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所在地:
・妙法寺:大阪市中央区谷町9丁目
・万福寺:大阪市天王寺区下寺町1丁目
・円成院:大阪市天王寺区下寺町2丁目
・中島惣社:大阪市東淀川区東中島4丁目 |
大阪市内にある芭蕉の句碑です。
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妙法寺境内に建つ句碑 |
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大阪市中央区谷町の妙法寺境内にある句碑。
『御命講や 油のやうな 酒五升』
1687年(貞享5年)の作。芭蕉が法華のお寺を訪れた際、日蓮上人の命日の法会に巡り合わせ、酒を馳走され詠んだとされる。
芭蕉150回忌にあたるに1843年(天保14年)に芙蓉庵社中の建立。
碑文の書は芙蓉庵同人の浅井井左による。
句碑には雨よけの屋根が設けられており、管理が行き届いている
妙法寺は谷町筋に面して
山門がある。 |
万福寺境内に建つ句碑 |
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大阪市天王寺区下寺町の万福寺にある句碑。
『尊かる なみたや染めて ちるもみち』
碑の建立年月などは彫られていない。
この句は1691年(元禄4年)10月滋賀県彦根市の明照寺を訪れた時に詠んだ句で、同じ時に『百歳の 気色を 庭の落葉哉』を詠んでいる。当時明照寺の住職は門人李由(河野通賢)であった
万福寺は松屋町筋に面して
山門がある。
この通りには、近松の「曽根崎
心中」に出てくる大坂33ヶ所
霊場の札所が並んである。 |
円成院境内に建つ句碑 |
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大阪市天王寺区下寺町円成院の芭蕉の墓前にある句碑。
正面に絶筆句『旅に病んで 夢は枯野を かけ廻る』の句が刻まれているが、残念ながらこの句碑も墓と同様剥脱が著しく、殆ど読み取ることが出来ない。
この句碑は下の墓と共に1734年(享保19年)
志太野坡が建てたが風化がひどく、1783年
(天明3年)3月不二庵二柳が再建した
正面中央が芭蕉の墓で、
右側が句碑。墓の剥脱が
進んでいる。墓も野坡の
建てたものを二柳が再建
している。 |
中島総社境内に建つ句碑 |
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大阪市東淀川区東中島4丁目中島惣社の境内に
『宮人よ わが名をちらせ 落葉川』の句碑がある。
この句碑は1813年(文化10年)2月、扇暑なる人がが建立している。
この句は1687年(貞享4年)芭蕉と木因が伊勢の多度権現に参拝した時に詠んだ句とされる(笈日記)。
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