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史 跡
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[更新の記録]
・04/06/06
大阪天満宮の句碑を追加
慈眼寺の句碑は(4)に移動
・05/12/18
福島区のマンションにある句碑を追加
・07/11/20
福島区医師会館前の句碑を
追加
芭蕉の句碑(1)へ
芭蕉の句碑(3)へ
芭蕉の句碑(4)へ
芭蕉の句碑(5)へ
芭蕉の句碑(6)へ
浮瀬亭跡の句碑へ
松尾芭蕉の足跡へ
芭蕉の句碑(2) 所在地:
・了徳院 大阪市福島区鷺洲2丁目
マンション 大阪市福島区鷺洲2丁目
福島区医師会館 大阪市福島区大開2丁目
大江神社 大阪市天王寺区夕陽丘町
大阪天満宮 大阪市北区天神橋2丁目
芭蕉の句碑に限らず、色々なところで見かける句碑の中には、その建立された年代も古く、歴史的価値(?)があるものも少なくない。
 現地には解説板なども設置し、保存に努められておられるところもあるのは心強い限りである。

了徳院境内、弁天池の端に建つ句碑 
芭蕉の句碑-4 芭蕉は「笈の小道」の旅といわれる俳諧の旅で、1688年(貞享5年)4月に大坂を訪れ、名所であった当地のかきつばたを観賞した。そのとき詠んだ『かきつばた 語るも 旅のひとつ哉』の句碑が建っている。この句碑は1814年(文化11年)大坂の俳人三津人が主宰する「月夜庵社」が建立したもの。
句碑は戦災で焼けたためか、黒くすすけており、判読が困難である。
大江神社の境内の句碑 芭蕉の句碑(大江神社)
大江神社の境内の句碑。これは1817年(文化14年)大坂の俳人三津人によって建てられた。
この句碑の書は森川竹窓と山中松年の画になる。
芭蕉が「奥の細道」の旅の途中、北陸で詠んだ『あかあかと 日はつれなくとも 秋の風』の句が建てられている。


大阪天満宮の境内に建つ句碑
芭蕉の句碑(大阪天満宮-1) 大阪天満宮の境内にある芭蕉の句碑。
『行年や 薬に見たき 梅の花』が建てられている。
裏面には『萬延元年(1860年)庚申五月 馬田江門人建立』とある。
この句は「芭蕉句集」中村俊定校注(岩波文庫)には
存疑の部に入れられており、芭蕉の発句として決定しがたいとのことである。
大阪天満宮の境内社・白米社(稲荷大神)に
建つ句碑。
芭蕉の句碑(大阪天満宮-2)
大阪天満宮にある芭蕉の句碑は2基とも梅に因んだ句で、この句碑は1893年(明治26年)芭蕉200回忌に建てられている。
句碑に刻まれている『楳咲て よろこぶ鳥の 気色かな』は、上記と同じく、「芭蕉句集」中村俊定校注(岩波文庫)には存疑の部に入れられている。



マンションの一角に建つ句碑
芭蕉の句碑(福島区マンション) 福島区了徳院の近くのマンションの一角に芭蕉の句碑が建てられている。
句碑は了徳院と同じ句『杜若 かたるも 旅のひとつかな』で1964年(昭和39年)に建てられている。

この場所には元は料亭があり、句碑はその庭に建てられていた。10年ほど前にマンションに建て替えられたが句碑は移動されず、マンションの庭園に置かれている。
道標
 マンションの入口に建て
 られていた道標のレプリ
 カ?
 かってこの地にあった道
 標を平面に展開し、新た
 に建て直されている。
『福島区医師会館』前に建つ句碑 芭蕉の句碑(福島区医師会館前)-1
芭蕉の句碑 拡大

文字が彫られている部分を拡大
福島区大開2丁目にある『福島区医師会館』前に建てられている芭蕉の句碑。
『芋洗う女 西行ならば 歌よまむ』
この句碑は元はこの地にレストランがあり、そこに建てられていた。更に遡れば、芭蕉がこの句を詠んだ伊勢西行谷旧跡に建てられていたが、変遷を経て1958年(昭和33年)に現在地に移築された。

史跡-003/TTL-100

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