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所在地:大阪市西区北堀江3丁目
最寄駅:地下鉄千日前線「西長堀」下車、D号出口を北へ、最初の辻を右に折れ約100M、交差点の向かい側 |
当山の縁起は、1698年(元禄11年)堀江新地開発のとき、幕府の命により、境内1800坪を永代寺地に定められ、智善上人が長野の善光寺本尊出現の霊地として寺堂を建立し、「蓮池山智善院和光寺」と称したのに始まる。
江戸時代には本堂のほかに、観音堂、閻魔堂、愛染堂、薬師堂、金毘羅権現など10以上の諸堂を数え、境内には店屋が軒を連ね、門前には芝居が興行され、大いに賑わった。狂言師の蜀山人・太田南畝も1799年(寛政11年)10月に当寺を訪れ、その賑わい振りを記している。
1945年(昭和20年)3月の空襲で、本堂を始め、諸堂、庫裡が全焼した。戦後の区画整理のため、境内地は随分と削られたが、早くも1947年(昭和22年)には仮堂を建立、その後、放光閣、庫裡と再建し、1961年(昭和36年)には本堂の再建が成った.。
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[参考資料] 『摂津国八十八ヶ所霊場案内記』 古寺顕彰会発行
『あみだ池 和光寺のしおり』 和光寺パンフレット |
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山門の両脇に常夜灯が建っている。常夜灯は享保4年(1719年)建立の日付けがある。
('06年10月に訪問したときには、右の写真のように山門は新しくなっていた) |
再建された鉄筋コンクリート作りの本堂。 |
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境内の一隅にある阿弥陀池と池の中央にある放光閣。
本田善光が阿弥陀如来をこの池から救い、信濃へ持帰り、阿弥陀如来を本尊とし、善光寺を興したことから、この池を「阿弥陀池」と呼ばれるようになり、この寺の代名詞にもなった。 |
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摂津八十八ヶ所霊場 |
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[2003年11月1日参拝] |
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