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所在地:大阪市福島区鷺洲2丁目
最寄駅:JR環状線「福島」下車、聖天通り商店街を西へ約400M |
当山は「福島の聖天さん」または、「浦江聖天」と呼ばれ、その縁起は本尊である「聖天尊(十一面観音菩薩尊)」が、この「浦江の海」で漁師の網にかかり、これを祭ったのが創建とするが、往事洪水のための資料が流失しており、その年月は明確ではない。1736年(元文元年)3月宥意上人が高野山善集院より入り、4年後に堂宇を再建、中興した。
当山は浦江は淀川下流の低湿地帯であったことから、「かきつばた」の名所として、『摂津名所図会大成』に記されており、松尾芭蕉も当院を訪れている。また、狂歌師の蜀山人・太田南畝[1749〜1823年(寛延2年〜文政6年)]の参拝や、寛政から文化年間に活躍した回船業者の高田屋嘉兵衛[1769〜1827年(明和6年〜文政10年)]が熱心な信者であったことが記録に残っている。
当山は、度々淀川の大洪水に遭うばかりか、1945年(昭和20年)の戦災では山門を残して建物の殆んどが全焼したが、戦後、本堂を始めとして諸堂が再建され、現在に至っている。
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[参考資料] 『摂津国八十八ヶ所霊場案内記』 古寺顕彰会発行
『福島聖天 了徳院のしおり』 了徳院パンフレット |
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道路に面したところに大きな鳥居があり、その奥に山門がある。
1945年(昭和20年)の空襲で、この山門と稲荷堂を残して全焼した。焼け残った山門は大阪府の文化財の指定を受けている。 |
境内の中にも鳥居が建っている。奥に見えるのは本堂。
本堂は戦後の再建であるが、戦時中は本尊を始めとする諸仏は池や地中に埋めるなどして難を逃れたとのこと。 |
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境内にあった道標(?)。嘉永2年(1849年)3月建立の日付が入っており、正面に見えるところには『すぐ あまがさき にしのみや』、左側には『すぐ 大坂みち』となっている。 |
境内の一角に祀られている白髪稲荷大明神。
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境内の片隅にある稲荷堂。お堂としては唯一戦災の
難を免れた。
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よなおし地蔵。この地蔵尊は1987年(昭和62年)大阪梅田の元国鉄貨物操作場跡地を再開発のための工事中、地中2mより出現したという。工事関係者一同、不思議な縁に歓喜し、当山に奉祀した。
地蔵には1718年(享保3年)記銘があった。 |
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摂津八十八ヶ所霊場 |
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[2003年11月1日参拝] |
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