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所在地:大阪市東淀川区小松4丁目
最寄駅:阪急京都線「相川下車、神崎川に沿って東へ「北江口橋」を渡り約200M、小松小学校隣り |
当社の縁起は、菅原道真が901年(昌泰4年)太宰府へ左遷されるとき、当地に立ち寄り(当地は、かって淀川尻にあった難波八十島の1つで中島と呼ばれた)、数千株の小松が生い茂る中島の景観を見て感動、『小松の詩』を吟じたといわれ、現在に残る小松の地名はこの故事に由来する。道真は村人に自画像を与え、「永代に我が像をここに置くべし、この地に本心留めおくべし」との言葉を残したと伝わる。村人たちは道真の没後、その言葉通りに祠を建て、「小松の天満宮」として村の氏神として崇めたのを、創祀とする。
その後、江戸・明和年初(1764年頃)に境内拡張、社殿修理が行われ、1871年(明治4年)現社名の「松山神社」に改称している。
1909年(明治42年)には、大隅神社に合祀され一時廃社となったが、1944年(昭和19年)地元民の熱意により再び分離独立した。現在の社殿の主なる建屋はこの時の再建とのことである。
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[参考資料] 『御由緒』 松山神社パンフレット |
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御神門は1977年(昭和52年)菅公1075年忌の大祭記念として建立された。神社の裏にはマンションが迫っており、景観が損なわれている。 |
神社前の小松公園の外側に鳥居が建っており、公園が参道になっている。
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拝殿は社務所と共に、四条畷神社の旧社殿を移築。
手前右側の梅は、太宰府天満宮の「飛び梅」が移植されている。 |
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境内にある「神牛社」には大きな牛が祀られている。道真が亡くなった時、遺体を牛車で運んでいたところ、太宰府天満宮あたりで牛がうずくまって動かなくなったとの故事に由来する。 |
境内の各所に梅が植えられており、(その数250本)梅の名所となっている。木の1本1本に寄進者の名札が提げられており、その成長が確認できる。 |
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[2004年4月1日参拝] |
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