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・04/01/20 
「大阪七福神」の朱印追加



志宜山 法案時 所在地:大阪市中央区島之内2丁目
最寄駅:「日本橋」下車境筋を北へ、日本橋北詰東へ150M
当山の草創は聖徳太子「生玉神社」の奇瑞を感じ、鴫野の地に社殿を創建し、仏法弘通の公案をせられたところから、「法案寺」と称したという、約1400年前まで遡ることが出来る。
 後世甚だしく衰微したが、応永年間(1394年〜1427年)松永政廣が再興、当時は現在の法円坂町付近にあり、四天王寺と共に上町台地の南北に存する二大伽藍であったが、石山本願寺の落城の際に類焼した。1583年(天正11年)豊臣秀吉の大阪築城による強制移転のため、現在の天王寺区生玉町に神社と共に移ってきた。
 以来、生玉宮寺(生玉十坊)として、生玉明神と共にあったが、1879年(明治12年)政府の神仏分離令(廃仏毀釈)のため、生玉明神の別当職で、社僧として神社を管理していた生玉十坊の筆頭法案寺南坊は大阪府の命により、現在地に復興した。先の大戦で1945年(昭和20年)空襲を受け、すべて灰燼に帰し、現在の建物はその後、復興されたものである。

[参考資料] 『摂津国八十八ヶ所霊場案内記』 古寺顕彰会発行
         『大阪人:』  法案寺パンフレット
法案寺山門 堺筋を挟んで「宗右衛門町」と反対の通りに山門はあった。ここまでくると繁華街の喧騒に比べ非常に静かなたたずまいである。
山門をくぐると正面は本堂。堂内安置の聖観世音菩薩は重要文化財で毎年元旦から1週間開扉され、右手にある弁財天堂の「大阪七福神めぐり」とあわせ、この期間は大いにぎわう。聖天堂にある歓喜天は「日本橋の聖天さん」として有名。 法案寺本堂
法案寺の隣家に残る戦争の傷跡 後ろの壁は隣の敷地のもので、お寺とは関係ないが、戦災にあったままの状態で残されており、大阪市内では、数が少なくなった戦争の傷跡を見ることが出来る。
ご朱印
摂津八十八ヶ所霊場 大阪七福神めぐり
法案寺朱印-1 法案寺朱印-2
[2003年9月21日参拝] [2004年1月10日参拝]

寺院-012/TTL-032

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