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9.最高の香りと蜜の味




 ジンの唇がまぶたから頬へ、そして唇へと移動する。朝とは打って変わって優しいキスに流されそうになる。
 これ以上は無理。こんな風に流されていては、離れられなくなってしまう。
 クルミは意を決して、ジンの胸に手を添え身体を突き放した。
「私が嫌いなら、こんな風に優しくしないでください」
 そっと抱きしめられて涙をぬぐわれたら、慰められているようで虚しい期待をしてしまう。
 俯くクルミの頬に、ジンはそっと手を添えて顔を上向かせた。間近で見つめるジンの顔から眼鏡が消えている。
 冷たい光を湛えたまま、ゆっくりと目が細められ、口元に笑みが浮かんだ。徐々に鼓動が早くなる。胸の奥で警鐘が鳴り始めた。逃げろと本能が告げている。
 けれど手のひらの温もりが、見つめる瞳が、身体を縛り付けているかのように動く事ができない。
「望み通り、乱暴に扱ってやる」
 そんな事望んでいない! ようやく逃げようとしたがすでに遅く、ジンは乱暴にクルミをソファに押し倒した。
 ひざに伏せた本がバサリと音を立てて床に落ちる。咄嗟に腕を交差させて両肩を掴み、胸をガードした。
 ジンは体重をかけてクルミの上半身を押さえ込み、目の前でクッと余裕の笑みを漏らす。その時になって痛恨のミスに気付いた。これでは手の自由がきかない。
 ジンの右手がソファの外に投げ出されたクルミの足から、スカートをたくし上げる。スカートの下に滑り込んだ手のひらが太股を撫でて、胸を触られた時と同じ感覚が背筋を走った。
 無駄だと思いつつも、クルミは涙目で訴える。
「や……やめてください。私が嫌いならかまわないで……」
「嫌いだから、乱してやりたい」
 その歪んだ論理が理解できない。
 太股を撫でていた手が内股に回って、ゆっくりと上に上がっていく。ゾクゾクとした感覚が、背中から頭の芯まで痺れさせる。
 逃れようと足を動かすが、身体を押さえつけられているせいで思うように動かせない。足の付け根に到達した手は、下着の中に侵入してきた。
 これまでとは比べものにならない刺激が突き抜ける。思わず声が漏れそうになり、クルミは歯を食いしばりギュッと目を閉じた。
 ジンは空いている左手でクルミの髪をひと撫でし、頭を抱えるようにして激しく口づけた。
 絡まる舌とうごめく指が、クルミの意識を翻弄する。口を塞がれ言葉にならない声が、のどの奥から漏れた。
 一瞬唇を離したジンが、耳元で嬲るように囁いた。
「あんた、感じてるだろう」
 そして再びクルミの声を封じるように唇を塞ぐ。
 ジンの言葉に、全身が一気に熱くなった。この未知の感覚が、不快でないどころか快感である事を改めて思い知らされる。
 嫌われているのに触られて喜んでいる自分のみだらな身体が恥ずかしい。ジンはそんな恥ずかしいクルミを見て楽しんでいるのだ。
 恥ずかしいのに、波のように押し寄せる快感が、クルミの理性をはぎ取り思考を奪っていく。
 ひときわ大きな波に飲み込まれ、目を閉じているのに目の前が真っ白になった。
 全身から力が抜け、ふと押さえつけていたジンの身体が少し浮いている事に気付く。重いまぶたを開くと、ジンが目の前で意地悪な笑みを浮かべた。
 クルミに見せつけるように、濡れた指先をゆっくりとしゃぶる。
「イッた時のあんたって、最高に甘い香りを放つんだな。蜜の味も最高だ」
 意味はよく分からないが、とんでもなく恥ずかしい事を言われているような気がする。
 ジンが一層凶悪な笑みを浮かべた。
「直接味わってみたくなった」
 ジンの指を濡らしていた物の出所は想像がつく。直接という事は……。
 そんなの恥ずかしくて死んでしまう!
 知らず知らずに涙があふれ、クルミは子どものように声を上げて泣き始めた。
 ジンはクルミの身体を抱き起こし、いつものようにまぶたや頬に口づけ優しく涙をぬぐう。泣きじゃくるクルミの髪を撫でながら、耳元で囁いた。
「今度の楽しみに取っておこう。もうすぐ夕食の時間だ」
 耳たぶに口づけ甘噛みされて、身体がピクリと跳ねる。ジンはクスクス笑いながら立ち上がり、サイドテーブルに置いていた眼鏡をかけて部屋の隅に戻った。
 完全に身も心も弄ばれている。
 クルミは鼻をすすりながら床に落ちた本を拾いページをめくった。本に視線を落としながらも頭の中はジンの事で一杯になる。
 今度っていつだろう。たとえ警戒していても、力ではジンにかなうわけがない。
 あんな恥ずかしい事二度とごめんだ、と頭では拒絶しても想像しただけで身体は熱く疼いてしまう。
 それにジンから微かに漂った甘い香りが気になって胸がざわつく。あれは獣よけの香水の香りだ。獣よけの香水は獣よけ効果の他に、様々な香りが付加されている。
 普段のジンは驚くほど無臭だ。兄や父のように男性特有の匂いもしない。時々洗濯物のように日だまりの香りがほんのりとするくらいだ。
 クルミにずっと張り付いているジンが、外部の女性と接触しているとは考えにくい。屋敷内にいる誰かの移り香なのだろう。
 真っ先に思いついたのはモモカだ。けれど彼女が常用している香水の香りとは違う。他の誰だろうと次々に侍女や厨房の女たちを思い浮かべてみるが、全員の香りを把握しているわけでもなく、すぐ壁に突き当たった。
 移り香がつくほどに親密な関係にある女性が屋敷内にいる。そう思うと胸の中にモヤモヤと嫌な感情が渦巻く。
 嫌われているのに、ジンにとってはいじめて遊ぶおもちゃでしかないのに、不毛なヤキモチを焼いている自分がほとほと嫌になった。




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