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住友一族の墓(1)へ
住友一族の墓 (2) 所在地:大阪市天王寺区上本町4丁目 「実相寺」
最寄駅:近鉄「上本町」下車、上町筋を北へ約500M、右手(東側)
にあり
大阪市中央区上本町4丁目「実相寺」には住友家の初代住友政友(まさとも)を始め、住友家歴代の墓碑がある。(住友家2代友以(とももち)を始め、法華宗を信仰していた人たちの墓は谷町8丁目「久本寺」にある)
 住友の歴史は、江戸の初期寛永年間(1624〜44年) に住友政友が富士屋嘉休と名乗り京都で書物と薬の店を開いたことに始まる。同じ京都で銅吹きと銅細工業を営んでいた政友の姉婿である蘇我利右衛門の長男の友以を養子に迎えた。住友家に入った住友友以は、大坂に進出、銅吹所を開設。父理右衛門と協力して、当時としては画期的な「南蛮吹き(南蛮絞りとも言う)」の技術を同業者に公開し、住友家は「南蛮吹きの宗家」として地位を固めた。
 大坂はわが国の銅精錬業の中心となり、当時としては世界最大の銅の生産地とした発達した。〔元禄年間(1688〜1704年)の日本の産銅量は世界最大の年産6000トンで、住友銅吹所はその約1/3を生産していたという〕

[参考資料] 『大阪人物辞典』 三善貞司編 清文堂出版社
実相寺-1 実相寺本堂の前に広がる庭園 
山門をくぐると本堂の前には手入れされた庭が広がる。
実相寺は上本町筋に面し山門がある。この通りのお寺には北隣りに念仏寺(橋本宗吉の墓)、通りを挟んで向かいに誓願寺(井原西鶴中井一族の墓)など大坂を代表する文化人が眠る寺院が多くある。
境内の奥の1段高い所にあり、同じ位牌型のデザインの墓石、約40基が整然と並ぶ住友一族の墓地。一番手前、左側が初代正友夫妻の墓。 住友一族の墓
住友政友の墓 初代政友夫妻の墓。
政友は1585年(天正13年)、越前・丸岡(現福井県丸岡町)に武家の2男として生まれた。
12歳の頃京へ上り、出家して涅槃宗の僧となる。しかし、政友45歳の頃、涅槃宗が幕府の宗教政策により天台宗に吸収されたとき還俗し、京都の仏光寺烏丸東入ルで「富士屋」の屋号で書物と薬の店を営んだ。
 

一族の墓所とは離れたところにある入江育斎の墓。
育斎は住友家5代友昌の弟。1718年(寛保3年)生まれ、本姓住友氏。入江の姓は住友家の先祖が一時期使った姓。儒を五井蘭州、和歌を冷泉為村に学ぶ。病弱の兄友昌に依頼され、驕奢になっていた家風を改め、又製銅技術の向上を図った。
後別家を立て、豊後町に両替商を開き、「十人両替」の一人となった。1799年(寛政11年)82歳で没した。
入江育斎の墓

文化人墓-028/TTL-258

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