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神社めぐり 豊国神社
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・07/11/21
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ちょっと寄り道
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豊国神社 所在地:大阪市中央区大阪城
最寄駅:JR環状線「森之宮」からは玉造口より、
地下鉄、京阪「天満橋」駅からは大手門より、桜門前
 1868年(明治元年)、明治天皇が大阪に行幸の際、豊臣秀吉を尊皇の功臣として、豊国神社をこの大阪の地に造営するよう沙汰があった。しかし、もともと徳川家康よって壊された豊国社のあった京都市民挙げての熱願が実を結び、京都東山の廟社を豊国(とよくに)神社本社として再建が決定し、大阪は別社として1879年(明治12年)中之島字山崎の鼻(現在の中央公会堂のある場所)に竣工がなった。
 1912年(大正元年)中央公会堂の建設に伴い、現在の府立中之島図書館の西側に移転、1921年(大正10年)には別社から独立、豊国(ほうこく)神社に改称し、府社に列せられた。
現在地へは大阪市庁の拡張、増設に伴い1961年(昭和36年)に移転し、現在に至っている。

[参考資料] 『現地説明板』&『豊国神社ホームページ』 
豊国神社大鳥居 豊国神社東側の鳥居
左側は神社西側入り口、桜門に面して建つ大鳥居。右側は東側入り口の鳥居。 
本殿。
豊臣秀吉、豊臣秀頼、豊臣秀長を祀る。
豊国神社本殿
豊臣秀吉像 境内に建つ豊臣秀吉像。
文化功労者 中村晋也氏の制作。2006年(平成18年)の建立。高さは台座を含め5.2mの銅像。
中之島にあった旧豊国神社にも1903年(明治36年)に大阪城内に建てられた秀吉像が移されていたが、1943年(昭和18年)戦争のため供出されており、63年振りに復元された。
本殿の造られている秀石庭。
庭園は京都林泉協会の創立40周年記念事業の一つとして1972年(昭和47年)に作庭、奉納された。
この大阪城の地はかっては「石山」とも呼ばれていたので、これをテーマとし、巨石を組み合わせ石山を表現している。
秀石庭
境内摂社若永神社 境内摂社白玉神社
境内摂社の若永神社。主神は宇迦御魂神。
元は豪商淀屋宅の火難除け守護神として祀られたと伝えられる。その後は現中央区大川町に鎮座し、同町有志の崇敬者によって祀られていたが、1927年(昭和2年)御堂筋道路拡張のため、当社の境内社として遷座した。 
境内摂社の白玉神社。主神に迦御魂神を祀る。
元は白玉稲荷神社といい、中之島で当社が創建される以前には藩蔵屋敷に祀られていたが、その後現中央区淡路町の個人宅に移して祀っていたのを1879年(明治12年)に境内社として遷座し、白玉神社と称した。 
ご朱印
豊国神社朱印
[2007年9月28日参拝]

神社-099/TTL-590

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