|
所在地:
・阿倍寺跡:大阪市阿倍野区松崎町3丁目
・阿倍王子神社:大阪市阿倍野区阿倍野元町
・安倍晴明神社:大阪市阿倍野区阿倍野元町 |
阿倍野は古来、安倍野若しくは安部野とも書き、現在の「阿倍野」と書く地名は既に鎌倉時代の文献に見えるが、その地名の起こりについては諸説がある。
@ 「余戸説」 東生郡余戸郷(ひがしなりぐんあまるべごう)に関係がある。
A 「阿部島(阿閇島)説」 万葉歌人山辺赤人の歌(万葉集巻3−359)『阿倍の島 鵜の住む磯に寄する波間なく このころ大和し思ほゆ』の「阿倍島」は当地にあった見る。
B 「痾免寺説」 弘法大師が当地で、疫難退散の祈祷を修し、淳和天皇より「痾免寺(あめんじ)」の勅額を賜ったのに由来する。
C 「阿倍寺説」 この地の豪族阿倍氏の氏寺「阿倍寺」に由来する。
D 「阿倍王子説」 E 「安倍晴明説」
などがある。どれも確証はないが、この中でCの「阿倍寺説」が最も有力な説であるとされている。
|
[参考資料] 『日本地名大辞典』 角川書店
阿倍寺跡推定地 |
|
|
大阪市阿倍野区松崎町にある「松長大明神」の境内に「阿倍寺推定地」の石碑が建っている。現地の解説版によると、当寺の塔心礎から、相当規模の堂塔伽藍が存在していた推測され、この付近からは白鳳、奈良時代の重弧文軒瓦や鬼瓦が出土したとのことである。
|
庚申街道を入った住宅地の一角にあった「松長大明神」。
松崎町内で「松長大明神」の所在を何人かの人に尋ねたが、知る人は少なく、すぐには分からなかった。
「名前は分からないが小さな祠がありますよ」といって教えてもらったのが「松長大明神」だった。 |
阿倍寺の礎石
|
|
大阪市西成区岸里東「天下茶屋公園」内にある「阿倍寺」の礎石。礎石は花崗岩で出来ており、白鳳時代の五重ノ塔のものと思われ、中央に柱穴を彫り、その穴の中央に舎利穴がある。
なぜ、松崎町からこの地に礎石が運ばれてきたのかは説明されていない。
|
阿倍王子神社 |
|
|
「痾免寺説」及び「阿倍王子説」の地である、大阪市阿倍野区阿倍野本町にある「阿倍王子神社」。
この地で弘法大師が疫難退散の祈祷を修したと伝わる。。 |
安倍晴明神社 |
|
「安倍晴明説」の地、大阪市阿倍野区阿倍野元町にある「安倍晴明神社」。
この地は安倍晴明の生誕地と伝わり、晴明は奈良時代の豪族阿倍氏の一族につながっていたとも言われている。
|