|
所在地:
慈眼寺 大阪府大東市野崎2丁目
清滝天満宮 大阪府四條畷市上清滝 |
大阪府下(河内地区)にある芭蕉の句碑です。
|
野崎観音の境内に建つ句碑-1 |
|
|
慈眼寺(野崎観音)の本堂の裏山にある句碑。
彫られている『観音の いらか見やりつ 花のくも』の句は芭蕉が江戸・深川に住んでいた1686年(貞享3年)の作品。
この句碑の建立年月は彫られていないが、裏面には『精舎に 響く鐘 かすみけり 七十七翁河城』とあり、河城なる人の喜寿の記念に建てられたものらしい。 |
野崎観音の境内に建つ句碑-2 |
|
慈眼寺(野崎観音)の境内の茶店の庭にある句碑。
碑には『涅槃会や 皺手合する 数珠の音』の句が彫られている。石碑の高さは7〜80cm、二つに割れた跡があり、傍に建っている解説板の文字は消えており、殆ど読めない。1694年(元禄7年)の作品。
この句は「続猿蓑」にあり、後に『灌仏や 皺手合する 数珠の音』に推敲されている。
碑の裏側には嘉永己酉口晩秋建立とあり、1849年(嘉永2年)に建てられている。 |
清滝天満宮の境内に建つ句碑 |
|
|
四條畷市上清滝、「清滝天満宮」の前に建てられている句碑。 |
芭蕉の句の部分の拡大 |
この句碑には右から松尾芭蕉、松永貞徳、西山宗因の句が彫られている。石標の高さは約1m。
『いざさらば 雪見に ころぶところまで 芭蕉翁』、『天長く ちひと潜るや秋の月 貞徳翁』、『なかむとて 花にもいたし 首の骨 宗因翁』とある。
芭蕉の句は『笈の小文』に載っている句で、1687年(貞享4年)12月3日名古屋の門人夕道亭で詠んだとされる。なお、宗因の句は大阪天満宮にも建てられている。
『四條畷市史』によれば、この句碑は嘉永年間(1848〜54年)に建立されたとし、この地で俳諧をたしなんだ人が下記の天神さんに奉納したと推定している。 |
四條畷市上清滝にある「清滝天満宮」。
この宮は1872年(明治5年)に国中神社に合祀されたが、天神さんは上清滝に帰りたいと再三にわたり訴えられ、1887年(明治20年)元の場所に帰座されたとのことである。 |
|