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所在地:交野市倉治
最寄駅:JR学研都市線「津田」下車、駅前の府道736号線を南に、約800M |
機物神社の創建の時期については明確ではないが、社名のハタモノとは渡来人の秦氏が祀った神社ではないかとの伝えもあり、その起源は4~5世紀に遡るとも言われている。
1476年(文明8年)に神祇管領の卜部兼倶の奉幣があったことが記録にあり、室町時代の頃にはそれなりの格式をもって存在していたようである。
織田信長はこの神社に特段の興味があったと見え、1572年(元亀3年)軍の狼藉陣取放火などの禁制下付があり、翌年(天正元年)には神境を東西260間南北67間余と定めた。また、神職16人の席次争いの調停、下知をしている。江戸時代には神官の家が18軒あり、宮座の席順、神主の人選は神前でくじを持って決めたのは信長の下知以降の伝統という。
1582年(天正10年)明智光秀が武運長久を祈り初穂料白銀100枚を、1588年(天正16年)には豊臣秀吉が神饌米百表を寄付している。
この神社がある交野市から隣の枚方市にかけての、いわゆる交野が原が日本における七夕伝説発祥の地とされており、織り姫(天棚機比売:あまのたなばたひめ)を祀る機物神社がその中心でもある。伝説では毎年7月7日に枚方市観音山にある牽牛石が天の川に架かる逢合橋で落ち合うと言う。
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[参考資料] 『機物神社 由緒略記』 機物神社パンフレット
『日本歴史地名体系』(大阪府の地名編) 平凡社 |
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毎年7月6・7日の2日間、機物神社は七夕祭りが盛大に行われ、この2日間参道は屋台が隙間無く並び、近郷近在から大勢の人で賑わう。
この行事は(昭和54年)に復活されたが、年々盛んとなり、毎年関西のマスコミが取り上げるなど、交野市を代表する行事となった感がある。 |
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境内に立てられた竹は約40本ほど。笹につけられた短冊で埋め尽くされる。願い事を書いて笹に吊る短冊は社務所で2枚100円で売られていた。 |
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機物神社の拝殿。
天棚機比売大神(あまのたなばたのひめ)、栲機千々比売大神(たくはたちぢひめ)を祀る。
元は1神の名前であったが長すぎるので2神に分けて祭神とした。 |
拝殿の前には茅の輪がある。手前に輪をくぐる手順が解説されている。「水無月の夏越(なごし)の祓えをする人は千年(ちとせ)の命のぶと云ふなり」とあった。
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所在地:交野市私市
最寄駅:京阪交野線「私市」下車、すぐ |
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機物神社から南へ約4Km、大阪市立大学付属植物園(私市植物園)の横を流れる天の川の河原では『天の川七夕まつり』が行われる。天野川の河川敷に竹灯ろうが数多く置かれ、夕刻になるとこれが点灯され、色々な文様や浮かび上がり幻想的な雰囲気を作り出す。
天野川は四條畷市上田原に源を発し、北流し交野市に入って生駒山脈を横断、北西流して枚方市岡付近で淀川に注ぐ。全長13.6Km。現在ではその流量は少ないが、古くは山間部の風化花崗岩を流す流量はあったと見られ、その白砂が天上の天の川を連想させたと言われる。 |
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[2007年7月7日参拝] |
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