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所在地:
了徳院:大阪市福島区鷺洲2丁目
大江神社:大阪市天王寺区夕陽丘町 |
松井三津人(みつんど)は芭蕉の顕彰に尽くした大坂の俳人であるが生年は不詳。号は梅園。
父の千李が加藤暁台と親しく、蕉門にあったため、小さい頃から俳諧に親しみ、長じて八千坊駝岳に入門し指導を受けた。1822年(文政5年)8月没。
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了徳院境内にある三津人の句碑。『親かとも 思う夜もあり 山の月』がある。
この句碑は1814年(文化11年)に自らが主宰する、俳句結社「月夜庵社」が建てた芭蕉の句碑の裏側に刻まれている。 |
大江神社の境内にある三津人の句碑。三津人の句は1817年(文化17年)三津人が建てた芭蕉の句碑の裏側に彫られている。この句碑は4吟塚で、他の2面には三津人の父の千李と、その友人である加藤暁台の句が彫られている。
『よる夜中 見ても櫻は 起きている』 三津人
『網の子の 名にやあらむ 杜宇(ホトトギス)』
三津人家父千李
『春風の 夜は嵐に 離れ鳧(けり)』 暁台
この句碑の揮毫は当時の大坂を代表する書家である
森川竹草の筆である。 |
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