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22.シーナ、危うし |
絶対命令が起動する。 こんなところで爆発させたら、すぐそばにいる爆発物処理班は無傷ですまない。 背中に覚えのある激しい衝撃を感じる。撃たれた。背負った飛行装置が破壊されて背中を滑り落ちる。 でも猫は無事だ。何もわかっていない無邪気な瞳がオレをじっと見つめている。 絶対命令に支配されたオレは、自分の意思でしゃべることもできないので、目で訴えた。 おとなしくしてろよ。もう一度リズに撫でてもらいたいなら。 伝わったわけではないだろうが、猫は目を細めてオレの胸に額をすり寄せた。ぜんぜんわかってないな、こいつ。 そばまで来ていた爆発物処理班は、班長たちが乗った車の後ろまで退避している。たぶんもうすぐ班長の連絡を受けた機動捜査班があいつを確保しにやってくるはずだ。それまでこいつを守らなきゃ。 ――って、うわぁ、また撃たれた。今度は背中を直撃。息つく間もなくもう一発きた。しかも寸分違わず同じところ。さすがロボット、照準も精密。 って感心してる場合じゃない。何度も同じところを攻撃されたらさすがに強化ボディもやばいんじゃないか? そんなことを考えていると、再び同じところを立て続けに二発撃たれた。 途端に視界が真っ赤に染まる。視界の隅で「警告」の赤い文字が点滅し始めた。システムメッセージが冷ややかに告げる。 強化皮膚の一部、耐久率60%に低下。 そんな情報知らせてくれなくていい。どうせ絶対命令で動けないんだから。 あとどれだけフルパワー時間が残ってるんだろう。絶対命令で無制限になってるから時間がわからない。フルパワーでエネルギーが底をついたら筋力が落ちて耐久率も下がるだろうし、なによりこいつを捕まえていられなくなる。 わぁ、また二発撃たれた。 警告文字の点滅が早くなる。 耐久率40%に低下。 やばいやばいやばいやばい……。 早く誰かっ……! 動けないので視界も変わらない。正面に見える車の窓にへばりついて、リズが泣きそうな顔でこちらを見ているのがずっと見えている。 この体が壊れて再起不能になったら、オレってどうなっちゃうんだろう。やっぱ死んだことになるのかな。 たとえそうだとしても、オレが猫を抱え込んでいれば誰かがあいつをなんとかしてくれるまでくらいは持つだろう。腹部の強化皮膚は無傷だから、背中から腹部を貫いて猫を破壊するには、まだまだ時間がかかるはず。 また撃たれた。 耐久率35%に低下。 とうとうリズが涙を流し始めた。窓を拳で叩きながら何かを叫んでいる。 あぁ、オレの名前か。唇の動きでわかった。 最後なら笑顔が見たかったなぁ。こんな赤く染まった視界じゃなくて普通の色彩で。この状況で笑えっていうのも無理だろうけど。 せめてオレが天使の微笑みを見せてやりたいところだが、表情も動かせないんだよな。瞬きすらできないし。 痛みがないからか、他人事のように死を覚悟しかけたとき、車の扉が開いた。 班長が車を降りてオレの方に大股で歩いてくる。 いつも通り不愉快そうな表情で腰のホルスターから素早く銃を抜いた。指揮官の班長が最前線に立つのは初めて見る。 いやいやいやいや、最前線に立ったらまずいだろう。オレが護衛の役に立てないのに、班長を狙ってた犯人の前に本人が出てくるなんて! 絶対命令は班長ひとりの命よりも、より多くの人の命を優先しているらしい。その証拠にオレは相変わらず猫を抱きしめたまま動けない。 頼むよ、班長。車に戻ってくれ。この間、せっかく守った命なんだから。 無表情なまま祈るオレの横で、班長の足は止まった。顔が動かせないので班長が何をしているのかは見えない。だが引き金を引いたのだろう。 ビシュッと音がして、微かな光を感知する。 クランベールの銃は光弾銃なので、そんなに大きな音はしない。もちろん班長の銃も対ロボット専用の銃だ。 いったい、なにがどうなっているのか、動けないオレにはさっぱりわからない。 だが班長が倒れたりしないし、背中への攻撃も止んだところを見ると、あいつを仕止めたのかな。 てことは、オレの命も助かったってことか。相変わらず視界は警告モードのままだけど。 ちぇー。班長の勇姿見たかったなぁ。 助かった途端のんきなことを考えていると、車の後ろに退避していた爆発物処理班がオレの元に駆け寄ってきた。オレの腕から速やかに猫ロボットを回収する。 そして自走式の台車が運んできた頑丈な金属製の箱のふたを開いた。箱の中は液体に満たされている。爆発物処理用の特殊な溶液のようだ。その中に猫を入れようとしているのを見て、思わず引き留めた。 「ちょっと待ってください」 あ、しゃべれた。絶対命令が停止したみたいだ。視界の警告モードも解除される。 筋力リミッター、ロック。 フルパワーも終了した。でもいったいどれくらい時間が経っているんだろう。絶対命令が起動していると時間の確認すらできないのだ。 改めて時間を確認する。なんと絶対命令起動から九分二十五秒しか経っていない。ずいぶん長い間銃撃に耐えてた気がしたのに。 立ち上がって振り返ると、美術館の屋根には次々に機動捜査班の捜査員が降りていくのが見えた。シャスとフェランドの姿も見える。 やっぱり班長があいつを仕止めてくれたようだ。 「班長、ありがとうございました」 オレが礼を述べると、班長は得意げにニッと笑った。 「借りは返したからな」 そう言ってオレの肩をポンポンと叩く。 「よくやった。背中の傷をリズに診てもらえ」 「はい」 珍しい笑顔とねぎらいの言葉を残して、班長は美術館の方へ歩いていった。 背中、傷になってるんだ。この間は無傷だったけど。 腕を回して背中を探る。制服に拳くらいの大きな穴が空いていた。まだ一日しか着てないのに。 触った感じだと、穴は空いてないようだが皮膚の表面がかなりガサガサに荒れている。こっちも修理が必要らしい。あの作業台に載るなら全裸かな、やっぱ。 オレがため息をついたとき、いきなりリズが抱きついてきた。 「シーナ!」 「うわっ、なに?」 驚いて尋ねると、リズは顔を上げて不安げな瞳でオレを見上げる。 「大丈夫? どこか不具合はない?」 「たぶんないと思うけど、あとで詳しく診てくれる? 背中も傷になってるし」 「うん。……よかった」 リズは小さく頷いたあと、再びオレの胸に顔を伏せてしがみついた。 怖かっただろうな。目の前で人間そっくりなものが何度も撃たれるのを見てるのは。 しかもこの体はリズにしてみれば、我が子も同然で尊敬するバージュ博士に因縁のあるものだし。 感知した生体情報から、リズがまだ恐怖に動揺していることがわかる。 どうしよう。抱きしめたい。 震える小さな体を抱きしめて、オレは無事だから、ちゃんとここにいるから、って安心させてやりたい。 けれどこんな時、ただのロボットはどう反応するべきなのか、オレにはわからない。 わからないけど、せめて少しくらいは安心してもらいたい。そう思ってそっと頭を撫でた。 しばらくそうしているうちにリズの心も次第に落ち着きを取り戻してきた。そろそろ仕事に戻らなきゃ、班長に怒鳴られる。そう思ってそわそわし始めたとき、後ろから申し訳なさそうな声が聞こえてきた。 「あの〜取り込み中のとこ悪いんだけど、用事がないんだったら、そろそろこいつを連れて行ってもいいかな?」 振り返ると、爆発物処理班が猫ロボットを抱えたまま苦笑していた。 やべぇ。オレが引き留めたんだっけ。 猫は暴れるどころか、すっかりリラックスしたように、びろーんと体の力を抜いて、なすがままにぶら下げられている。 こいつ本当になにもわかってないな。 オレは未だにしがみついているリズの肩を叩いた。 「リズ、あいつを撫でてやって。あいつがおとなしくしていてくれたからみんな無事だったんだ」 ようやくオレから離れたリズは、少し微笑みながら猫の頭を撫でる。 「いい子ね。あなたが一番辛い目に遭ってるのに、シーナの言うこと聞いてくれてありがとう」 猫は嬉しそうに目を細めて「にゃあ」と鳴いた。 こいつ、どうなっちゃうんだろう。やっぱり処分されちゃうんだろうな。こんな脳天気でおとなしい奴なのに。 同じことがリズも気になったようで、猫を箱に詰めて立ち去ろうとする爆発物処理班に尋ねた。 「あの、その子どうなるの?」 「あぁ、通常の爆弾なら爆破処理するけど、ロボットはメモリやプログラムのチェックがあるから、爆発物を取り除いて鑑識に回すことになってるんだ」 まぁ、爆弾犯人の手がかりをつかまなきゃならないしな。 話を聞いてリズの表情があからさまに明るくなる。わかりやすい奴。元気になったみたいでよかったけど。 爆発物処理班を見送ったあと、リズはオレの元に戻ってきた。表情はすでにいつもの科学者になっている。 「シーナ、背中見せて」 「ん……」 後ろを向いたオレの背中で、リズの細い指先が傷を撫でる。感覚まではなくなっていないみたいだ。周りの皮膚が感じてるだけなのかな。 前から気づいていたけど、痛い目にあってもその時だけで、人間のようにいつまでも引きずったりはしないようだ。その方がありがたいけど。 「ひどくやられたのね。かなり危なかったんでしょう?」 「耐久率三十五パーセントまで低下した」 データを回収されればわかることだから正直に告げる。リズは手を離して抑揚のない声で静かに言う。必死で感情の昂ぶりを押さえようとしているのがわかる。 「あなたの目が赤く点滅してたから危険な状態にあることはわかってたの」 へぇ。警告モードの時って、外からはそんな風に見えてるんだ。 「同じところを何度も攻撃されてたし、データを見ないと詳しくはわからないけど、ラモットさんが言うには、あのロボットの銃も出力が上がってたみたいだし、どれだけ耐えられるか私にはわからなかった」 「そっか。やっぱりあいつパワーアップしてたんだ。でもさ、オレの意思で動けないのはわかるけど、どうして微動だにしなかったんだろう。少し照準を逸らせれば一カ所にかかる負荷は減らせたんじゃないか?」 「人工知能を守るためよ。あなたの頭脳は胸に入ってることは知ってるでしょう? もしも強化皮膚が破壊されても人工知能に損傷がないように計算して背中を向けたはずなの。少しでもずれたら人工知能がダメージを受けていたかもしれないわ」 げっ! それはやばい。 あいつもロボットだから、オレの頭部を狙っても効果がないことは知ってただろうけど、もしかして頭脳を狙ってたのかな。オレの人工知能が停止すれば、耐久率もぐんと下がるし、もっと短時間で猫を破壊することもできる。想像しただけでぞっとした。 リズはオレの背中に頭をつけて、震える声で告げる。 「ごめんなさい。ラモットさんを守るのがあなたの仕事なのに、私が邪魔しちゃった。私が取り乱して”シーナが壊されちゃう”って騒いだから、ラモットさんはあなたを助けるために危険を承知で車を降りたの。彼の命を危険にさらしたのは私なのよ」 「君のせいじゃないよ。みんなが到着するまでオレがもたないかもしれないって判断したから、一番近くにいた班長が動いたんだよ。オレが壊されたら大変なことになるから」 「でも……」 まだ納得してないのか、リズの心は晴れない。 オレは振り返り、少し腰を屈めながら俯いたリズの顔をのぞき込んだ。 「現場では咄嗟の言動がその後の展開を大きく左右するんだ。オレにはまだまだそんな判断力はないけど、班長はずっと現場でその判断力を磨いてきた人だ。そんな班長の判断は今回最良だったとオレは思うよ。実際にオレも班長も爆弾猫も無事だっただろ? 君はむしろ班長に最良の判断材料を与えた功労者だと思う。いつもみたいに胸張っててよ」 そう言って頭を撫でると、リズはようやく顔を上げた。自信なさそうに揺れる瞳がオレを見つめる。 食らえ、天使の微笑み! 極上の笑顔で見つめ返しながら、オレはもう一度頭を撫でた。 「大丈夫だって、ドンマイ」 リズの目が一瞬大きく見開かれる。それと同時に彼女の体がピクリと跳ねた。 鼓動が早くなり呼吸数も増す。脳波が異常を示す波形を刻み、次の瞬間にはすべてが正常に戻った。 リズはゆっくりと目を閉じ、ひざから沈むようにその場に崩れていく。 「リズ!」 倒れかかった体をオレは慌てて抱きとめた。 生体情報はすべて異常なし。ただ意識だけがない。 なにがどうなっているのか、なにをどうしていいのかわからず、オレは通信で班長を呼んでいた。 真っ白な部屋で、ベッドに横たわるリズを見つめる。すっかり日は落ちて、窓の外は暗くなっていた。 あれから駆けつけた班長の命令で、オレはリズを抱えて警察車両に乗り込み、緊急走行でラフルール官庁街にある病院に向かった。 医者に調べてもらったが、やはりどこも異常はない。医者の見解は、極度な緊張から解放されて疲れが一気に噴出したのだろうということだ。 一瞬だけ、脈拍や呼吸数が増加して、脳波に異常があったことを告げたら、リズには普通にありえることだと言われた。 病気などで体内に制御チップやナノマシンを埋め込んでいるクランベール人は結構多い。リズも幼少期の記憶障害が元で、脳内に記憶制御チップを埋め込んでいたらしい。 疲れが原因ならいずれ目を覚ますだろう、と班長に言われてオレがそばについていることになった。目覚めた時、知らない場所にひとりでいると驚くだろうし。 それはオレがよく知っている感覚だ。 あのままリズはずっと意識がないけど、相変わらず生体情報には異常がない。目を閉じて静かな寝息を立てている。 医者は大丈夫だと言っていたが、やはり心配だ。ちょっとだけでもいいから、目を開けて欲しい。 その思いが通じたのか、リズが少し頭を動かした。そしてゆっくりと目を開く。まだ頭が働いていないのか、ぼんやりとオレを見つめる。 「よかった。気がついた?」 オレが声をかけると、ようやく意識がはっきりしたみたいで、驚いたようにひじをついて体を起こそうとする。 「シーナ? 私、どうしちゃったの?」 「現場で倒れちゃったんだ。どこも悪くないってお医者さんは言ったけど、まだ寝ていた方がいいよ」 オレはリズの肩に手を置いて、ゆっくりと体をベッドに戻した。再び体を横たえたリズは辺りを見回して尋ねる。 「ここは病院? 現場の仕事で忙しいのに、みんなに迷惑かけちゃったわね」 「気にしなくていいよ。事件は一応片付いてたんだし」 リズは真剣な表情でオレを見つめながら、まだ何かを言おうとした。 「あのねシーナ、私……」 「話は明日ゆっくり聞くから、今日は休んだ方がいいよ。班長もそうしろって」 話しかけた言葉を飲み込んで、リズは微笑みながら小さく頷く。 「えぇ。わかったわ。あなたも休んで」 「君が眠ったらオレも休むよ。あ、オレがいたら休めない? だったら外に出てるけど」「充電中なんでしょ? いてもいいわよ」 外にも電源はあるから、それは大丈夫なんだが。そう言おうとしたとき、リズがオレの腕を掴んだ。 「お願い。そばにいて」 少し照れくさそうに目を逸らして、それでも腕を掴んだ手に力を込めて、リズがオレを引き止める。 オレは腕を掴んだリズの手をベッドに戻して、天使の微笑みで答えた。 「了解しました。マスター」 |
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