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所在地:
久本寺:大阪市中央区谷町8丁目
銅吹所跡:大阪市中央区島之内1丁目 |
住友は三井と並んで、長い伝統を持つ旧財閥の代表株である。現在でも住友の名を冠した会社の数は相当数に上る。住友財閥の祖といわれる2代目住友友似(とももち)のとき、大坂で銅の精錬業に取り組み、その基礎を固めたといわれる。
当時の大坂は日本一の銅の生産地で、全国から集まる粗銅を精錬していたが、友似は工夫を重ね、「南蛮絞り」と称する独自の技法を開発、品質の良さと生産量で業界を席巻した。鰻谷に在った住友銅吹所だけで日本の約1/3を精錬していたといわれる。
住友家一族の菩提寺は本来「実相寺」(浄土宗:中央区上本町4丁目)であるが、友似などは法華信仰によってここ久本寺(本門法華宗)に墓碑がある。
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[参考資料] 『大阪人物辞典』 三善貞司編 清文堂出版社 |
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本堂は天王寺屋、脇本堂(祖師堂)は住友家の寄進になるもので、同家の位牌が祀られている。 |
久本寺は谷町筋に面して、山門がある。 南側の道を隔てた妙法寺が戦災に遭ったが、当寺は奇跡的に難を逃れ本堂を始め、古い建造物が残っている。境内は道路の拡張工事のため境内がかなり狭くなったとのことである。 |
住友家の墓標がある一角。奥の大きな五輪等が2代目友似夫妻の墓。
緑色の自然石の墓は3代目友信夫妻の墓。友信は2代友似の子、1647年(正保4年)生まれ。銅山経営を拡大したが、弟の友貞(通称和泉屋平兵衛)の両替店の為替の失敗により隠居した。1706年(放映3年)60歳で没。
手前位牌型の墓は4代目友芳夫妻のもの。友芳は3代友信の子、1670年(寛文10年)生まれ。1690年(元禄3年)別子銅山を発見し、江戸時代最大の銅山経営者となる。1719年(享保4年)50歳で没した。 |
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住友友似は1607年(慶長12年)生まれ。住友家初代の正友の養子となり、1623年(元和9年)頃、京都より大阪に進出、銅吹所を始めた。1630(寛永7年)に鰻谷に移転(現在の中央区島之内1丁目)、「住友銅吹所」を興した。
精銅業のほか、銅を始め、糸、反物、砂糖、薬種などを扱う貿易も行い事業拡大を図っている。
1662年(寛文2年)56歳で没した。 |
住友銅吹所跡 |
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大阪市中央区島之内1丁目にある「住友銅吹所跡」の碑。この地は江戸時代、住友本邸があったところで、約1200坪(約4000u)の東半分が銅吹所で、西半分に本邸、本店があった。 |
平成2〜4年(1990〜92年)にかけ発掘調査が行われた。
100基を越える精錬炉など銅吹所や住宅の遺構が出土。 写真は現地に展示してあった精錬炉。 |