|
所在地:和泉市王子町
最寄駅:JR阪和線[北信太]下車、信太森神社への反対の道、
小栗街道を渡り、南東約500M、近くに旧府神社あり |
当山の開創は、鎌倉時代にこの地を支配していた細川氏の菩提寺であった中尾寺を、慧極道明(えごくどうめい)禅師が1690年(元禄3年)に再興し、山号を長岡山中央寺に改めている。
現在地から東へ約500mほど行った、聖神社の近くに中央寺の霊園があるが、元はこの霊園の場所に寺院もあった。
現在ではこのあたりは住宅地となっているが、今から100年も前はかなり物騒な場所であったらしく、夜ごと強盗が出没し身の危険を感じたため、1877年(明治10年)現在地の町なかに堂宇を移したとのことであった。 |
慧極禅師は宇治・万福寺を開山した隠元隆g(いんげんりゅき)禅師亡き後、鉄牛道機(てつぎゅうどうき)禅師、潮音道海(ちょうおんどうかい)禅師と共に黄檗3傑と称えられた。1632年(寛永9年)生まれ。90歳で遷化。
堺市美原町にある法雲寺は慧極禅師41歳の1672年(寛文12年)に開山。
|
[参考資料] 『長岡山 中央寺』 中央寺パンフレット |
|
中央寺山門。
「和泉西国客番札所」の立札は真新しい。
和泉33ヶ所の札所として参加されたのは、昨年末からのことで、1番新しい札所である。
|
中央寺本堂。
明治天皇が信太山大演習の視察に当地に訪れた時、当寺に立寄られ、楠を植樹されたが、その木は残念ながら枯れてしまった。
現在、本堂の横に茂っている楠は2代目である。
|
|
|
本堂の脇で布袋尊が参拝者を迎えてくれる。
布袋尊は黄檗宗のお寺では弥勒菩薩の化身と考えられており、最初に布袋尊にお参りすることで、その大きな腹に、人間の煩悩や欲望を取り払ってくれるといわれる。 |
篠田王子跡 |
|
|
|
中央寺から南へ約100m程行ったところに、中央寺のある王子町の地名の由来でもある「篠田王子跡」がある。
跡地はきれいに整備され保存されている。後鳥羽上皇も熊野詣での途中ここで禊の後、信太明神(聖神社)に参拝している。かって祀られていた熊野権現は現在は葛葉稲荷(信太森神社)に合祀されている。 |
|
|
|
和泉三十三ヶ所観音霊場 |
|
|
|
|
|
[2006年7月29日参拝] |
|
|