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2.三度目の遭遇




 四六時中ジンが側にいる、気の休まらない日々が始まった。
 さすがに着替えや入浴中は側にいない。その他、家庭教師がいる時も席を外しているが、それ以外はずっと近くにいる。本当に気が休まらない。
 夜になり寝室でひとりになった時、クルミはようやく安らげた。
 そのため最近は、今までより早く寝室に入る。今日も部屋の外でジンに挨拶をして、そそくさと寝室に逃げ込んだ。
 寝間着に着替えた後、ベッドの側にある小さな灯りで、本を読んだり手芸で小物を作ったり、ひとりだけの時間を楽しむ。
 今までひとりきりでいるのは少し寂しく思っていたが、気の休まらない人がずっと側にいるよりはずっと楽しいと思えた。
 存分にひとりきりの時間を満喫し時計を見ると、いつもの就寝時間を越えていた。慌てて灯りを消し横になろうとした瞬間、ギクリとしてクルミは動きを止めた。
 灯りの消えた寝室の窓は、カーテン越しに外の月明かりで白く浮き上がって見える。その中央に、人の頭のような影が見えていた。
 クルミはベッドを下りて、裸足のまま静かに窓辺へ歩み寄る。カーテンを少しだけよけて、恐る恐る覗いてみる。そこには窓に背を向けたジンが立っていた。
 驚いてカーテンを戻そうとすると、ジンがこちらを向いた。
 眼鏡をかけていない。琥珀色の瞳は瞳孔が大きく開いていて深い緑色に見える。
 クルミと目が合ったジンは、意地悪な笑みを浮かべた。
「随分と夜更かしなんだな、お嬢様」
 てっきり夜は休んでいるものと思っていた。けれど少し考えれば予測できたはずだ。
 クルミは夜、獣に襲われている。昼間より夜の警護に重点を置くのは当然だろう。
 おそらくジンは毎夜クルミと分かれた後、ここで警護に当たっていたのだ。クルミがすぐに眠っていない事は筒抜けだったようだ。そう思うと少しきまりが悪い。
 クルミは窓を少し開けてジンに確かめた。
「あの、毎晩ここに?」
「あぁ。寝室に入り込まれたんだろう?」
 やはり思った通りだった。
「あの、私……」
 ひとりになりたくてジンを追い払うように寝室に逃げ込んでいたのが、なんとなく悪いような気がした。その分ジンは外に立っている時間が長くなるのだ。
 謝るべきか考えあぐねて口ごもっていると、ジンは察したようにクスリと笑った。
「別にあんたの夜更かしなんかかわいいもんだ。オレがいる目の前で男を連れ込むご令嬢もいるくらいだしな」
「え……」
 ジンのようなボディガードを雇うのは、ある程度裕福な家庭だ。
 獣は決まって女を襲う。領内の女たちは獣よけの香水を常用しているが、それだけでは不安だと言う人たちがボディガードを雇う。
 ジンはこれまでも色々な女たちの警護をしてきたのだろう。
 少し気が楽になってクルミは気になっていたことを尋ねた。
「眼鏡なくても見えるんですか?」
「あれは視力矯正用じゃない」
 ジンの目は光を多く取り込むことができるらしい。そのため夜目は利くが昼の光は強すぎる。
 良家の子女を警護する事が多いので、色眼鏡だとガラが悪く見える。そのため見た目は普通の眼鏡をかけているのだという。
 クルミに対しては相変わらず、無遠慮で横柄で意地悪だが、仕事に対しては真面目に取り組んでいるようだ。
 両親に対しては丁寧だし、使用人たちに対してもクルミに対するほど横柄ではないように感じる。どこかのご令嬢に嫌な目に遭わされたか、よほどクルミが嫌いなのか、どちらかなのだろうと思った。
 ふいにジンがクルミの胸元を見つめてニヤリと笑った。
「あんたは何のサービスだ? そんな薄着にノーブラで、オレを誘っているのか?」
「違います!」
 クルミは咄嗟にカーテンを引っ張って胸を隠した。
 寝る時はいつも、この格好なのだ。ジンがいるとは思わず、少し様子を見ようとそのままやって来ただけなのだ。
 月明かりしかない暗がりで、そこまで見えるとは、夜目が利くというのは本当のようだ。
 ジンは朝まで寝室の警護をするという。いつ寝るのか尋ねたら、家庭教師が来ている間に寝ているらしい。それでその時は席を外していたのだ。
 ジンに改めておやすみの挨拶をして窓を閉めようとした時、庭木がガサリと音を立てた。庭木が揺れるほどの風は吹いていない。
 クルミにはどの木が音を立てたのか分からなかったが、ジンには見えたのかもしれない。右斜め前方を注視している。クルミもそちらに視線を移した。
 月明かりの下、背の低い庭木が表面の葉を銀色に染めている。
 再びガサガサと音がして、今度はクルミにも木が揺れるのが見えた。
「窓を閉めて下がっていろ」
 ジンが動いた庭木に素早く駆け寄る。それと同時に木の根元から黒い影が飛び出した。
 全身を茶色っぽい毛に覆われた狐のような獣だ。狐よりも毛が長い。
 フサフサの太いしっぽを横に振って、ジンを迂回するように横っ飛びすると、獣は真っ直ぐにクルミを見据えた。
 獣とクルミの視線が正面からぶつかる。獣の口が薄く開き、ニヤリと笑ったように見えた。
 背筋をゾクリと悪寒が走る。逃げようにも身体が硬直して動けず、声も出ない。
 獣はクルミを目がけて駆け出した。
 次の瞬間、横から飛びかかったジンが、獣の首を片手で掴み、押さえ込んでいた。あの細い身体のどこにそんな力が宿っているのか、獣はジタバタともがくばかりで、ジンを振り払えずにいる。
 ジンが獣を見下ろして冷酷な笑みを浮かべた。
「オレから逃げられると思っていたのか?」
 そしてためらう事なく、獣の胸に手を指から突き立てた。骨が砕けるような音に目眩がしそうになる。
 獣は少しの間弱々しく四肢をばたつかせた後、やがて動かなくなった。
 それを見届けてジンは手を引き抜き立ち上がった。そして薄笑いを浮かべながら何食わぬ顔でクルミの元へ戻ってくる。
 月光に照らされ赤黒く染まった手から鮮血をしたたらせながら。
 今にも腰が抜けてしまいそうで、必死に足を踏ん張っているクルミにジンは平然と声をかけた。
「下がってろと言っただろう。何か拭くものをくれないか? これ」
「きゃあぁ!」
 いきなり目の前に血まみれの手を見せつけられ、クルミは反射的に飛び退いた。
「待ってください」
 それだけ言ってクルミは洗面所に向かった。しめらせたタオルを投げるようにしてジンに渡す。
 ぬれタオルで血をぬぐったジンの手を見て、クルミは目を見張った。しなやかできれいだと思っていた彼の指先には、獣のように鋭くとがった爪が生えていた。
「その爪……」
 クルミの指摘にジンは笑いながら軽く答えた。
「あぁ、オレは爪を自在に伸ばす事ができる。聞いてないのか?」
「何を?」
「オレには獣の血が流れている。オレの父親は獣だ」




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