|
所在地:大阪市中央区生玉町 齢延寺
最寄駅:地下鉄谷町線「谷町9丁目」下車、生国魂神社の前の道を南へ、源聖寺坂を下る手前の右側 |
岡本蘭斎は江戸時代中期、名医と謳われた医家で、1577年(延宝5年)京都の生まれ。
本姓は丹波氏、幼名は馬之助、名は弌信、字は良安・為竹、蘭斎は号。医業を志して、近松門左衛門の実弟である法橋岡本一包の門下に入り、見込まれて一包の養子となり、岡本家を継ぎ、法橋位を得た後1714年(正徳4年)大坂に移住、開業した。
当時は投薬や治療方法は家伝とされ、門外不出とされたが、蘭斎は乞われれば、誰にでも岡本流医術の奥義を授け、人望はすこぶる高かった。
熱心な仏教信者で、蘭斎が長年にわたり写経をし、それを布袋尊の体内に納め、四天王寺境内に経塔として建立したが、これが現在の布袋堂の起こりとのことである。1762年(宝暦12年)85歳の天寿を全うした。
岡本尚古斎は蘭斎の3男で、1719年(享保4年)生まれ、名は弌之、字は玄竹・為竹、号尚古斎。
家業を継ぎ、父の親友の穂積以貫に儒学を学んだ。
風流韻事を好み、収集した什器を自慢にに、親しい友人に銘酒を振舞うのを何よりもの楽しみとした。
1774年(安永3年)55歳で没した。父子の墓は中央区生玉町齢延寺にある。
なお、齢延寺には江戸後期の儒者藤沢東ガイや江戸後期の医家原老柳の墓がある。
|
[参考資料] 『大阪人物辞典』 三善貞司編 清文堂出版社 |
|
齢延寺の山門。傍に「藤澤東ガイ先生墓所」の大きな石碑が建つ。
齢延寺は1623年(元和9年)僧義春が開創。 |
岡本蘭斎(左側)とその子尚古斎(右側)の墓。
|
|
|
|
蘭斎の墓は[法橋岡本為竹墓]、碑文は親友の穂積以貫の撰及び書。 |
尚古斎の墓には[尚古斎先生墓碣 岡本為竹墓]とある。
|