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霊場参拝
河内三十三ヶ所 河内西国観音霊場
第13番
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不断山善光寺 所在地:八尾市垣内
最寄駅:近鉄線大阪「高安」下車、東へ外環状線、旧国道170号線
横断約1km、「教興寺」門前より南へ300M
当山は不断山善光寺と称し、一光三尊の阿弥陀如来を本尊としている。 元善光寺ともいい、本田善光難波の堀江に於いて阿弥陀如来仏を感得し、信濃へ帰る途中ここに一泊し、まずその分身を祀り庵をたて、翌年再び訪れて当山を建立したと伝えられている。
全国の元・新善光寺のなかでも唯一の融通念仏宗寺院で大念仏寺の末寺である。
本田善光(ほんだ よしみつ) 善光寺(長野県長野市)の縁起によると、欽明天皇の時代、百済より仏教ともに、一光三尊阿弥陀如来が伝わったが、天皇は崇仏派の蘇我氏に如来仏を与え様子を見ることにした。日本古来の神道を守る物部氏と、仏教を受容しようとする蘇我氏との争いの中で、如来仏は物部氏によって難波(なにわ)の堀に捨てられてしまった。都に上っていた信濃の本田善光が難波の堀を通りかかると、如来に呼び止められ、堀から飛び出した如来は善光の背中に乗り移り、善光はこれを信濃に持ち帰り、642年(皇極天皇元年)自宅を寺に改めてお祀りしたのが善光寺の始まりであるといわれている。

[参考資料]  『現地解説碑』 八尾市教育会編
           『(長野)善光寺ホームページ』など
善光寺-1 教興寺の前の道を南に5分ほど歩くと左手に山門がある。
ここでも、ご朱印をお願いするとわざわざ本堂を開けて頂き、本尊を拝む事が出来た。 善光寺-2
善光寺-3 境内にある大樟樹で、幹周り6.27m、樹高25mあり、樹齢およそ800年で府指定天然記念物(S45.2.20) です。
 本田善光が、信濃に帰って再び垣内に来た時、そのついて来た杖をここに突きさしたのが、芽を出して大きくなったものとの伝説がある。同じく境内にある、不断梅、信濃柿と共に三名木として由緒を語っている。
ご朱印
河内三十三ヶ所観音霊場
善光寺朱印
[2003年9月11日参拝]

寺院-007/TTL-027

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