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23.静かな始まり





 一足先に警察局に戻ったオレは、定位置に座ってムートンがパズルに興じている姿を見るともなしに見ていた。
 ようやく空が白み始めた早朝に、リズは目を覚ました。ぐっすり眠って疲れもきれいにとれたから家に帰ると言う。
 一応家まで送って、オレだけ先に警察局に帰ってきたのだ。女の身支度は時間がかかるかららしい。
 研究室を出るときにはリズの許可がいるけど、戻るときには許可がいらないのだ。なにしろオレは警察局の備品だから、持ち出しの方が厳しく制限される。入場には人間と同じように登録情報の確認と身体検査ゲートはくぐってるしな。
 他にロボット捜査員はいないから、警備員にも認知度は高いし。
 昨日の今日なので、二課長もリズがゆっくり出勤することを承知している。
 オレは背中の傷を修理するまで現場には投入されないことになった。皮膚だけなので身体機能には問題ないけど、傷を狙われたら今度こそヤバいからだ。
 穴の空いた制服は帰ってきて事務室に顔を出したときシャスが新しいのをくれたので、すでに新品に着替えている。
 たぶん班長が手配してくれたはずだから笑顔で礼を述べると、相変わらず不愉快そうに横目で見ながら頷いただけだった。
 班長のこういう反応はもう慣れてしまったけど。
 そのあとは研究室に戻って、ムートンの隣の定位置に座っている。
 午前中のこの時間、ムートンとふたりきりなのは珍しい。彼がパズルのピースをいじるカチカチという微かな音だけが部屋の中に響く。
 ヒマだけど図書館の本を読もうという気にはならなかった。ゆうべ眠る間際にリズが何かを言いかけていたことが気になっていたからだ。
 あの時は意識を取り戻したばかりの体が心配で遮ってしまったけど、今になってやけに気にかかる。
 朝起きた時のリズは、言いかけたことを忘れているのか何も言おうとはしなかった。
 あの時の真剣な表情が気になって、何か重要なことのような気がしてしょうがない。リズが来たら聞いてみよう。
 そんなことを考えながらぼんやりムートンを眺め続けていると、唐突に出入り口の扉が開いた。
 いつも通りに身支度を整えたリズが、いつも通りの笑顔でムートンに声をかける。
「おはよう、ムートン」
「オハヨウゴザイマス、リズ。ソウジガオワッタノデ、パズルヲタノシンデイマシタ」
「そう。いつもありがとう」
 そう言ってリズは目を細めた。毎朝繰り広げられる母と子の会話だ。そしていつもそのあとで、彼女はようやくオレに挨拶をする。
「シーナ、おはよう。昨日はありがとう」
「うん、おはよう。もう体は平気?」
「大丈夫よ。すぐに背中の傷を直すから、一緒に来て」
 リズは忙しそうに鞄を机の上に置いて、白衣を羽織る。そして部品が入っていると思われる小さな箱を持って作業場の方へ歩いていった。
 オレはそのあとに続き、一緒に部屋に入る。この部屋に入るのは目覚めたとき以来だ。 何度か調整はされたけど、プログラムの調整だけだったので、作業場に入る必要はなかった。ボディそのものをいじるのは初めてだ。
 やっぱ全裸なのかな。
 それが気になっていると、作業台の前からリズが見計らったかのように告げた。
「脱いで」
「全部?」
 努めて平静を装ったつもりだったんだが、リズはおもしろそうにクスリと笑う。
「いつも通り腰まででいいわ。おしりの割れ目まで出さなくていいから。うつ伏せになって」
「ん……」
 くそぅ。オレが何を気にしているのか、お見通しなのがなんだか悔しい。てか、おしりの割れ目とか言うな。
 少しムッとしながらオレは制服を腰までおろして言われた通りに作業台の上でうつ伏せになる。
 腕を枕にしてたらリズに指摘された。
「腕は体の横に置いてて。背中の皮膚が歪むし背筋に力が入るから」
「ん……」
 言われたとおり腕をおろして顔を横向きに作業台に載せる。まさにまな板の上の鯉だな。
 周りにある機械の電源を入れて調整をしていたリズが作業台に戻ってきた。いつものようにオレの腰に電源ケーブルと通信ケーブルを接続しながらこれからの作業内容を説明する。
「先に内蔵システムや機能のトラブルチェックを行うわね。異常があれば一緒に修理するから。そのあと傷ついた皮膚を交換するわ。痛いはずだから、痛覚センサは切ってね。気になるなら五感全部切っていいけど」
「痛覚だけでいい」
 五感全部切ってなにやってるのかわからない方が気になる。
「それから今回もギリギリだったからついでにバッテリも交換することにしたわ。その時、一瞬電源が切れるんだけど中のあなたは大丈夫かしら」
「さぁ……」
 それをオレに聞かれても……。
 そもそもオレの意識はこの体の中のどこにあるのかはオレ自身も把握していない。
 それは生身の人間も同じじゃないだろうか。その体が自分だとはわかっていても、体の中のどこに意識が宿っているかなんて、わかっている奴なんかいないだろう。
 オレの存在がメモリに記憶されたデータのようなものなら、瞬電で消えてしまう可能性もあるな。でもたぶん人格形成プログラムのようなものだから、システム領域にいるんじゃないか?
 だったらシステム用のバッテリで保護されてるだろう。
「他のバージュモデルは? バッテリ交換したら人格までリセットされるの?」
「そんなことはないわ」
「じゃあ、オレも何十日も放置されるわけじゃないからたぶん大丈夫だと思うよ」
「そうね。万が一消えちゃっても恨まないでね」
「え……」
 冗談だとはわかっていても、縁起でもないこと言うなよな。最初に宣告された余命が尽きるにはまだ時間があるんだから。
 てか、消えちまったら恨むこともできないだろう。
 中のオレのことは元々消えるとは思っていなかったのか、リズはためらうこともなく淡々と作業を進めていく。オレの頭の中には、接続された端末がメモリ領域をチェックしながら吐き出すメッセージがバラバラと流れていた。今のところ問題はないようだ。
 端末の画面を見つめながら、リズが唐突に尋ねた。
「ねぇ、昨日私が倒れる前に言った言葉、あれってニッポンの言葉?」
「え? 何言ったっけ」
 チェックの隙間を縫ってメモリから記憶をピックアップする。
「あぁ、ドンマイ?」
「うん」
「元々は日本語じゃないけど、ドンマイはほとんど日本語だな」
「どういう意味なの?」
「気にするなって意味」
「そう。そういう意味だったのね」
 リズは納得したように、何度も小さく頷いている。
 そんなに感心するほど、クランベール人にしてみれば珍しい言葉だったのだろうか。オレにはそのリアクションの方が珍しかった。
 やがてエラーチェックが終了し、異常なしのメッセージが表示された。リズはそれを確認して、オレの腰から電源ケーブルを引き抜く。そして横向きになったオレの顔を、自分も体を傾けて目線が合うようにのぞき込んだ。
「先にバッテリを交換するわね。交換直後は充電不足で強制的に省電力モードになるから、今のうちに痛覚センサを切っておいて」
「了解」
 言われたとおり痛覚センサを切る。システムメッセージがリズの見つめる端末に表示され、それを確認したリズが、腰にあるケーブルの差し込み口に指を差し込んだのがわかった。
 腰から背中に向かって皮膚が引っ張られるような感覚がある。おそらく皮膚をめくっているのだろう。センサを切ってるから痛みはないけど、なんか変な感じ。
 腕の上に生温かい皮膚がペロンと載せられて、微妙に気持ち悪い。少しの間、工具の発する低いモーター音と共に背中に微かな振動があった後、リズは再びオレの顔をのぞき込んだ。
「じゃあ、バッテリを外すわね。少しの間、おやすみなさい、シーナ」
「うん。おやすみ」
 唐突に視界が暗転し、オレはクランベールに来て初めて意識を失った。




 サラサラと髪を撫でられる感覚に、オレは意識を取り戻した。だがまだ視界は真っ暗で体はピクリとも動かせない。目も開けられないのだ。
 バッテリ充電量は十五パーセント。こんなに低下したことないから、どこまで回復すれば動けるのかはわからない。
 どうやらオレが消滅することなく、バッテリ交換はうまくいったようだ。
 さっき髪を撫でたのはリズだろう。皮膚の修理は終わったのかな。時間がどれだけ経ったのかわからないので気になる。
 バッテリの充電が進むに連れて停止していたセンサ類も徐々に起動し始める。どうせ出動命令はないんだし、充電が完了するまで人間の頃を思い出して惰眠を貪るのも悪くないな。
 まぁ、厳密な意味では眠ってないんだけど。
 目も開けずにそのままぐうたらモードに突入したとき、鼻先に湿った冷たいものが触れた。
 リズの指? なわけない。明らかに湿気が多すぎる。
 怪訝に思って目を開くと、目の前にあった顔からいきなり舌が伸びてきて口元をペロリと舐めた。
「うわっ! ちょっ、それはヤバいってリズ!」
 飛び起きて叫ぶオレに、冷ややかな声が頭の上から降ってくる。
「私のわけないでしょう? なに考えてんのよ、エロボット」
「あれ?」
 ムッとした表情のリズが両手に抱えているのは、あの爆弾を内蔵していた猫型ロボットだ。相変わらず緊張感のない表情でオレの方に首を伸ばしながら「にゃあ」と鳴く。
「……おまえだったのか。腹の中はきれいにしてもらったのか?」
 オレが頭を軽く叩くと、猫は目を細めてもう一度「にゃあ」と鳴いた。やっぱり脳天気な奴だ。
「修理は終わったわ」
「ありがとう。こいつ、どうしたの?」
「爆発物処理とチェックが終わったから解放されたの」
「マスターは?」
「登録されてなかったんだって。どこで放されたんだかわからないけど、ロボットに近づくようにプログラムされてたらしいわ」
「ロボット? 美術館じゃなくて?」
「銃撃ロボットと対になってたのかもしれないって話だけど、銃撃ロボットはベレールみたいにメモリが消えたらしいわ。私が倒れたりしなければ阻止できたのに、なんのために現場にいたんだか……」
 そう言ってリズは悔しそうに唇をかむ。
「それはしかたないだろ。君だって倒れたくて倒れたわけじゃないんだし」
「まぁ、二回もしてやられたわけだから、要望が通るのも早くなると思うわよ」
「早く法整備してもらいたいよな」
 オレが他のロボットのメモリ領域にアクセス可能になれば、リズが現場に出て危険な目に遭わなくてもよくなるわけだし。
 人間のリズよりオレの方が対応も早いしな。
 てっきり落ち込んでるのかと思ったが、リズはそれほど気にしていないようだ。てか、なんかうかれてる?
 感情を探るまでもなく、にこにこと笑みを刻む。
「それでね、この子マスターがいないから、私がマスターになったの」
「へ? そいつ飼うの?」
「だってもう爆発はしないし、こんなにおとなしくてよく言うことを聞くいい子だもの。解体処分なんてかわいそうじゃない」
「まぁ、言うことはよく聞くけど」
 よく聞くっていうより、こいつの場合なにもわかってないだけだと思うけど。なんとなく、こうなるような気はしてた。
「じゃあ、これからは仲良くしてね。トロロンって名付けたの」
 緊張感のない脳天気ぶりを表現した名前だろうか。
「研究室に置くの?」
「家には私がいる時間が少ないし、この子がひとりになっちゃうから寂しいでしょ?」
「リズは寂しくないの?」
「だから、家にはほとんどいないから寂しくなるひまないわよ」
「ふーん」
 寂しいから家にいたくないんじゃないか? とは言わずにおく。
 腰まで下ろしていた制服に袖を通して、トロロンを抱えたリズと共に作業場を出る。
 リズはそのままトロロンをオレに預けて、二課長に作業完了報告をするために研究室を出て行った。
 充電がまだ完全ではないので、オレはムートンがパズルをしている隣でケーブルを繋ぐ。そしてそのまま図書館の本を閲覧しつつ、トロロンとまったりしたり、じゃれあって遊んだりした。
 トロロンは中型犬くらいの大きさがあるので、じゃれあうと結構取っ組み合いみたいな感じになる。無駄に体力使って、充電が進まないっての。
 地球の猫だとじゃれあって興奮したら爪が出たりするもんだが、さすがは愛玩用ロボット。人間相手に遊んでるときに爪は出さない。オレは人間じゃないけど。
 しばらくそんなことを繰り返していると、隣で黙々と立体パズルを楽しんでいたムートンがオレに声をかけた。
「シーナ、オナカガスキマシタ」
「あぁ」
 リズがいないとき充電が必要になると、ムートンはオレに要求する。リズがちゃっかりそんな風にプログラムを変更したらしい。
 立体パズルはきれいに組み立てられている。そろそろ夕方の掃除を始める時間だからか。掃除中にピースが紛失しないように、ムートンは掃除の前にはきっちりパズルを完成させる。
 ムートンの電源ケーブルを繋ぎながら、そんなことを考えてふと気づいた。
 リズ、遅すぎじゃね?
 オレが目覚めたのが昼過ぎだった。今は日が傾き始めて窓から差し込む日差しが少しオレンジ色になっている。
 二課長に報告に行って、そのまま何か用事を頼まれたとしても、オレに誰からも連絡がないってのはおかしくないか?
 他の人にとってオレは備品だから、連絡がないのは仕方ないけど、だからこそリズ本人から連絡がないのが一層気になる。昼間にこんなに長時間理由のわからない不在はなかったのだ。
 なんだか胸騒ぎがして、オレは二課長に通信を入れた。
「お疲れさまです。シーナです」
「あぁ、シーナ。もう体は大丈夫かい?」
「はい。充電も完了しました」
「そうか、よかった。これからもよろしく頼むよ」
「はい。頑張ります。ところで二課長、今事務室ですよね」
「あぁ」
「リズはそちらにいますか?」
「リズは昼過ぎに来たけど、報告をすませたらすぐに帰ったよ」
「研究室には帰ってないんですけど、どこに行ったか聞いてませんか?」
「なにも言ってなかったよ」
 なんだ、それ。リズが行方不明?




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