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所在地:大阪市中央区道修町
最寄駅:地下鉄堺筋線『北浜』下車、堺筋を南へ、 |
当社は少彦名神社(すくなひこなじんじゃ)という名前よりも道修町の神農(しんのう)さんと言う方が通
りがよい。日本の薬祖神とされる少彦名命と古代中国の伝説上の統治者、三皇五帝の1人で、特に医薬
を司ったと伝えられる神農氏を併せ祀っている。
その縁起は江戸時代中頃の1780年(安永9年)、道修町の薬種仲買仲間で組織する伊勢講が、京都
五条天神宮より少彦名命の分霊を仲間会所に勧進し、以前より祀っていた神農氏と合祀したのを始まりとしている。
1837年(天保8年)大塩の乱で会所も類焼したため、会所邸内の庭に小祠を建てて、遷座した。
幸いこのとき会所内にあった各種の文書類は類焼を免れ、これら江戸時代の文書約3千点に加え、明治から第2次世界大戦までの記録約3万5千点と併せ保存されており、これらの文書類は商都大阪の歴史及び、日本の商業史を知る上で、第1級の資料との評価が高い。これらの1部は現在は社務所の建屋の中にある「くすりの道修町資料館」に展示されている。
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[参考資料] 『神農さん 少彦名神社』 少彦名神社パンフレット |
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少彦名神社の本殿に向かうにはこのビルの横を通っていく。このビルは社務所で、1980年(昭和55年)鎮座200年を記念して、薬業界を中心に浄財を募り、鉄筋5階建てのビルを新築している。注連柱(しめばしら)をくぐったところに谷崎潤一郎の道修町を舞台にした「春琴抄」の文学碑がある。(右側の写真の2人の人が立っているところ) |
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境内は非常に狭い。社殿は大塩の乱以降、仮遷宮だったのを、1910年(明治43年)に新築し、正遷宮を行った。
参拝した当日は日曜日と言うこともあり、訪れる人は街を探索するグループの人が多く見られた。 |
社務所の前の虎の銅像。神農さんと言えば、「張子の虎」がすぐにイメージ
される。
1822年(文政5年)大坂でコレラが流行したとき、薬種仲間が疫病除薬とし
て「虎頭鬼雄黄圓」という丸薬と、「張子の虎」をお守りとして、併せ施与した
のに始まる。明治に入り、神社での施薬は禁止されたが「張子の虎」は、現
在に至るも、病除けのお守りとして健在である。 |
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少彦名神社から東へ行くと、堺筋に面して、道修町のシンボル的建物の小西儀助商店(現コニシ株式会社)の旧本社がある。1903年(明治36年)の建築で、先の大戦でも空襲の被害を免れ、2001年4月、国の重要文化財に指定された。つい最近まで、本社として機能を果たしていたが、現在は関連会社の事務所として使われている。 |
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[2004年9月26日参拝] |
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ご朱印は神農祭の時に頂いた(2004年11月22日) |
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