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所在地:
浄春寺:大阪市天王寺区夕陽丘町
円成院:大阪市天王寺区下寺町2丁目
四天王寺:大阪市天王寺区四天王寺1丁目
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松尾芭蕉は1694年(元禄7年)10月12日、現在の南御堂の付近にあった花屋仁左衛門の貸座敷屋敷で、51歳の生涯を閉じた。その遺骸は遺言通り、大津の「義仲寺」に葬るため、門人たちの手により、淀川をさかのぼり、義仲寺へ運ばれ、 木曽義仲の墓の隣りに埋葬されている。
その後、ここ大坂の地でも、芭蕉を慕う門人や後世、芭蕉の顕彰に努めた人達により、墓が建てられている。その内の主なところを訪ねた。
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大阪市天王寺区下寺町「円成院」にある芭蕉の墓 |
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芭蕉の墓(正面中央)は当初、志太野坡が1734年(享保19年)に建立したが、風化がひどく1783年(天明3年)に不二庵二柳(ふじあんじりゅう)が再建している。しかし、この墓も残念ながら、風化が進み、表面の剥離がひどい。 |
松屋町筋に面した「円成院」の入り口。
この寺には芭蕉は最後の旅となる1694年(元禄7年)9月11日に訪れている。 |
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大阪市天王寺区 四天王寺に建つ芭蕉の墓 |
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墓地には、芭蕉と並んで野坡の墓がある。 |
芭蕉の墓は、志太野坡の門人の湖白亭浮雲が1761年(宝暦11年)に野坡の20回忌に建てたものである。
墓は風化が進み、表面の剥離がひどく、補修が急務と思われる。 |
大阪市天王寺区 浄春寺の門前に建つ芭蕉の墓 |
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「浄春寺」の門前にある芭蕉の墓と芭蕉反故塚。これらはいずれも芭蕉100回忌の1793年(寛政5年)に建てられている。 |
浄春寺には、田能村竹田や麻田剛立など江戸時代の文化人の墓が多くある。 |