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所在地:奈良県吉野郡吉野町吉野山
最寄駅:近鉄吉野線[吉野神宮]下車、駅前の鳥居を通り
坂道を徒歩で約20分 |
吉野神宮は、第96代後醍醐天皇を祭神とする。この神社は、明治天皇と時の政府の意向が色濃く反映され、創建された神社である。
それまでは「吉水神社」(江戸時代は「吉水院」という寺院あった)で、後醍醐天皇を祀り、550年にわたり、代々供養が続けられていた。しかし、後醍醐天皇の奉祀神社の創建を一寺院を改称して充てるのは、不見識であるとされ、1889年(明治22年)新たに[吉野宮]が創立され、官幣中社に列された。
1892年(明治25年)に社殿が竣工されたのに伴い、後村上天皇が御自ら刻まれたと伝えられる後醍醐天皇の像を、勅命により吉水神社から移し、ご神体としている。更に、1901年(明治34年)官幣大社に昇格、1918年(大正7年)に吉野神宮と改称された。
現在の社殿は、1928年(昭和3年)大規模な社殿に立て替えられたものであるが、これは当時の皇国思想が反映され、後醍醐天皇の建武の新政の事跡を讃え、これを昂揚するためもあったと思われる。
この広々とした境内のある地は丈六平と呼ばれ、後醍醐天皇の皇子、大塔宮護良(もりよし)親王が吉野山に挙兵したとき、幕府軍が本陣をおいたところと伝わる。また、遥かに金剛・葛城の山なみを遠望することが出来るとのことであったが、当日は生憎の雨で、それは叶わなかった。
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[参考資料] 『現地解説板』 |
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境内の入口の鳥居。
境内は2万7千坪の森の中にある。 |
入口の鳥居をくぐって広い参道をしばらく歩くと大きな鳥居が目に入ってくる。鳥居の奥に見えるのは神門。 |
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境内は鳥居、神門、拝殿、本殿が一直線に並んでいる。が、後醍醐天皇が京都へ帰還する事を強く望んでいた心情を汲んで、京都の方角を向き((北向き)に建てられているとのことである。写真は外拝殿。 |
拝殿(中央)の右に建武中興に功績のあった日野資朝(すけとも)、児島高徳など後醍醐天皇の忠臣7人を祀る摂社が並んでいる。 |
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[2004年10月3日参拝] |
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