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霊場参拝
摂津八十八ヶ所 摂津八十八ヶ所
第22番
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密印山持明院 所在地:大阪市天王寺区生玉町
最寄駅:地下鉄谷町線「谷町九丁目」下車南へ、生玉神社参道右手
当山の縁起は不詳であるが、明治初年の神仏分離の折、生玉十坊の1つ「曼陀羅院」を吸収合併した。
 当寺域は慶長以前(1596年以前)豊臣秀吉大阪城築城の頃は木村長門守重成の屋敷跡であったと伝わる。
 当山には第15番札所「園珠庵」を創建した契沖が止住したところでもあり、江戸時代の文人画家、田能村竹田浦上玉堂が当院に同宿しており、これらの文人が残した遺墨画稿は今次大戦の戦災のため烏有に帰したのは誠に残念なことである。

浦上玉堂は1745年(延享2年)岡山池田藩の支藩鴨方藩士の家に生まれ、1820年(文政3年)没。
 代表作に「凍雲篩雪(とううんしせつ)図」「山紅於染(さんこうおせん)図」「煙霞帖(えんかじょう)」などがある。独特 の自由闊達な線描で構築され自然の観照を深め、奔放にして空想的な山水画は、従来の規範にとらわれず、詩 情にあふれ独自の山水画風を確立した。
田能村竹田は1777年(安永6年)豊後国(大分県)竹田村の岡藩々医の家に生まれ、1835年(天保6年)没。 おびただしい書画に加え「松巒(しょうらん)古寺図」などのほか、「船窓小戯帖」や「亦復一楽帖(またまたいちらくちょう)」などの画帖の小品にも佳作が多い。著作に「泡茶訣」「瓶花論」の小論を始め「山中人饒舌(さんちゅうじんじょうぜつ)」や「竹田荘師友画録」のような絵や画家に関するもののほか、「填詞(てんし)図譜」など詩文に関するものもある。 墓は天王寺区夕陽丘町「浄春寺」にある。
[参考資料] 『摂津国八十八ヶ所霊場案内記』 古寺顕彰会発行
持明院山門 生国魂神社の表参道に面して山門はあるが、ちょっとへっこんでいるため、うっかり通り過ぎてしまう。
門前にある石碑(裏面に明治22年建立の刻あり)。なぜ深く埋められているのか、寺務所に居られた人に聞いてみたが不明(石碑は折れてしまっており、残された部分のみが建っているのかも知れない)。 持明院山門に建つ石碑
境内に祀られている橋姫、卯の日、二十日の三大明神 境内には「橋姫大明神」、「卯の日大明神」、「二十日大明神」の3神が祀られている。
「橋姫大明神」は縁切り、「卯の日大明神」は縁結びの神様だそうである。
ご朱印
摂津八十八ヶ所霊場
持明院朱印
[2003年10月5日参拝]

寺院-026/TTL-046

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