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有名人・文化人墓所
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近松ゆかりの地へ
坂田藤十郎の墓 所在地:大阪市天王寺区四天王寺 「四天王寺墓地」内
最寄駅:地下鉄谷町線(四天王寺前)下車、南へ約300m、
中之門より入り、「元三大師堂」の右手前にあり
坂田藤十郎は、1647年(正保4年)京都の都万太夫座の座元、坂田市左衛門の長男に生まれた。
幼い頃から舞台に立ち、無類の稽古熱心との話が伝わるも、30歳ごろまでの修業時代については不明な点が多い。
 1678年(延宝6年)に名妓夕霧が亡くなって僅か1ヶ月後に上演された『夕霧名残の正月』で藤屋伊左衛門を演じて好評を博し、役者としての地歩を固めた。1693年(元禄6年)6歳年下の近松門左衛門と組んだ『仏母摩耶山開帳』で、名優としての地位を固め、以後近松の歌舞伎作品を数多く演するようになる。
 特に、1699年年(元禄12年)の『けいせい仏の原』の梅永文蔵役は興行的にも大当たりをとった。その芸風はせりふ回しがうまく、独白を得意とした独特の写実的演出で、上方歌舞伎の基礎を作った。
それまでは踊りが中心だった歌舞伎を、近松門左衛門と提携してせりふ劇に発展させ、「和事」の創始者ともいわれている。1709年(宝永9年)62歳で病没した。

[参考資料] 『大阪人物事典』 三善貞司編 清文堂出版社
         『現地解説板』 四天王寺
坂田藤十郎の墓 大阪市天王寺区四天王寺の墓地にある坂田藤十郎の墓。この小さな墓(五輪塔)は1919年(大正8年)松竹の白井松次郎らが発起人となり、建てた供養塔である。
この年、菊池寛の『藤十郎の恋』が大評判となり、初世中村鴈治郎の主演で浪花座で上演、大成功を収めたため、感謝の気持ちを込めて白井社長らが建てた。
傍らに木谷蓮吟の大きな顕彰碑が建っている。
墓地の中心にある「元三大師堂」。上記の墓はこのお堂の右手前にある。

元三慈恵大師良源:912年(延喜2年)近江・浅井に生まれた。
神童の誉れ高く、12歳で比叡山の理仙上人に師事して得度。天台・密教の両教学に通じて論義に秀で、966年(康保3年)に第18代天台座主に就任し、活躍。叡山中興の祖といわれている。985年(永観3年)遷化。
又、仏教各宗の寺院・神社で行われている「おみくじ」の創始者である。慈恵大師が観音菩薩に祈念して偈文(げもん)を授かった観音くじが起源と言われる。
元三大師堂

文化人墓-017/TTL-216

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