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所在地:和泉市王子町
最寄駅:JR阪和線「北信太」下車、南東の方へ約1Km |
聖神社は和泉国三の宮で、信太明神とも呼ばれる。神社の縁起では白鳳3年、天武天皇の勅願で創建されたとしているが、白鳳という年号は一般的には白雉の異称と考えられており、この時代の統治者は孝徳天皇で、天武天皇が権力の座に就くのは更に20年以上も時代が下がり、年代が合わない。
下記の『日本歴史地名体系』では創祀については不明とし、この地の支配者だった信太首の氏神社として祀られていたのに起源すると推定している。
「延喜式」神明帳では和泉郡にも「聖神社」とみえ、中世・近世では「信太明神」と呼ばれていた。
1201年(建仁元年)後鳥羽上皇が熊野詣のため、当地の篠田王子を通過、その際使いを出し、当社に参らせている。
聖神社にも安倍晴明の誕生に絡んだ伝説が伝えられているが、同じ伝説を持つ信太森神社の方が有名になり、近年の安倍晴明ブームに乗り遅れている感がしないでもない。
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[参考資料] 『現地説明板』 和泉市教育委員会
『日本歴史地名体系』(大阪府の地名編) 平凡社 |
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小栗街道に建つ大鳥居。神社までは未だ20分ばかり歩かなければならない。
鳥居の傍らには「式内聖神社」と彫られた大きな石柱が建っている。 |
神社の入口に建つ鳥居。
真夏の神社には参拝者は全く見かけなかったが、外回りと思われる人達の車が木陰で涼を取っているのを多く見かけた。 |
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聖神社の拝殿(左側)とその奥の本殿(右側)。祭神は聖大神。聖大神は大歳神(スサノオノ命の子神)の子神。
本殿は1604年(慶長9年)豊臣秀頼によって再建、造営された。現本殿はこの時のもので、国指定重要文化財。
1934年(昭和9年)9月、室戸台風により大きな被害を受けたが、大修理を行い、現在に至っている。 |
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境内末社の三神社(大きいほうの社)と滝神社。本殿と同じ1604年(慶長9年)の再建。両神社の本殿共、国指定重要文化財。かっては奥院と呼ばれる場所にあったが、明治初年に現在地に移されている。 |
境内末社の平岡神社。本殿は大阪府指定文化財。
この社も1604~7年(慶長9~11年)に再建された。
現地の説明板(和泉市教育委員会)には慶長9年(1601年)とあったが、慶長9年は1604年の筈だが‥。 |
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聖不動明王。 |
石柱1つ1つに神のなまえが彫られている。 |
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[2006年7月15日参拝] |
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