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生国魂神社 所在地:大阪市天王寺区生玉町
最寄駅:地下鉄谷町線「谷町9丁目」下車、南西へ約400M
社伝によれば、神武天皇が九州より難波津に上陸した際、現在の大阪城付近(上町台地の北端)に生島大神、足島(たるしま)大神を祀ったのが創祀と伝えられ、後に、大物主大神が相殿神として祀られている。
 文献による初見では『日本書紀』孝徳天皇即位前記(7世紀中頃)には難波宮造営の際に『生國魂神社の樹を切りたまふ・・・』と記されており、『延喜式』神名帳では『難波坐生國咲國魂神社(なにわにいますいくくにさきくにたまじんじゃ)』二座と記され、宮中の例祭にあたって神祇官から幣帛が授けられた最高の待遇を受けた神社であった。
  中世に入り、1496年(明応5年)、本願寺八世蓮如上人が生國魂神社に接して『石山御坊(後の石山本願寺)』を建立したが、1580年(天正8年)織田信長に屈し灰燼に帰した。1583年(天正11年)豊臣秀吉が大阪城築城のため、社領を寄進し社殿を造営。1585年(天正13年)に現在の鎮座地に遷されたと伝えられている。明治維新の廃仏毀釈によって境内にあった神宮寺が境外へ分散するなど境内は著しく変化したが、1871年(明治4年)官幣大社に加列された。

[参考資料] 『生国魂神社略誌』 生国魂神社パンフレット
生国魂神社正面大鳥居 表参道正面の大鳥居。
生国魂神社の造りは「生国魂造」といわれる他に例のない様式で(本殿、幣殿の屋根が一つの流造りとなっている)、正面奥に見えるのは拝殿。その奥にある幣殿と本殿とは回り廊下で結ばれている。
生国魂神社拝殿。
社殿は(明治45年)『南の大火』、1945年(昭和20年)の戦災による消失、1950年(昭和25年)の『ジェ―ン台風』による倒壊など幾度も被災と造営を繰り返し、現在の社殿は1956年(昭和31年)に建立されたものである。
生島大神・足島大神を主祭神とし、相殿に大物主大神を祀る。
生国魂神社拝殿
生国魂神社境内社 境内社・鴫野神社
本殿の脇には11社の境内社がある。
一番右側の鳥居は「浄瑠璃神社」で、近松門左衛門竹本義太夫など人形浄瑠璃(文楽)に成立に功のあった『浄瑠璃七功神』をはじめ文楽および女義太夫の物故者を祭神として祀られている。
境内社の1つ「鴫野神社」。
大坂城外鴫野弁天島にあった「弁天社」は淀君の崇敬が厚く、後に「淀姫神社」として祀られるようになったが、1877年(明治10年)現在地に移転された。
境内にある井原西鶴像。
西鶴は1680年(延宝8年)5月、「生玉神社南坊」で一昼夜独吟四千句を興行した。後ろの碑は「南坊」の所在跡を示す石碑


「南坊」は明治初期の神仏分離の折、現在の中央区島之内に移転した法案寺の前身である

井原西鶴の墓は大阪市中央区上本町西4の誓願寺にある。
南坊跡に建つ井原西鶴像
ご朱印
生国魂神社朱印-1
[2003年10月5日参拝]

神社-008/TTL-072

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