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所在地:
梅旧院:大阪市天王寺区夕陽丘町
鉄眼寺:大阪市浪速区元町1丁目
吉田墓地:東大阪市吉田4丁目 |
松尾芭蕉の墓 パート2です。
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大阪市天王寺区 梅旧院に建つ芭蕉の墓 |
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芭蕉の墓(左端)は不二庵二柳が建立したと伝わる。
不二庵二柳:加賀の人。1723年(享保8年)生まれ。
50歳のとき大坂に移り、芭蕉塚を再建。芭蕉百年忌を開くなど、活躍。門人も多かった。1803年(享和3年)、81歳にて没す。中央の墓が不二庵二柳の墓。 |
梅旧院は、やはり芭蕉の墓がある浄春寺とは道を隔てて隣同士にある。
境内には「芭蕉堂」があるが、これは二柳が円成院より移した。 |
大阪市浪速区 「鉄眼寺」に建つ芭蕉の供養碑 |
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鉄眼寺は正式には瑞龍寺といい、黄檗宗のお寺である。
江戸前期の禅僧 鉄眼により開山。 |
大阪市浪速区元町の「鉄眼寺」に建てられている芭蕉と焦門十哲の一人宝普(宝井其角)の碑。
江戸中期の俳人八千房代々(初世~10世)の墓の一角にある。 |
東大阪市吉田の共同墓地に建つ芭蕉の供養碑 |
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墓地の前は花園ラグビー場である。
メインスタンドの前の道を挟んで墓地が広がる。 |
東大阪市吉田6丁目の共同墓地にある芭蕉碑。台石部分に「門人」と彫られている。
この墓は何時の頃に建てられたかは不明であるが、現地の説明板によると、「天保年間(1830~44年)、農民や町民の墓の建立が許された時期に、地元の文化人たちが、芭蕉の150回忌に当たる1843年(天保14年)に建立された可能性が強い」とあった。 |