷さんは横から軽く小突く。その様子を横目に私も苦笑していると、坂井くんは私に矛先を向けてきた。
「海棠さんも独身ですよね? どうです? 係長なんて」
「え?」
 なんで私? 美佳ちゃんもいるのに。
 助けを求めるように美佳ちゃんに視線を送る。ところが彼女は坂井側についた。
「いいじゃないですか。海棠さんって入社したときから本郷さんと仲良しなんですよね?」
「いや、私の指導係が本郷さんだっただけで仲良しってのとは違うと……」
 失礼にならないように気を使いながら否定しているのに、坂井くんと美佳ちゃんは人の話を聞いていない。
「ですよね。年齢的にもちょうどいいし」
「二人とも気が合うみたいだし」
 すっかり意見の一致を見ているふたりに、口を挟む隙がない。
 どうしてこういう話になると、みんな近場で適当にまとめたがるんだろう。もっと視野を広く持つべきだと思う。
「そういうおまえらこそ気が合うみたいじゃないか。いっそ結婚したらどうだ?」
 からかう本郷さんに、美佳ちゃんは思いきり顔をしかめた。
「えー? やだー」
 本郷さん、グッジョブ。そして美佳ちゃん、正直すぎ。
 結局、結婚話はそのままうやむやになり、私は内心ホッとした。
 その後は他愛のない話をしながら飲食する。そして飲み会は九時にお開きとなった。
 会計を済ませて店を出るとすぐに、美佳ちゃんはバスの時間があると言ってさっさと帰ってしまった。坂井くんは方向が違うし、駅までは本郷さんと一緒に帰ることになりそうだ。
 実は店の暖簾の陰にザクロが迎えに来て立っている。ザクロが一緒にいるとき、他の人がいるとやはり落ち着かない。
 本郷さんたちには見えていないとはいえ、やはり気になって、私はこっそりザクロに視線を送った。
 目ざとい本郷さんは私の視線に気付いて、チラリとザクロの方を見る。見えてはいないと思うけど、ちょっと気まずい。
 微妙な空気を追い払って、少し顔を赤くした坂井くんがおどけたように敬礼した。
「じゃあ、邪魔者は退散しますので、あとはお二人でごゆっくりどうぞ」
 そそくさと立ち去ろうとする坂井くんの首に腕を回して、本郷さんが素早く捕獲する。
「逃がすか。坂井、もう一軒つき合え」
「えー? ぼくより海棠さんの方がいいでしょうー?」
「当たり前だ。海棠、おまえはどうする?」
「あ、私はもう。ちょっと飲み過ぎたので、今日は失礼します」
「そうか。じゃあ、またな」
 そう言って本郷さんは、坂井くんを連行したままネオンの海の中に消えていった。
 もしかして、坂井くんに妙な噂を立てられないように気を使ってくれたのかな。
 本郷さんの気配りに感謝しつつ駅に向かって歩き始める。暖簾の陰からザクロがやって来て後ろに従った。
 人影がまばらな駅前大橋の歩道を歩きながら、後ろからザクロが問いかけてきた。
「行かなくてよかったんですか?」
「うん。二次会はザクロとしようって決めてたの」
「二次会?」
「飲み会の後、別のところで飲み直すことよ」
「私と飲み直すんですか? でも頼子、飲み過ぎたって言ってませんでしたか?」
「帰る口実に決まってるじゃない」
 実はかなりセーブしていたので、ほとんど酔っていないのだ。その分しっかりちゃっかり食べたけど。
 私は少し振り向いて尋ねた。
「ザクロは日本酒がいい?」
「頼子の飲みたいものでいいですよ」
 そう言うと思った。けれど、たぶん日本酒の方がなじみのある味だろうと思う。
「じゃあ、日本酒。寒いから熱燗にしよう。駅前のスーパーが夜十時まで開いてるから、お酒と何かおつまみ買って帰ろうね」
「酒の肴でしたら、私が何か作りましょうか」
「いいの。今日はザクロのお休みの日なの。あ、でも最後に締めのお茶漬けを作ってくれたら嬉しいな」
「かしこまりました」
 ザクロは嬉しそうに笑って頷いた。



 家に帰ると部屋はすでに暖まっていた。ザクロはひとりで家にいるときエアコンを使わない。妖怪は暑さ寒さが気にならないようだ。
 けれど私を迎えに来るときには、家を出る前にエアコンのスイッチを入れて出かけるらしい。
 有能な執事のおかげで、この狭いワンルームはこの上もなく快適な空間に様変わりしている。
 まずはお風呂に入って、後はもう寝るだけに身支度を整えた。そして部屋の真ん中に丸い折り畳み式のテーブルを出す。その上に買ってきたものを広げた。
 お酒はちょっと奮発して千本錦百パーセントの純米吟醸酒。熱燗にしようと思っていたけど、これは冷やで飲む方が断然いい。
 つまみに買ってきたあたりめをザクロが軽く火であぶってくれている間に、丸い座布団をふたつ床に置いて彼がやってくるのを待つ。
 少しして、あたりめの香ばしい香りとともに、ザクロが部屋に戻ってきた。あたりめの載った皿とふたつのグラスをテーブルに置いて、ザクロは私の斜め前に座る。
「私がおつぎいたします」
 酒瓶に手を伸ばそうとするザクロを制して、私は瓶の封を切り、その口をザクロに向けた。
「いいから、グラスを出して」
 おずおずと差し出されたグラスに、私は半分ほど酒を注ぎ、自分のグラスにも同じくらい注いだ。
「じゃあ、かんぱーい。お疲れさま」
「お疲れさまです」
 ふたりでグラスの縁を合わせ、カチンと鳴らす。ひとくち酒を口に含んで、ザクロは嬉しそうに笑った。
「やはり原酒はこくがあっておいしいですね」
「原酒?」
「昔は水で薄めて売られてましたから。原酒が飲めるのは酒蔵の主人か殿様くらいのものだったでしょうね」
「でもたぶん、これも”原酒”って書いてないから、加工されてるとは思うよ。昔はもっと薄かったの?」
「店によってまちまちでしたね」
 ザクロは元々食事をとらないのに、味には結構敏感だ。宿主が私も含めて、食べるものにこだわる人ばかりだったのかもしれない。
 おいしそうにお酒を飲むザクロを見ながら、私は思わずクスリと笑った。きっちりした燕尾服をまとい、床にあぐらをかいて日本酒を飲む赤毛の執事って、ものすごくシュールだ。
 ザクロは私と目が合うと、いつものようににっこりと微笑んだ。この笑顔を見ると安心する。
「夕方から夜の間は何してたの?」
「テレビを見ていました」
 やっぱり思った通りだ。
 それからお酒を飲みつつ、あたりめをつまみつつ、ザクロの見たテレビ番組の話を聞く。文字はなんでも手当たり次第に読むらしいが、テレビ番組は好みがあるようだ。
 ニュースや旅番組、教養番組が特に好きで、お笑い番組やクイズ番組は見ないらしい。お笑いやクイズは現代の基礎知識がないザクロには、意味がわからないのだろう。時々ドラマも見ているようだが、ニュースやドキュメンタリーと区別が付いているかは謎だ。
 帰りが遅いことも多い私は、あまりテレビを見ないので、ザクロからニュースの話などを聞くのは結構ありがたかったりする。
 楽しそうにテレビ番組の話をしていたザクロが、ふと寂しそうに目を伏せた。
「テレビを見ているときは楽しいんですが、番組が終わって外が暗くなったことに気付いたとき、頼子がいないと部屋の中が冷たく感じました」
 うわぁ。すごく嬉しい。それって私がいないと寂しかったってことだよね。もう、かわいくって抱きしめたい。
 私はニマニマと緩む頬を押さえつつ、照れ隠しにお酒をぐびぐびとあおった。
 あれ? なんか目が回る。身体から力が抜けていく。グラスがすごく重い。
 カタリとぶつけるようにグラスをテーブルに置くと、ザクロが心配そうに顔を覗き込んできた。
「大丈夫ですか?」
 いやーん。そんなきれいな顔を近づけないで!
 ドキドキと高鳴る鼓動にあわせて、益々酔いが回ってくる。ぐるぐると回る視界が天井に変わったと思ったら、私の身体はザクロの腕の中に抱えられていた。
「一息に飲んだから酔いが回ったんですね。すぐに水をお持ちします」
 ザクロが私をベッドにもたれさせて立ち上がろうとした。私は無意識のうちに彼の腕を掴む。
「や。そばにいて」
 ザクロは黙って私の身体にブランケットをかけ、隣に座った。目を閉じてゆっくりと彼の肩に頭をのせる。まだ頭の中はぐるぐる回っている。
 傾いた身体を再びザクロが抱き止めた。私はその腕につかまってザクロの胸にすがりつく。鼓動は聞こえない。死なない妖怪は心臓がないようだ。けれどザクロの身体は暖かい。
 その心地よさにつつまれて、私は睡魔に屈服した。




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