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所在地:大阪市天王寺区生玉町
最寄駅:谷町線「谷町九丁目」下車、交差点の西南角 |
当山の縁起は弘仁年間(810〜823年)に藤原冬嗣の発願により、その甥の任瑞上人を開基として建立された。藤原家を治める寺であるところから「藤治寺」と称し、代々藤原一門の祈願寺として栄えてきたが、江戸時代の1764年(明和元年)中興清範和上の代に九条尚実より、武運長久を祈るべき永代不易の祈願時たる旨辞を改めて授けられ、九条家祈願寺として幕末に至った。
明治初年の神仏分離の時、生玉十坊の1つ「地蔵院」を併合して「藤次寺」と改称し、今日に至っている。
広大な寺域に加え、慶長年間(1596〜1615年)加藤清正を大壇主として、建立された金堂をはじめ諸堂宇も1945年(昭和20年)の戦災で一切の建造物は灰燼に帰した。戦後の都市計画に伴う境内地の移転もあり、復興は遅れたが、1960年(昭和35年)に金堂、寺務所、庫裡などが完成した。
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[参考資料] 『摂津国八十八ヶ所霊場案内記』 古寺顕彰会発行
『如意宝珠融通尊』 藤次寺パンフレット |
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谷町9丁目の交差点で朱色の山門と塀はよく目立つ。 |
山門をくぐると正面に本堂がある。境内は人の出入りが激しいのにもかかわらず綺麗に掃き清められている。
金堂に安置する本尊「如意宝珠融通尊(宝生如来)」は「大阪の融通さん」として多くの人々から信仰されている。 |
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境内には不動明王、大黒天、地蔵尊、稲荷社などが祀られており、参拝者は後を絶たない。 |
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摂津八十八ヶ所霊場 |
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[2003年10月5日参拝 |
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