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14.紅い華




 ジンの温もりに包まれてクルミはそっと目を閉じた。思い返せば、泣いていないのにこんな風に優しく抱きしめられたのは初めてだ。そう思うと次第にドキドキしてきた。
 このまま時を止めて優しいジンを独り占めしたい。クルミが密かな幸せに浸っていると、耳元で意地悪な声が囁いた。
「あんた、何か期待しているのか?」
「え?」
 胸の内を見透かされたような気がして、クルミは焦って顔を上げる。至近距離で目が合い、益々焦った。
「さっきから鼓動が早くなっている」
 ドキドキしていた事がばれていた。恥ずかしさで一気に顔が熱くなる。ジンが凶悪な笑みを浮かべた。
「そういう期待には応えてやろう」
 どういう期待? と問う間もなく、クルミの身体は抱き上げられベッドの真ん中に横たえられていた。ジンはすかさずクルミの上にのしかかり、体重をかけて身体ごとベッドに押しつける。
 突き放そうと伸ばした両手はあっさり捕まり、指を絡めて顔の両脇でベッドに縫い止められた。
「離してください!」
「騒げば人が来るぞ。見られてもいいのか?」
 それは困る。
 おもしろそうにニヤつくジンを睨んで、クルミは仕方なく声を潜める。
「こんな事、期待していません」
「こんな夜更けに招き入れたのはあんただ。オレが誤解しても仕方ないだろう?」
 誤解だと分かっているなら解放してくれてもいいではないかと思う。けれどジンにその気がない事は分かっている。彼は意地悪をしたいのだ。そして朝まで待てなかったうかつな自分を呪うしかない。
 ジンが顔を近づけながら囁く。
「オレに刃向かったお仕置きも、手を上げた罰もまだだったしな」
 お仕置きなら、この間充分に受けた気がする。
 夜明けまではほど遠い。時間はたっぷりとある。あれ以上の恥ずかしい目に遭わされるのかと思うと、クルミの鼓動は先ほどよりも更に激しくなる。
 ふと昼間の母の姿が頭の中をよぎった。嫁入り前なのに、愛されてもいない人とあんな事……! 両親も神様もお許しにならない!
「い……や……」
 この状況から逃れられるとは思えないが、せめてもの意思表示でつぶやいてみる。目には涙が滲んできた。
「おとなしくいう事を聞けば優しくしてやる」
 ジンが許してくれる気はないのだと悟り、クルミは観念して目を閉じた。ジンはいつものようにまぶたに口づけ涙をぬぐう。そして宣言通りに優しく唇を重ねた。
 最初はついばむように軽く小刻みに繰り返されていたキスが、やがて唇を割って侵入した舌が口腔内を這い回り次第に熱を帯びていく。それに伴ってクルミの身体も中心から熱くなっていった。
 掌を重ねて指を絡めたジンの手がキュッとクルミの手を握る。応えるようにクルミも握り返した。
 ジンの与える熱に翻弄されて身体の力が抜けていく。誘うようにうごめく舌に、いつしかクルミも応えていた。
 左手はクルミの手を握ったまま、ジンの右手はクルミの手を離れ、髪を撫で指の背で頬を撫でる。
 これまで無理矢理押さえつけられて強引に触られた時と違い、柔らかく優しく触れるしなやかな指に、クルミの中から抵抗の意思が抜け落ちていく。
 頬を撫で首筋を滑り、ジンの手は胸元のリボンをほどいてボタンを次々に外していった。寝間着の内側に侵入した手は、直接肌の上をゆっくりと滑っていく。唇はあご首筋肩と辿り、開かれた胸元へ下りていく。
 背中をゾクゾクと断続的に駆け抜ける快感に、吐息を漏らしながらも切なさに胸が痛む。閉じた目の縁から涙があふれてこぼれた。
 再びまぶたに口づけられ、クルミは薄く目を開く。ゆるゆると胸を弄びながら、目の前でジンが尋ねた。
「どうして泣いている。気持ちいいんだろう?」
 分かっているくせに意地悪だ。うるんだ瞳で力なく睨むクルミに、ジンが優しく微笑んだ。
「何が欲しい? 言ってみろ」
 甘い声音に誘われて、虚しい欲求が口をついて出た。
「あなたの、心が欲しい……」
 スッと目を細めたジンは、何も言わずクルミの胸の谷間に唇をつける。胸を掴んだ手がギュッと握られ、胸の谷間にチクリと痛みが走った。
「……っ!」
 クルミがピクリと身体をこわばらせた次の瞬間、ジンはおもむろに顔を上げた。
 手の動きも止まり窓の方を注視している。クルミもそちらへ目を向けた。部屋の中も外もいたって静かに感じられる。
 ジンは小さく舌打ちして身体を起こした。
「続きはお預けだ。何か来た。あんたはここでおとなしくしてろ」
 握られた手が離れていく。掌にうっすらと滲んだ汗が、夜気に触れた冷たさに胸の奥を寂しさがよぎる。
 ベッドを下りて窓へ向かうジンの背中をクルミはぼんやりと目で追った。ジンは入ってきた時と同様ひらりと外へ出て窓を閉めた。
 クルミはのろのろと身体を起こす。ジンが外したボタンを留めながら、胸の谷間についたアザに気付いた。先ほどの小さな痛みはこれだったのだろう。
 ジンが咲かせた紅い華。クルミの要求にジンは答えずこれを残した。
 心などどうでもいい。力の源になる身体だけよこせ。そう言われたような気がした。
 ボタンを全部留めてベッドの縁に腰掛ける。外を確認した後、ジンはまた窓の外にたたずむのだろう。
 理由もなくもう一度招き入れる気はない。身体に点った熱はすでに引いてしまったが、余計に眠れなくなった。
 眠くなるまで本でも読もうと立ち上がった時、窓の外で大きな音がした。バキバキと木がへし折れるような音と獣の咆哮。全身の血が凍るような気がして、クルミは窓を見つめたままその場に硬直する。
 胸が早鐘を打ち始め、掌や額にじんわりと汗が滲み始めた。
 ジンは何かが来たと言った。先日庭に現れた小さな獣とは比べものにならないほど、大きくて危険な獣が現れたのではないだろうか。おそらく庭木がへし折られた。
 そう考えてハッとなる。外へ出たジンは? 
 クルミは窓に駆け寄り外を窺った。部屋の灯りが反射してよく見えない。カーテンを引いて内側に入ってみたが、月明かりのない庭は闇に包まれていて遠くまでは見えない。
 獣のうなり声が低く響く。ジンの姿は見えず、声も聞こえない。
 クルミはいても立ってもいられなくなって窓を開いた。
「ジン――――!」




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