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観音山牽牛石:枚方市香里ケ丘4丁目
かささぎ橋:枚方市新町
逢合橋:交野市私部西3丁目 |
現在の枚方市、交野市のあたり一帯は平安時代の頃は「交野が原」と呼ばれ、日本に於ける七夕伝説発祥に地と伝わる。
平安時代初期、桓武天皇(在位:781〜806年)はこの「交野が原」において北極星を祭り、国家の安泰を祈願し、たびたび狩猟を楽しんだといわれる。
以後、貴族たちの遊猟地と栄え、『古今集』には在原業平が惟喬親王の狩猟の供をした時に『狩り暮し 棚機津女(たなばたつめ)に 宿借らむ 天の川原に 我は来にけり』と詠んだ歌が載っており、この頃には既に七夕の伝説が定着していたものと思われる。
また、このあたりには天野川を始め、今も残る七夕や星に関わる地名が多く生まれたのもこの頃だと言われている。
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[参考資料] 『現地解説板』 枚方市教育委員会
『広報ひらかた』 枚方市 |
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所在地:枚方市香里ケ丘4丁目 「観音山公園」
最寄駅:京阪本線「枚方市」駅OR「枚方公園」駅下車、
京阪バスで「新香里」下車、南東へ約200M |
地元に伝わる七夕伝説では『交野市の織物神社に祀られている織姫が、枚方市の観音山公園にある巨石「牽牛石」が年に1度(7月7日)に天の川(天野川)に架かる逢合橋で出会い、逢瀬を楽しむ』という。これにちなみ近年両市では色々な七夕の行事が行われているが、現状のレベルはローカルのお祭りの域を出ておらず、仙台の七夕祭りのように全国区の行事として認知されるには、時間がかかりそうだ。 |
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この石が牽牛石。
観音山公園の一番高いところに鎮座している。高さ約1m、幅約2mの巨石である。
そう言われれば何となく牛の形に似ている。
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今年(07年)の7月7・8日には「全国七夕サミット」が枚方市、交野市で開催された。
これを記念して、この観音山公園に牽牛像が6月に建てられた。
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万葉歌人山上憶良の歌碑。
『牽牛(ひこぼし)の 妻迎え船 こぎ出らし 天の川原に 霧の立てるは』
この歌碑も「全国七夕サミット」の開催を記念して建てられた。
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7月7日は地元の子供たちが集まり、笹に願いごとを書いた短冊を飾り付けていた。
現状は地元の子ども会の行事のようだが、牽牛像も建てられたこともあり、枚方市と行事としてもっと大々的な行事とするべきと思われる。
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観音山公園は中山観音寺というお寺があった場所で、南北朝の動乱で焼失し、廃寺となった。
1974年(昭和49年)宅地造成に伴う発掘調査で、基壇や礎石が確認され、奈良時代から平安時代にかけての軒丸瓦や懸仏、鴟尾の破片、せん仏などが出土している。 |
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所在地:枚方市新町
最寄駅:京阪本線「枚方市」駅下車、北口から府道13号線を北へ
約400m |
七夕伝説では、七夕の夜、牽牛星(彦星)と織女星との年に一度の逢瀬のために、かささぎが羽を広げて橋をかけ、2人を逢わせたと言う想像上の橋の名であるが、枚方市内を流れる天野川が淀川に注ぐ合流点の近くの橋にこのかささぎの名を冠した橋がある。
なお、かささぎという鳥は17世紀に朝鮮半島から持ち込まれ、九州・佐賀平野を中心とした地域に生息し、国の天然記念物に指定されている。
余談だが、大阪にはこのかささぎの名を冠した鵲森宮神社があり、神社の名は推古天皇の御代、新羅の国より2羽のかささぎが献上されたのに由来するが、この神社には天の川にかかわる話はないようだ。 |
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かささぎ橋の北詰。
かささぎ橋が架かる道は、府道13号線(旧国道1号線)で、幹線道路でもある。 |
橋のたもとに七夕伝説をモチーフにしたモニュメントが建てられているが、塗装が剥げ落ち、描かれていた図柄は判別不能の状態である。 |
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所在地:交野市私部西3丁目
最寄駅:京阪交野線「交野市」駅下車、西へ約500M |
天の川(天野川)の流れが交野市から枚方市を入ってくるあたりに逢合橋がある。伝説では織物神社の織姫と牽牛石の牽牛がこの橋で出会うとされている。人が渡る歩道は七夕の飾り付けがされているが、車の行き来が激しく、のんびりと逢瀬を楽しむ雰囲気ではない。 |
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