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神社めぐり
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ちょっと寄り道
赤川の鉄橋へ
千人塚へ
日吉神社 所在地:大阪市旭区赤川4丁目
最寄駅:市バス「赤川3丁目」下車、城北小学校の前の通りを北へ、
学校に東南角を西に入り、1つ目の辻を北へ、突き当たり
当社の創建された年代は明らかではないが、室町時代の文安年間(1444~48年)には、既にこの地に赤川寺(せきせんじ:別名大金剛院)という天台宗の巨刹があり、その境内に「山王宮」と称して、近江の日吉大社の分社を祀った社があった。地名の赤川はこの赤川寺に因むといわれる。
 社伝では 赤川寺は大坂夏の陣の際、兵火により炎上し、その後廃寺となったと伝わる。 この時、幸い「山王宮」は類焼することなく、氏神として代々近郷の崇敬厚く、現在に至っている。
 1899年(明治32年)の淀川大改修工事の際、境内地の北部分が接収され、本殿を約200m南の現在地に遷座したとのことである。
  明治初年には「山王宮」が「日吉神社」と改称(正読はヒエ神社)されたとのことだが、「日吉神社」は筆者が子供の頃よりヒヨシ神社と言い慣らして来ており、正式にはヒエ神社と呼ぶとは今回の参拝で、初めて知った次第である。

[参考資料] 『日吉神社由緒』 日吉神社パンフレット
日吉神社鳥居 日吉神社正面鳥居。
 日吉神社拝殿。
現在の社殿は(昭和43年)に改装された。
祭神は大山咋神(オオヤマクイノカミ)。
日吉神社拝殿
境内小社 稲荷社 境内小社 行者堂
境内社「芝守稲荷社」。
2007年(平成19年)に改築。写真では見えないが社には覆いの屋根があり、これは最近に完成したばかり。
境内社「日吉行者堂」。
元は赤川寺境内にあったが、寺が廃寺になる頃、赤川村に移された。1959年(昭和34年)神社境内に遷座された。中にはよく見られる年取った役行者の像ではなく、若々しい行者石像が安置されていた。
参道に建つ石灯篭 参道に建つ石灯篭。
正面には「山王宮」、側面には「安政六己未(1859年)八月吉日」の紀銘がある。
赤川廃寺跡 赤川廃寺跡
本殿裏手の新淀川土手の中腹にある「赤川廃寺」の石碑。
現地の案内板に拠ると「淀川は1899年(明治32年)の大改修で、流れが大きく変わり、赤川寺の伽藍位置も正確な位置はわからなくなってしまったが、周辺の川底からは鎌倉~室町時代の土器や川原などが採集される」とあった。
現在兵庫県川西市満願寺に残る大般若経600巻はその追奥書により、1225年(元仁2年)から1230年(寛喜2年)までの6年間を費やして「榎並下御庄大金剛院(赤川寺)の住職覚賢が書写し、1547年(天文16年)池田信正が摂津手島郡久安寺に寄進、1780年(安永9年)内平野町の山中成亮(長浜屋吉右衛門)が発願して補修、満願寺に寄進したものであることが分かっている。
淀川 ワンドを望む 土手の上に立つと眼下にいくつものワンドが飛び込んでくる。
ご朱印
日吉神社朱印
[2010年5月30日参拝]

神社-128/TTL-718

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