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班長の秘密 5.




 ふたりを見送った後、リズはさっさとコンピュータに向かう。座った後ろからのぞき込むと、画面にはダレムとオレの稼働データが表示されていた。他のウィンドゥは表示されていない。
「あれ? ダレムのモニタリングしないの?」
「マスターのラモットさんが一緒なんだから必要ないでしょ? それにラモットさんのプライベートを私が勝手に覗くわけにはいかないわよ」
「オレのプライベートは覗いてるくせに」
「規則なんだから仕方ないでしょ」
 まぁ、解脱しちゃってるし、トイレや風呂に入るでもなし、見られて困るようなプライベートもないけど。
 モニタリングシステムで確認しようと思ってたけど、当てが外れたのでダレムに通信で班長の家が近付いたら連絡してくれるように頼んだ。
 ムートンが掃除で部屋の中を行き来しているので、そのままリズの後ろから見るともなしにモニタを眺める。
 時々顔を近づけて覗いていると、リズが迷惑そうにつぶやいた。
「ねぇ、そこにいられると気が散るんだけど」
「え?」
 身を屈めたまま顔だけリズの方に向ける。至近距離で目があった瞬間、リズは真っ赤になって車輪のついたイスごと一気に身を退いた。
 あまりの狼狽ぶりに呆気にとられて立ち尽くす。
 えーと。オレ、恋人じゃなかったっけ?
 冷ややかに見つめるオレを見ながら、リズがしどろもどろに言い訳をする。
「きゅ、急に顔を近づけないでよ。び、びっくりするじゃない」
 意図せず近付いただけで、舌がもつれるほど動揺されてる恋人の身にもなってくれ。
 つま先を操りながらそろそろとイスごと戻ってきたリズが元の場所に収まる。
 ちょっとは慣れてもらわないとな。
 オレは背中からリズを抱きしめた。
「きゃあっ!」
 今度は悲鳴かよ。幾分テンション下がり気味だけど、暴れるリズをそのまま拘束して耳元で囁く。
「もしかして欲情しちゃった?」
「ちが……っ!」
 体温、脈拍急上昇。耳たぶも真っ赤。これだけ極端な反応はかえっておもしろい。
「オレ性欲ないから、気付かなくてごめん。でも君が求めるなら、いつだって応えるよ。どうしてほしい?」
「放して」
「うそつきだなぁ」
「うそじゃないわ」
 やべぇ。声がふるえてる。これ以上からかったら泣く。
 オレが離れようとしたとき、リズの感情がテレや戸惑いから一気に怒りにシフトした。
 マジ、やべぇ。
「わかった、ごめん! 放す放す。放します、マスター!」
 慌ててリズを放し、遠ざかろうとするオレの耳に、リズの低い声が響く。
「シーナ、命令よ。痛覚レベルプラス三負荷」


 マスターの命令受理。
 痛覚レベル+3負荷。


「いてーっ!」
 無条件でいきなり来るとは。
 駆けだしていたオレは、のけぞった拍子にバランスを崩して床に転がる。そこへ掃除のために部屋を往復していたムートンがやってきた。
「シーナ、シンロヲボウガイシナイデクダサイ」
「はーい」
 容赦ない。自業自得だけど。
 のそのそと四つん這いでムートンに進路を譲る。そのまま床に座ってムートンを見送った時、頭の上に影が差した。
 見上げると目の前には腰に両手を当てて不愉快そうに見下ろすリズが仁王立ちしている。
「研究室でそういう悪ふざけは禁止されてるでしょう?」
「はい。もうしません、マスター」
 居住まいを正して素直に頭を下げたものの、なんか釈然としない。
 研究室でイチャイチャするなとは言われてるけど、だったらどこでイチャイチャすればいいんだ?
 オレはリズの許可がなければ研究室から出られないし、リズは出不精で会議とかどうしても避けられない用事があるときか、家に帰るときしか研究室を出ない。
 恋人同士がイチャイチャできないってなんの罰ゲーム。てか、それって恋人同士といえるだろうか。
 うなだれて考え込むオレの頭をリズがポンポンと叩いた。
 落ち込んでいるとでも思われたんだろうか。
 見上げるとムートンやダレムに向けられる慈母の微笑みがオレに向けられていた。初めてのような気がする。
「いい子ね。今日は一緒に帰りましょう。二課長に許可もらっておくわ」
「え、リズんちに行けるの?」
「許可が下りればね」
「やった!」
 自然とテンションが上がる。イチャイチャすることより、メモリに蓄積された料理のレシピが役立つ時が来たからだ。
「帰りに食材買っていい?」
「いいわよ。また何か作ってくれるの?」
「うん。色々覚えたから」
「楽しみね。じゃあ、あなたがラモットさんのとこに行ってる間に注文しておくから、必要なものをリストにして私のマシンに送信して」
「了解」
 制服じゃ目立つから、戸棚の陰でこそこそ私服に着替え終わったとき、ダレムから通信が入った。
「シーナ、もうすぐ班長の家に到着します。班長はいつも家に到着して間もなく出かけます。少し急いでください」
「わかった。すぐ行く」
 通信を切って少し急ぎ足で出入り口に向かう。扉の前で振り返ってリズに声をかけた。
「じゃあ、行ってくる」
「えぇ。ラモットさんに迷惑かけないようにね」
 母親のような小言を言って席を立ったリズが、少し寂しそうにしながらこちらを見つめる。
 なんだろう。ちょっと出かけるだけなのに。
 疑問に思って立ち止まっていると、いつもはほとんど反応しない初期プログラムが起動して視界にメッセージを表示した。

――挨拶

 あ、そうか。ここは日本じゃないんだった。
 オレは慌てて引き返し、リズの頬に軽くキスをする。
「行ってきます、マスター」
「行ってらっしゃい」
 リズの寂しそうな感情が一気に消えた。
 クランベールでは欧米のように、親族や恋人同士など、特に親しい間柄では挨拶にキスをする。
 日本ではそんな挨拶新婚夫婦くらいのもんだと思ってるので、あの事件の翌日リズからおはようのキスをされたときは、なんでいきなり積極的になったのか混乱したくらいだ。
 恋人らしい挨拶をして、オレは改めて研究室を出る。
 そっか。別にイチャイチャしなくても、挨拶のキスをするだけでリズに対する親密度は伝えられるよな。
 日本人のオレはついつい忘れがちだけど、今度から気をつけることにしよう。
 メモリにリズへの挨拶フラグを立てて、オレは急いで班長の家に向かった。




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