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所在地:奈良県吉野郡吉野町吉野山
最寄駅:近鉄吉野線「吉野」駅からロープウエイに乗換え、
終点「吉野山」駅から徒歩で約20分 |
当社は江戸時代までは「吉水院」といい、役行者が天武天皇の白鳳年間(650~54年)に創建した金峯山寺の塔頭の1つであった。明治初年の神仏分離令に続く、修験道廃止令により、一時は廃寺となったたが、1854年(明治7年)天皇親政復古を目指した建武中興の理想が成就されたとして、「後醍醐天皇社」という名称のもとで創立が許可され、翌年「吉水神社」に改め存続、現在に至っている。
吉水院は、1185年(文治元年)源義経が兄頼朝の追害を逃れ、静御前や弁慶らと共に身を潜めたところであり、1336年(延元元年)建武の親政に敗れた後醍醐天皇が京都の花山院を抜け出し、吉水院宗信の援護により、ここを南朝の行宮と定めたところでもある。
また、1594年(文禄3年)太閤秀吉がここを本陣として大花見の盛宴を催し、天下にその権勢を示した。これ等歴史の舞台になった由緒ある寺院が、廃絶の憂き目に遭ったという廃仏毀釈とは、明治政府にとって、一体何だったのだろうか。因みに、この吉野山には100以上の寺院があったといわれるが、廃仏毀釈と修験道廃止令により、現在まで残っている寺院は僅か8ヵ寺のみである。
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[参考資料] 『役行者霊蹟札所巡礼』 役行者霊蹟札所会編 (株)朱鷺書房
『現地解説板』 吉水神社 |
 |
東南院と道を挟み反対側に建っている鳥居。この坂を下ると下の写真の山門がある。
吉水神社の中で、最も神社らしい建造物は県道沿いに建っているこの鳥居だけであった。 |
 |
 |
吉水神社の山門は寺院のそれである。 |
吉水神社本殿。祭神は、後醍醐天皇、楠正成、吉水院宗信法印を祀る。現在は勝手神社のご神体も居候されている。 |
書院は檜皮葺きで、鎌倉時代に建てられた初期書院造りの傑作といわれる。日本最古の住宅建築として重要文化財に指定されている。
外観から受けるイメージより、中に入ってみるとその広さに驚いてしまった。 |
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 |
境内から遠く都を望む「北闕の門」。後醍醐天皇は死に臨み「身はたとえ南山の苔に埋むるとも魂魄は常に北闕の天を望まん」と都に憧れつつ崩御されたという。 |
後醍醐天皇御製の碑。『花にねて よしや吉野の吉水の 枕の下に石走る音』 |
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後醍醐天皇玉座。豊臣秀吉が花見に際し修理をした、
桃山時代の風格を残した書院。 |
義経・静御前潜居の間。室町初期の改築で床棚書院の初期の様式を伝える |
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狩野永徳「桜の図」(左側)狩野山雪「竹の図」(右側)。いずれも豊臣秀吉愛用の金屏風と伝わる。 |
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役行者霊蹟札所 |
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[2004年10月3日参拝] |
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