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12.痛い命令





 幸せそうな伯爵令嬢とベレールの姿に心が温まったのか、先ほどまでの緊張した様子がリズから消えている。いつものリズと他愛のない話をしながらゆっくりとハーブティーを楽しんで、オレたちは喫茶店を後にした。
 食料品店に戻って注文した商品を受け取り、決済をすませると、リズは買い物袋をオレに預けて、さっさと先に立って歩き出す。魂胆は丸見えだっての。
 オレは立ち止まって声をかけた。
「リーズ。無理して早歩きすることないだろ。そんなにオレのそば歩くのイヤ?」
 リズも立ち止まり気まずそうに振り返る。
「イヤ……じゃないけど。……緊張するから」
 まずかったかな、恋人予行演習。ここまで意識されるとは思わなかった。考えてみれば、オレって見た目はリズが夢見る王子様だったっけ。
 理想の王子様と恋人ごっこなんて、初心者のリズには厳しかったか。
 俯いて目を逸らすリズに歩み寄り、オレは頭を軽くポンポンと叩いた。
 おずおずと上向いた視線がオレを捉えて揺れる。
「恋人予行演習は終わり。もう変に意識しないでいつも通りでいいんだよ。オレは君が作ったただのロボットなんだから」
 ふたたび俯いたリズが小さな声でつぶやいた。
「あなたのこと、ただのロボットだなんて思ってないわ」
「え?」
 ちょっとドキリとして息をのむ。
 チラリとこちらを見た後、あさってに視線を向けたリズは一気にまくしたてた。
「そりゃあ、その体は確かに私が作ったものだけど、中身はプログラムが作り出した人格じゃなくて、人間なんでしょ? そんなのただのロボットじゃないもの」
 あ、なるほど。一応中身のオレを人間だとは思ってるわけか。その割には完全に備品扱いだったような……。
 首を傾げるオレの前で、リズはとうとう頭を抱えながらうなり始めた。
「忘れていたわけじゃないのよ。でも私、思い立ったら後先考えずに行動にでちゃう(たち)だから、私が調べようとしていることをあなたも知りたいだろうと思って、なにも考えずに連れて帰ることにしちゃって……。あぁーっ、軽々しく男を泊めるなんてーっ」
 いやいや、今頃になって思い出したように悩まれても……。
「しかもこんなエロボット」
「こら待て。どさくさに紛れて、誰がエロボットだ」
 人の生理的三大欲求から解脱しているオレを掴まえてなにを言う。
「やっぱり、私ひとりで調べて明日報告するから、あなたは局に戻ってくれない?」
「はぁ!? 二課長に許可までもらっておいて今更なに言ってんだよ。だいいち、この買い物が無駄になるだろ? オレは局の備品なんだから余計な心配してないで、さっさと家に案内しろよ」
「うん……」
 納得はしていないようだが、リズは渋々頷いてまた歩き始めた。
 商店街から一本裏手の通りへ向かって、夕闇の迫る薄暗い路地をリズの後ろについて進む。狭い石畳の路地は表通りとは打って変わって、街灯も少なく人通りもない。ふたりの靴音だけが規則正しく響いていた。
 唐突に頭の中にシステムメッセージが現れた。


 赤外線センサ感知。
 方位、後方10メートル。
 秒速0.5メートルで接近中。


 赤外線? しかも接近中?
 オレに向かって照射してるって、なにを探ってるんだ? いったい何者が?
 振り向けば感付かれて逃げられるだろう。いくら万能ロボットのオレでも、さすがに前を向いたまま後ろは見えない。
 ちょっとリズに協力してもらおう。
「リズ」
 振り向いた彼女をおもむろに抱きしめる。リズは手にしたカバンを取り落とし、オレの腕の中で硬直した。
 騒がれる前に耳元でこっそりとお願いする。
「赤外線で探られてる。オレの代わりに見て。後ろに誰がいる?」
 状況を理解したのか、リズの硬直が緩んだ。オレの両わき腹に腕を回し、シャツを掴んで少し背伸びをしながら肩越しに向こうを見つめる。そしてかすれた声で告げた。
「黒っぽいスーツを着た背の高い男の人。不自然に腕を組んでこっちに歩いてきてる。顔はよく見えないけど若そう。あ……」
「どうした?」
「ごめん。目が合っちゃった。そしたら引き返していったの」
「そうか」
 どうやらリズの顔見知りでもなさそうだ。当然ながらオレにも心当たりはない。
 赤外線を使ったのは薄暗い路地に入ったからか。いつからつけられてたんだろう。しかも結局何者なのかわからなかった。
 気になるけど、今はこれ以上の情報を得ることはできそうにない。
 突然、腕をポンポンと叩かれてハッと我に返る。リズが耳元で不愉快そうに告げた。
「ねぇ、いい加減放して欲しいんだけど」
「あ、わりぃ」
 腕をほどくと、リズは少し顔をしかめてオレを睨んだ後、路上に転がった自分のカバンを拾った。そして不審者が立ち去った表通りの方をぼんやりと見つめる。
 ヤバイ。危ないことに首突っ込んだりする気じゃないだろうな。そんなことで後先考えずに行動するのはやめて欲しい。気を逸らさなきゃ。
「いやぁ、リズって胸でかいから抱き心地いいなぁ」
「なっ……!」
 髪を翻してこちらを向いたリズのするどい視線がオレを射抜く。
 別の意味でヤバイ。
 もうちょっとマシなこと言えなかったのか、オレ。
 苦笑に顔をゆがませるオレの鼻先に人差し指を突きつけて、リズは厳しく言い放った。
「このエロボット! シーナ、命令よ! 明日の夜明けまで私の半径一メートル以内は進入禁止! 進入したら罰として全身に一秒間の痛覚レベルプラス三負荷!」
「なんだ、それぇ!?」


 マスターの命令受理。
 現在の相対距離0.7メートル。
 痛覚レベル+3負荷作動。


「いてーっ!」
 リズの命令を人工知能が受理したと同時に、彼女のそばにいたオレは、全身に刺すような痛みを感じてのけぞった。
 また痛い目に遭ってはたまらないので、よろよろとリズから離れる。
「こんな痛い命令いやだぁ」
 思わずつぶやいたオレの泣き言を、人工知能が冷ややかに拒絶する。


 マスターの命令はマスター以外の撤回不可。


 わかってるけど、オレの頭脳のはずなのにオレに冷たすぎる。
「距離を取ってれば痛くはならないわよ。行きましょう」
 痛い目に遭ったオレを見て気が済んだのか、リズは先に立ってさっさと歩き始めた。
 オレは距離を保ちながら後を追う。
「いや、ヤバイってこの命令。距離を取ってたら君に危険が迫ったとき守れないだろう?」
「心配無用よ。そんなときは命令が無効になるから。私の命令より絶対命令の方が優先順位が高いもの」
「ちっ、気付いてたか」
 命令は撤回してもらえそうにない。明日の夜明けまで気をつけないと。
 気を逸らすことには成功したようだが、マジで痛かった。



 リズの後ろをつかず離れず追尾しながら、薄暗くて狭い路地を抜け商店街の裏通りに出た。そこは第二居住地区のメインストリートで石畳の道の真ん中はエアカーやエアバイクが頻繁に行き来している。中央が車道でその両脇は車道よりも幅の広い歩道が、街路樹や花壇で公園のようになっていた。
 車道のすぐ脇には所々に二メートルくらいの高さのアーチが設置されている。時折、そのアーチの中に人が入っていくので地下道の入り口かと思ったら、まんまアーチなのだ。地面に穴は空いていない。
 入った人はどこへ行ったのかと、あたりを見渡すと、道路の反対側にいるではないか。
 オレは少し前を歩いているリズに問いかけた。
「このアーチなに?」
 リズはすぐ先にあるアーチに向かって歩きながら、オレを振り返る。
「前に話したことあるでしょ? 時空移動装置よ。エアカーが行き来する道路に設置されてるの。遠距離移動用の装置は移動場所を指定できるけど、これは道路横断用の機能限定版なの。向こうに渡るから後からついてきて」
 そう言ってリズは、アーチの内側にあるボタンを押して、オレの目の前から忽然と消えた。
 ようするに横断歩道の代わりってことだろうか。横断中によそ見運転の車にはねられる心配がないのはありがたい。
 もっともクランベールのエアカーはオートパイロットだから、よそ見をしてても車が勝手に事故を防いでくれるのだが。
 道路の向こう側に現れたリズが、こちらを向いてオレに手を振る。オレも軽く手を挙げて、リズと同じように向こう側へ渡った。
 どんな仕組みなのかは不明だが、体への負荷は全く感じられない。瞬き一つの間に道路の反対側へ移動していた。
 オレがついてきたことを確認して、リズは再び歩き始める。大通りはそのまま行けば、じきに官庁街の通りに出る。その少し手前でリズは通りを外れた。
 リズの後について角を曲がると、狭い路地は突き当たりで大きくて真っ黒なものにふさがれていた。
 リズは平然とその黒いものに向かって歩いていく。
 まさか、あれが家?
 すでに日は落ちて、距離の短い狭い路地には小さな灯りがひとつ点っているだけで、先にあるものの正体は判然としない。
 オレは視覚を暗視モードに切り替えて、リズの行く先を見つめた。
 そこにあったのは、壁面をびっしりと蔦に覆われた民家だった。窓と扉がかろうじて見えている。
 リズが入り口の前に立つと、自動で扉の上にある灯りが点灯した。扉にある認証装置に手をかざして、扉を内側に開きながら振り返って苦笑する。
「古い家だから自動じゃないのよ」
 言われてみれば、クランベールに来て以来、自分で扉を開けたことがない。ドアノブのついた内開きの扉も初めて見た。みんなスライド式の自動ドアだ。
 簾のように垂れ下がった蔓をよけ、リズの後について家の中に入る。光を感知して視覚が通常モードに切り替わった。目に入った家の中の様子も外と変わりない。
 そこかしこに植物の植えられた鉢が置かれ、壁にぶら下げられた鉢や棚の上にも植物が鎮座している。
 建物の形はロの字型? 真ん中にある小さな中庭を取り囲むような形になっていた。当然のように中庭にも植物が生い茂っている。
 中庭に面した壁は全面がガラス張りになっていて、四方にそれぞれ出入り口がついていた。
 ガラスの壁に近づいて、室内から漏れる灯りに照らされた中庭の木々を眺めていると、リズが左手にある部屋の扉を開いた。
「料理するんでしょう? ここがキッチンよ。水道と電気は使えるけど、調理機械は長い間使ってないから使える保証はないわよ」
「フライパンと包丁はある?」
「あると思うわ。探してみて」
「じゃあ、問題ない」
 ていうか、ハイテク調理機械の方が使い方がわからない。
「できるまでリズは好きなことしてて」
「じゃあ、シャワー浴びて着替えてくる。覗かないでよ」
「そんなヒマねーし」
 原始的な調理器具と調理方法で作るから、手が空く余裕はないのだ。万能ロボットとはいえ、料理の経験値は初心者なんだから。
「できたら隣のダイニングに運んでおいてね」
 そう言ってリズはキッチンを出ていった。
 その後ろ姿を見送って、オレはホッと息をつく。キッチンからリズを追い出したかったのだ。
 うっかり近づいてまた痛い目に遭いたくないからな。
 くるりとキッチンを見回す。入ってすぐの玄関ホールや廊下ほどではないが、ここにも窓際に置かれた鉢に丸い葉を茂らせた植物が置かれていた。
 リズが言っていた、隣のダイニングとは扉で仕切られていない。壁の一部が通路になっていた。
 ちょっと覗いて確認すると、ダイニングテーブルは家族用なのか結構大きいようだ。これならリズとそれなりに距離を置いてオレも一緒に食事を摂ることができそうだ。やっぱり食事はひとりじゃ味気ないし。
 こじんまりとしているが、料理の練習をした特務捜査二課の給湯室よりはずいぶん広い。調理機械も各種取りそろえられているようだが、オレには無用の長物。
 買ってきた材料を調理台の上に並べ、戸棚やシンク下の扉を開けて調理器具を引っ張り出す。
「よし、始めるか」
 腕まくりをして気合いを入れると、内蔵メモリに記憶された手順を確認しつつ、オレは調理を開始した。



 一時間ほどしてふたり分の夕食が完成した。料理を載せたトレーを持って隣の部屋へ行くと、ちょうどリズが部屋に入ってきたところだった。
 ゆったりとした生成りの長袖シャツの下に七分丈の黒いパンツをはいて、靴も踵のないぺったんこのルームシューズに履き替えている。
 ラフな服装をしてすっぴんのリズは、元々の童顔がより一層幼く見えた。
「ちょうどよかった。今できたとこ」
「ありがとう。いい匂いね」
「ちょっとそこで待ってて、すぐ用意するから」
 テーブルに近づこうとするリズを制して、その場にとどまらせる。本来なら席に着いたリズの前に皿を並べるべきなんだろうが、そんなことをしたら間違いなく痛い目に遭って、せっかく作った料理の皿をひっくり返すに決まっている。
 オレは運んできた皿をテーブルの上に並べてリズを促した。
「いいよ。座って」
「へぇ。上手にできたじゃない」
「まぁね」
 席に着いたリズは目の前に並んだ料理を、目を輝かせて見つめる。
 メニューはリズが唯一おいしかったと記憶しているオムライスと野菜サラダだ。サラダは店で買ったものを皿に移しただけだが、オムライスは事前に練習してオレが唯一作ることのできる料理なのだ。
 オレが斜め前の席に着くのを待って、リズはスプーンを手に取った。
「じゃあ、いただきまーす」
 オムライスの端をスプーンにすくって、パクリと口にくわえるリズを固唾をのんで見つめる。もぐもぐと咀嚼するごとにリズの頬がニコニコと緩んでくる。
 微かな高揚感にノスタルジィ。センサが捉えたリズの感情はおおむね良好。
 けれどやっぱり直接聞きたい。
「どう?」
 待ちきれずに尋ねると、リズは口の中のものをゴクンと飲み込んで満面の笑みで答えた。
「おいしい。ランシュが作ってくれたのより、ちょっと甘いけど、私はこっちの方が好き」
「よかった」
 リズは時々、子供の頃のくせでバージュ博士を名前で呼ぶ。彼女の大叔母さんがそう呼んでいたかららしい。オムライスを食べた子供の頃を思い出したのかな。
 リズに気に入ってもらえたので、オレも安心して自分の食事に手をつけた。
 食事をしながら、呆気にとられている隙に聞きそびれたことを尋ねてみる。
「リズって植物好きなの?」
 ダイニングにもたくさんの植物が葉を茂らせていて、まるでジャングルの中で食事をしている気分なのだ。続き間になっているリビングも植物で鬱蒼としている。
 一生懸命食事をしていたリズが、手を止めて顔を上げた。
 本当に一生懸命って感じ。いつもサプリだから、スプーンやフォークを使って食事を摂った事がほとんどないのだろう。
 リズはあたりを見回しながら言う。
「あぁ、確かにちょっと伸びすぎちゃってるわね。私じゃなくて大叔母さんが好きだったのよ」
「じゃあ、そのまま今はリズが世話してるの?」
「水も光も栄養も自動で供給されてるから、私は時々邪魔になるところを切るだけよ」
「へぇ」
 それなら納得。自分の食べるものすら無頓着なリズが、これだけ大量の植物を世話してるなんてちょっと意外だったんだ。
 まぁ、無頓着だからこそジャングルになってるんだろうけど。
 リズは再び一生懸命に食事を始める。スプーンやフォークと格闘している姿が、ひとりで食事を摂るようになったばかりの子供みたいで、なんだかかわいい。そのうち箸も教えてやろうかな。
 指摘すると怒られそうなので黙って見守ることにする。
 ふと、彼女の鼻の頭にケチャップがついていることに気づいた。どうやったらそんなとこにつくんだ。
 さすがにこれは指摘しないと。
「リズ、鼻の頭に――」
 何気なくリズの鼻先に手を伸ばした途端、痛みが全身を襲う。
「いてーっ!」
 うっかりしてた。
 手を退いて椅子の背にのけぞるオレを、リズが冷めた目で見つめる。
「なにやってんの、バカね」
 確かにうっかりしてたオレはバカかもしれない。でも鼻の頭にケチャップつけた奴にバカ呼ばわりされたくない。




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