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11.社会勉強





 結局、オレの平和は無事に定時まで続いた。いつもは終業ベルが鳴ってもコンピュータの前から動こうとしないリズが、珍しくさっさと帰り支度を始める。よほど何か気になることがあるのだろう。
 オレを連れて帰ることについて、二課長からの許可はあっさり下りたらしい。
 警察の仕事以外は「人間らしさを学ぶため」とすればたいがい許可は下りる。
 オレはリズが用意してくれた私服に着替えて、彼女の帰り支度を待った。
 警察局の制服を着たままだと目立つし、何か事件でもあったのかと住民を不安にさせてはまずいという配慮からだ。ただ、ちょっとサイズがでかい。シャツの袖もズボンの裾も折り曲げている。
 オレの外出は予定外だったから、誰かに借りたのだろう。急な遠出に備えて着替えを用意している局員は多いらしい。
 白衣を脱ぎカバンを持ってこちらにやって来たリズにオレは尋ねた。
「この服、誰に借りたの?」
「シャスさんよ。あとでお礼を言っておいてね」
「うん」
 なるほど。警察局内にいるリズの知り合いで一番サイズの小さい男はシャスだろう。それでもオレには結構でかすぎる。
 なんでオレの体、こんなに華奢に作ったのか改めて不思議に思った。
 シャスにお礼のメッセージを送って、ムートンに挨拶をして、オレたちは研究室を出た。
 リズの家は商店街の裏手に広がる第二居住地区のはずれにある。官庁街とは目と鼻の先で、集合住宅の多いラフルールでは珍しい一戸建てだ。
 ただ、彼女の大叔母が七十年以上住んでいたので、築百年は越えているかもしれないという。
 局の建物を出て通りを一緒に歩きながらリズが尋ねた。
「あなた、どこに行きたいの?」
「食料品を買ってほしいんだ」
「あぁ、この間シャスさんやロティと一緒に作ったアレを作るの?」
「そう。いい?」
「えぇ。じゃあ、商店街に寄り道してから帰りましょう」
 そう言ってリズは商店街の方へ向かって歩き始めた。リズのことだから「時間がもったいない」と言って帰ってからネット通販ですませるだろうと思ってたので意外だ。
 店の開いている商店街は初めて見る。
 以前仕事で出動した時は深夜だったので、店はほとんど閉まっていた。今日はずいぶんと活気に満ちて賑やかだ。
 エアカーの乗り入れは規制されているのか、通りにはその姿がない。赤い煉瓦の敷き詰められた通りには、夕飯の買い出しだろうか? 買い物客が多くいる。
 オレが物珍しげにあたりをキョロキョロと見回していると、リズはひときわ大きな店の中に入っていった。スライド式のガラス戸の上には「総合食料品店シュール・リー」と書かれた看板が掲げてある。
 慌てて後を追って店の中に入った途端、目が点になった。オレの知ってる食料品店じゃない。
 入り口を入ってすぐ目に入ったのは、まるで銀行のATMコーナーのような光景。タッチパネルとディスプレイを備えた機械が横長な空間にずらりと横一列に並んでいる。ざっと二十台くらいあるだろうか。それらの機械は一台ずつ薄い板で仕切られ、まさにATMそのもの。
 空いている一台の前に立ったリズが呆然と立ち尽くすオレを手招きした。
「シーナ。こっちに来て必要なものを選んで」
「あ、うん」
 そばまで行ってのぞき込むと、画面には店で取り扱っている商品の一覧メニューが表示されていた。リズはその中から野菜の文字を指でタッチする。
 画面が変わり、野菜の写真が名前と一緒に一面に表示された。
「必要なものを指でタッチして。今日の外出は一応あなたの社会勉強だから、あなたが操作して」
「オレの指でも反応する?」
「大丈夫よ。ロボットのお客さんもいるから」
 そういえば庶務ロボットのロティも時々頼まれて買い物に出かけてたっけ。
 操作の手順はネットショッピングのようなものだ。これならオレにもわかる。
 時々画面を切り替えて、必要なものを全部ピックアップして、最後に終了の確認ボタンをタッチすると、画面は最初のメニューに戻った。
 それと同時に画面の下から引き出しがせり出してきた。引き出しの中にはデータチップの埋め込まれたカードが三枚入っている。それを掴んで、リズは機械の前を離れた。カードと引き替えに商品を受け取って代金の決済を行うらしい。
「ほかの店もこんな感じ?」
「だいたいそうよ」
「商品を自分で見て選びたいって人いないの?」
「そういう人のために奥にはちゃんと商品が陳列されてるわ。忙しい人やこだわらない人はあまり利用しないけど。だって欲しいものを探し回ってうろうろするのって大変じゃない」
「まぁ、そうだけど」
 注文コーナーのはずれから角を曲がると、右手にはガラス戸の向こうに商品が陳列されているのが見えた。ちらほらと人影は見えるけど、注文コーナーにいる人の方が圧倒的に多い。
 時間がもったいないってのは、リズだけじゃなくてクランベール人共通の価値観なのかもしれないと思った。
 商品陳列室の前を素通りして突き当たりにある受け渡しコーナーに向かう。そのまま商品を受け取るのかと思ったら、リズはその横にある扉から外へ出た。
「あれ、どこ行くの?」
「向かいの喫茶店のサービス券もらったから、ちょうど二枚あるし、お茶飲んで行こうと思って」
 ニコニコ笑いながらリズは先ほど手にしたカードをヒラヒラと振ってみせる。どうやら三枚の内二枚はサービス券だったらしい。
「珍しい。時間がもったいないんじゃないの?」
 思わず茶化すと、リズは少しムッとしたように反論した。
「だってせっかくのタダ券がもったいないでしょ。次はいつ来れるかわからないんだし」
 目と鼻の先にある商店街に、次にいつ来るかわからないってことの方がどうかしている。どんだけ生活全般に無頓着なんだか。
 ため息をつくオレを横目に、リズはもっともらしい言い訳をする。
「名目上はあなたの社会勉強なんだから、色々経験しておくべきだと思うわよ」
「はいはい。別にイヤなわけじゃないよ」
「なら文句言わないでよね」
「申し訳ありませんでした、ご主人様」
 文句は言ってねーだろ。茶化しただけだし。まぁ、リズにとっては大差ないってことか。
「じゃあ、行きましょう」
 一応機嫌が直ったみたいで、リズはタダ券をオレに向かって掲げて見せた。このまま下僕モードで一緒にお茶するのはなんだかおもしろくない。
 オレはリズの握ったタダ券を素早く奪い取った。
「ちょっ! なに?」
「どうせならリズも社会勉強したら?」
「なんで私が勝手知ったるクランベールの社会勉強をしなきゃならないのよ」
「そうじゃなくて、将来恋人ができたときの予行演習。男と付き合ったことないんだろ?」
「なっ……!」
 目を見開いたリズの顔が見る見る赤くなる。あー、やっぱ図星だ。センサがとらえたリズの心が激しく動揺している。
「余計なお世話よ! 私は大叔母さんと同じように生涯独身を貫いて研究に没頭するんだから!」
「でもリズの大叔母さんってバージュ博士と結婚してないだけで実質は夫婦だったんじゃないの?」
「若い頃の関係は知らないけど、親友だって聞いてるわ。公式な経歴でも”友人”になってるでしょう?」
 へぇ。てっきり夫婦だと思ってた。ふたりが同居を始めたとき、バージュ博士は三十一歳でリズの大叔母さんは四十歳だったらしい。オレがいた日本だと彼女が子供を産むのはギリギリの年齢かなとは思うけど、クランベールの女性は若い内に卵子を保存している人が多いらしい。おまけに医学や科学が発達しているので人工授精や人工子宮も当たり前で、子供を産むのに年齢制限はない。
 ふたりの間に子供がいないことを考えると、リズの言うように「親友」で、夫婦ではなかったというのも信憑性がある。
 まぁ、それはそれとしてとりあえず置いといて、オレはリズに手を差し出した。
「まぁ、独身貫くにしても何事も経験だから、オレで練習しとけば? ほら」
「なに?」
「手。つなごう?」
「いっ……! いいっ! そんなの!」
 リズは再び真っ赤になって、顔の前で思い切り手を振る。ロボット相手に動揺しすぎだろう。
 オレはあえてムッとした表情でリズを見下ろした。
「そういう態度かわいくねー。置き去りにされたオレの手がむなしいだろ」
「う……」
 照れてるだけだってのは丸わかりだから、本当はちょっとかわいいけど。
 リズは唇をかんで上目遣いにオレを睨みながら、叩きつけるようにして自分の手をオレの手に重ねた。
「誤解しないでよね。別にあなたの言いなりになるわけじゃないから。きっちりエスコートしなさい」
 なんという絵に描いたようなツンデレ。でも「命令よ」って言わないとこみると、オレに任せるってことでいいのかな。
 そういうことなら下僕モードでもかまわない。元々リズには心以外のすべてを掌握されている下僕だし。
 オレはリズの手を胸の高さまで掲げて恭しく頭を下げた。
「了解しました。マスター」
 しっとりと少し冷たいリズの手を握り、喫茶店に向かう。小柄なリズの手は小さくて、指の付け根が少し堅くなっていた。工具を握って機械いじりをしてるからだろう。
 チラリと横を窺うと、よほど照れくさいのか、いつもは小生意気で口の減らないリズが、俯いて押し黙っている。どんだけ免疫がないんだよ。
 てか、肛門のしわの数まで把握してるとか言ってた、自分の作ったロボット相手に何を照れてるんだか。
 思わずクスリと笑みがこぼれる。するとリズがそれを敏感に察知して顔を上げた。
「なに?」
「いや、ちょっとかわいいなと思って」
 リズはふてくされたように横を向いてポツリとつぶやく。
「からかわないで」
「わかったよ」
 これ以上つつくのもかわいそうなので、オレはそのまま黙って手を引いて喫茶店に入った。
 またATMが並んでいるのかと思ったが、ぱっと見入り口付近は普通。ロボットの女の子がニコニコしながら出迎えてくれた。
 彼女に従って店内に足を踏み入れた途端、やはり普通じゃないことを悟る。屋内なのに各席の上には傘のような白いドーム状の屋根がついているのだ。
 窓際の席に案内され、手を離して向かい合わせの椅子に座ると、リズがホッと一息ついた。どんだけ緊張してたんだよ。
「そちらからご注文をお願いします」
 ロボットのウェイトレスは机の端にある機械を指し示して席を離れていった。
 なるほど。注文マシンは各席に設置されているらしい。
 画面の案内に従ってサービス券を機械に差し込み、リズと一緒に注文をすませる。
 用事が済んだオレは上を見上げて問いかけた。
「この屋根、なに?」
「個人識別チップの認証装置よ」
「あぁ、決済の」
 クランベールに貨幣はない。通貨は電子化されているので、実体がない。国民の証であるイヤーカフには登録された銀行口座で、その電子化された通貨を取引できる機能があるのだ。
 隣の席を見るとカップと一緒に黒い板状の生体認証装置が運ばれている。
 客が黒い板の上に手のひらをかざし、ピッと小さな電子音が鳴ると、それと連動するように頭上の白いドームが一瞬緑色に点滅した。一連の作業で本人認証と決済が終了するようだ。
 少しして先ほどの彼女が注文したハーブティーを持ってきた。リズとオレの前にそれぞれカップを置く。オレたちはサービス券があるので決済はしない。
「ありがとうございます。ごゆっくりとおくつろぎください」
 そう言って軽く頭を下げて、彼女は立ち去った。彼女を見送って、オレとリズは同時にカップを手に取る。甘い香りのするお茶を一口すすって、カップを置いた。
 地球で人間やってた頃には、ハーブティーなんて、小じゃれたものは飲んだこともなかったのだが、クランベールのお茶はハーブティーが主流のようだ。料理に使われる調味料もハーブが多く使われる。ハーブが好まれているのだろう。
 さきほどの恋人予行演習が尾を引いているのか、リズは少し動揺したまま黙ってカップの中を見つめている。
 帰って何を調べる気なのか聞いてみたいけど、落ち着くまでまともな答は聞けないかもしれない。どうせ家に行けばわかることだし、オレは追及するのを後回しにして何気なく窓の外に視線を移した。
 ぼんやりと見つめていた通りを行き交う人波の中に、見知った姿を見つけてオレは思わず声を上げた。
「あ、あいつ……」
「え、誰?」
 リズが顔を上げて、窓の外にオレの視線を追う。視線の先には、先日伯爵家の令嬢を誘拐したロボットのベレールがいた。
「あいつ、野放しにして大丈夫なのか?」
「記憶は全部消えてたし、システム領域から全部リセットしたら問題ないわ。人間じゃないんだから」
「そうか」
 人間だったら生まれつきの性格や、以前と同じ環境に置かれたりすると、再び同じ過ちを繰り返す可能性もある。だが、ロボットが中身をリセットされるということは別人に生まれ変わるようなものだから問題ないのか。元々ベレールは人格のないノーマルモデルだったし。
 それにしてもあんな大それた事件を起こしたロボットが、よく解体処分にならなかったものだ。
 事件を起こしたロボットはケチがついているので、売りに出してもなかなか買い手がつかない。時々警察局払い下げ品として、破格の安さで売りに出されるが、保管費用の兼ね合いもあって、ノーマルモデルは解体処分にされることが多いと聞く。
 いったいどこの物好きが買ったんだろう。あるいは、また犯罪に利用されようとしてるんじゃないだろうか。
 気になってまじまじと見つめていると、ベレールの横を行き交う人波が途切れた。ひとりでいるのかと思っていたが、小さな連れがいたようだ。
 思わず笑みがこぼれる。
「そっか。よかったな、ベレール」
 荷物を抱えたベレールの手を引いて、楽しそうに笑う伯爵令嬢の姿が通りを通過していく。
「彼、伯爵家に引き取られたのね」
 見ると、リズも目を細めてふたりの後ろ姿を見つめていた。
 すべてリセットされたベレールが、自分の知っている彼ではないことを令嬢もわかっているだろう。ひととき心を通わせた彼が、今度は幸せな生活を送って欲しい。
 同じロボットだからこそ、バージュモデルの令嬢はそう思ったのではないだろうか。
 あの時、オレの胸にわだかまっていたやりきれなさが、いつの間にか消え去っていた。




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